料理評論家・山本益博&美穂子「夫婦で行く1泊2食の旅」
#64
第63回 小倉と島原2つの日帰り旅
文と写真・山本益博
東京から日帰りで福岡・小倉の鮨屋「天寿し」、長崎・島原のレストラン「ぺシコ」へ
今回は「1泊2食の旅」ではなく、小倉の鮨屋「天寿し」日帰り、島原の「ぺシコ」日帰り旅の変則版です。
今や九州は東京から日帰りで食事できる圏内なのですね。小倉は知り合いが「天寿し」の予約をとり、お誘いを受けたところスケジュールが日帰りなら可能と言うことで出かけてゆきました。飛行機は北九州が便利なのですが、今回は羽田から福岡へ飛び、空港から博多駅まで地下鉄に乗り、博多から新幹線で小倉へ出ました。新幹線で博多・小倉間は20分足らずで行けます。
「天寿し」は東京までその評判が届く小倉の鮨屋の名店で、今回は2度目でした。一昨年春に出かけ、鮨を食べ終えた後、感想を問われ、二つほど申し上げたので、もしやそれが改善されているのに出かけないのは失礼とずっと気になっていたところでした。
ひとつは、切りつけたすし種の魚を陶板の上にしばらく置いておくために、温度が上がって、どのすし種も同じ温度になってしまってもったいない、と感想を述べました。白身は低い温度で、赤身はそれよりも少し高め、あなごなどは常温が美味しいのです。
もう一つは、あなごを握る前、炙っていたのですが、焦げてしまったところから苦みが出て、あなごの味を損ねて残念とお伝えしました。
今回出かけると、この二つが見事にクリアされていて、改めて「天寿し」の天野親方の度量の広さを感じました。すし職人は、なかなか、お客の意見を素直に聞き入れてくれないものですから。
「天寿し」では、つまみが出た後、いきなりおおとろの握りが出てきます。お客はこれにびっくりしながら「美味いなあ」の声を挙げます。その後の飾り庖丁の入ったいかの握りにも感心しきり、さらに、鯛のうえに肝が後付けされた握りで大満足となります。
おおとろ
いか
鯛きも
最後に、かんぴょう巻きをお願いすると、二代目の息子さんにバトンタッチ。その二代目が見事なかんぴょう巻きを巻簾で巻いてくれました。昔から、「ぼんやり、かっちり巻け」と言われ、ひょっとすると、握りより巻物のほうが難しいくらいです。
「江戸前」ならぬ「小倉前」の美味しい鮨を堪能して、東京へ戻りました。
親方の天野さんと一緒に
さて、次は長崎・島原の日帰りです。島原に「ぺシコ」と言う名のレストランがあり、ベースはイタリア料理なのですが、井上稔浩シェフが掲げているのは、地元の食材を駆使した「里浜ガストロノミー」です。この店も、一昨年11月に訪れて、あまりにも目の覚めるような料理に驚き、すぐに再訪したいと願いながら、コロナ禍で延期に延期を重ね、今年の4月になってしまいました。
朝5時起きして、8時15分のANAに乗り長崎を目指します。長崎空港に到着したのが10時10分、そこから諫早駅まで空港バスに乗り、諫早からは1両の島原鉄道で島原駅まで1時間20分の旅です。そうして、島原駅に着いたのが午後の1時、駅から歩いて店まで15分。羽田から5時間かかってようやく「ぺシコ」にたどり着きました。
長い旅路ですが、天気が良かったので、諫早湾に沿って進む単線1両の島原鉄道の車窓から見える風景がとても気分爽快でした。この電車、なんとも呑気に進みます。島原駅まで20駅あり、1時間ほど過ぎたころ、「日本一海に近い駅です」という車内アナウンス。大三東(おおみさき)駅、ホームの横がそのまま海でフェンスもありません。島原駅はさらに3駅先でした。
「ぺシコ」は海辺を望む1軒家のモダンなレストランで、店内に切り取った長方形の窓から有明湾が覗けます。席に着いた途端、都会の垢がすっかり落ちた自分に気が付きます。
室内から望む有明湾
卓上に置かれたメニューを開くと、シェフからのメッセージが記されていました。
わたしたちの料理は
山に湧き水を
汲みに行くところから始まります。
「里浜ガストロノミー」
ガストロノミーとは
自然と文化の共存だと考えています。
この土地の山と海がもたらす自然の恵みと
里浜の守り継がれた人々の文化を
お皿を通して
楽しんで頂けたら幸いです。
井上稔浩
メニュー
アミューズからデザートまで全11品。一皿一皿を詳述する余裕がありませんが、「里浜」の野菜と魚を皿の上に主従でなく同格に盛り付け、食材に対する敬意と感謝が伝わってきます。
井上シェフの料理には「清潔、洗練、品格」の三拍子が揃っています。「海底から」と名付けられた「鮑と玉ねぎ・アオサソース」は久しく忘れられない料理となりました。
いかとスナップエンドウ
鮑と玉ねぎあおさソース
長い間、ヨーロッパを回りながら、天才の料理を食べてきました。天才は1、直感する。2、創造する。3、変貌する。
の3条件を満たしています。日本では、まさしく「ぺシコ」の井上シェフがそうではないかしらん。
井上稔浩シェフ
「ペシコ」の外観
*この連載は毎月25日に更新です。
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山本益博(やまもと ますひろ) 1948年、東京・浅草生まれ。早稲田大学第ニ文学部卒業。卒論が『さよなら名人藝―桂文楽の世界』として出版され、評論家としてスタート。幾度も渡仏し三つ星レストランを食べ歩き、「おいしい物を食べるより、物をおいしく食べる」をモットーに、料理中心の評論活動に入る。82年、東京の飲食店格付けガイド(『東京味のグランプリ』『グルマン』)を上梓し、料理界に大きな影響を与えた。長年にわたる功績が認められ、2001年、フランス政府より農事功労勲章シュヴァリエを受勲。2014年には農事功労章オフィシエを受勲。「至福のすし『すきやばし次郎の職人芸術』」「イチロー勝利への10ヶ条」「立川談志を聴け」など著作多数。 最新刊は「東京とんかつ会議」(ぴあ刊)。山本益博さんの公式HPが新しくなりました! https://www.masuhiroyamamoto.com |