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#05

奇跡を起こした一枚のチラシ

 

文/原田秀司

 

 まずはこのチラシを見ていただきたい。

 

 

 モーレツにアナログである。

 令和の時代に「昭和の香り」がプンプン漂っている。

 なにしろ今どき「手書き」である。

 しかも、モノクロであり、余計な色彩など一切、施されていない。

 失礼ながらハッキリ申し上げるた和菓子店を救った「救世主」だと言ったら、皆さんはどう思われるだろう。

 おそらく目を丸くするに違いない。

 だが、実際にこのチラシは奇跡を起こしたのである。

 いや、もしかしたらそれは奇跡ではなく必然だったのかもしれない。

 なぜなら、この一枚のチラシには我々ビジネスマンが忘れかけていた「商売の哲学」が詰まっていたのだから。

 

 

ものづくりへのこだわりと革命

 

 宮崎県延岡市にある老舗和菓子店「虎彦」は昨年の令和2年に創業70年を迎えた。
 元は大分県の現竹田市で江戸時代より代々続いた和菓子屋だったそうだが、祖父の時代に没落し、先代の父忠彦が戦後昭和24年に延岡の地で再興したという。一度は途絶えた和菓子店「とらや」は延岡で復活し現在の二代目の社長の上田耕市社長に引き継がれ地域とともに成長してきた。 同名の菓子店が世に多くあることから独自の屋号を求め、御代替わりの令和元年5月1日「虎屋」を先代の名からひと文字をとり「虎彦」に改定した。

 主力商品は宮崎県延岡の名物でもあり、この地では400年もの歴史を持つ「破れ饅頭」。

 


「破れ饅頭」

 

 虎彦は宮崎の伝統菓子であるこの「破れ饅頭」の味を代々、大切に受け継いで現在に至る。
 特に現在の社長になってからは、「破れ饅頭」のほかにも次々と新商品の開発に成功。
 自然派甘味料「ラカント」を使い糖尿病の人でも食べられるカロリー0の低糖質どら焼き「風の虎」や、「君が代」の中でも詠われている「さざれ石」をモチーフにした「日向のさざれ石」、また棹状の羊羹を一人用食べきりサイズにし楊枝を添えて美しく味わうことを提案した「羊羹 一人ひとり」はMIYAZAKI FOOD AWARD 2020で見事グランプリに輝いた。

 


「風の虎」

 

 その開発力は和菓子だけにとどまらず、洋菓子分野にも及んだ。

 先に述べたラカントを使い、地元の特産品である日向夏やへベス、柚子、金柑のジュレや同じく低糖質のスポンジケーキやガトーショコラを展開。


「ガトーショコラ」

 

 さらに上田社長は「和菓子店の命」ともいえる「あんこ」にも革命の手を入れた。

 あんこ作りの名人との出会いによりそれまでの製餡方法を180度変えてしまったのだ。

 代々味を受け継いできた老舗の和菓子店にとっては一世一代の賭けであったが、これが大きく当たった。

 そしてこの「あんこの革命」は、新商品開発のさらなる布石になり、虎彦はさらなる発展を遂げていくのである。

 

 「誰もが知っている平凡な菓子を誰もがわかる非凡な菓子に」

 

 この言葉が3代目虎彦の信条でもあり、実際に上田社長「「ものづくりへのこだわりと革命」を躊躇なく進めてきた。

 

上田社長夫妻

 さらに、虎彦のものづくりへのこだわりは菓子という中身だけでなく包装紙にまで及ぶ。

 郷土の歌人若山牧水の短歌を白く染め抜いた包装紙は四国愛媛の和紙で上質感を醸し出す。先代社長が昭和38年に牧水のご長男にお許しを得て以来今日まで使っているエンジ色の包装紙。虎彦のこだわりは「親譲り」だったのだ。

 そんな上田社長のものづくりへの姿勢と虎彦の開発力が他企業の目に留まらないはずはない。

 あるとき、大手の食品配達チェーンから大量の和菓子の受注依頼がくる。

 もちろん、すべて「買い取り」である。

 地域に密着した店頭販売と大手食品配達チェーンによる大量の和菓子の買い取りと全国展開。

 まさに記念すべき創業70年は虎彦にとって「飛躍の年」であった。

 しかし、そこに「新型コロナ」が襲いかかった。

 

 

老舗和菓子店を襲ったコロナの悲劇

 

 順風満帆であった虎彦にも新型コロナの影響は容赦なく降りかかった。

 客足は一気に遠のき、店の売り上げは激減。前年対比で50%近くもの売り上げを失う。

 特に和菓子は「贈答品」として買われることが多く、人が人に会わない時世には大打撃を受けた。

 そこにさらなる悲劇が襲う。

 大量の和菓子を毎日買い取っていた大手食品配達チェーンから突然、受注ストップがかかったのだ。

 

 「泣きっ面に蜂」

 

 虎彦は皮肉にも創業70年目にして最大の窮地を迎えることになる。

 普通、このような状況になれば、まず一番最初に縮小されるのは「人件費」である。

 しかし、上田社長は最後まで「リストラ」の判断をくださなかった。

 なぜなら、上田社長の脳裡には30年前に「商業会ゼミナール」で感銘を受けた「ある言葉」が焼きついていたからである。

 

 「店は客のためにある。従業員とともに栄え、店主とともに滅ぶ」

 

 この言葉は商業界ゼミナールを創設した「正しい商いの伝道者」故・倉本長治氏の残した名言で若かりし日の上田社長は大いに感銘を受けた、

 しかし、同時にこの言葉は日を追うごとに上田社長の首を絞めつけていく。

 虎彦を維持するためには、どんな状況にあっても「従業員とともに」栄えなければならないからだ。

 

 まさに絶対絶命。

 もはや、排水の陣である。

 そんなとき、倉本氏のもうひとつの言葉が「救いの手」を指し述べた。

 

 「店は客のためにある」

 

 その言葉を胸に上田社長はある決断をすることになる。

 

 「そうだ、客が来れないなら、こちらから行けば良いのだ」

 

 かくして虎彦は創業以来「初」となる「移動店舗」を実施することになった。

 

 

店舗売り上げを遥かに超える利益が

 

 2020年5月1日の朝、一台の「創業初となる移動販売車」が大量の和菓子を詰めて虎彦を出発した。

 そこには上田社長自らが乗り込み、隣には苦楽をともにしてきた妻の姿があった。

 

 令和2年5月現在、上田社長66歳。

 もちろんこれまで、訪問販売はおろか、御用聞きの経験もない。

 「これがダメなら後はない」

 そこには悲痛な覚悟が秘められていた。

 端から見ればあまりにも無謀。

 日本中探しても和洋菓子店が客先に出向いて商品を売るなど聞いたことがない。

 しかし、街に出た上田社長は予想外の光景を見ることになる。

 それは、一人目の客となった老婆のこんな言葉から始まった。

 

 「これまではちょっと和菓子が食べたくても敷居が高くていけなかったの。こうやってきてくれると嬉しいわ」

 

 その後も「お店に行きたくても脚が悪くて行けなかった」というお年寄りや「こういう社会不安な時に甘いものを食べれると幸せな気持ちになれる」など街の人からは次々と「歓迎の言葉」が跳び出してくる。

 結果的に、上田社長は店舗販売以上の売り上げを手にして店に戻るという「嬉しい誤算」が起きてしまったという。

 

 果たして何が起きたのか。

 

 まるで狐に摘まれたようである。

 そこで、この現象を企業コンサルタントであるマーケティングセバスチャンの久積正直社長に分析してもらった。

 

虎彦の移動店舗成功の秘密

 

『食の地方創生』

 

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