ステファン・ダントンの茶国漫遊記
#53
ステファンが旅する東京-九段下から
ステファン・ダントン
東京というのは不思議な場所で、周囲に堀が巡り、環状線が走る皇居が中心にある。その皇居の森の周りには、それぞれ独特のおもしろさを持った「村」が点在している。東京を歩いていると、ある道を境に別の個性を持った村に入ったと感じることがよくある。東京のおもしろさは「村」というか「町内」というか、要はその個性が散らばりながらまとまっているところなんじゃないかと思う。
前回は真夏の日差しの中、東京のパリとも呼ばれる「神楽坂」あたりを歩いたが、今回はそこから少し足を伸ばして東京のカルチェラタン「神保町」あたりを散策することにした。
少しだけ秋らしくなった9月のある日、スタート地点は九段下。平日午後1時過ぎの靖国通りは人通りも少ない。日本橋川に架かる俎橋(まないたばし)の上でふと思う。「この川を下っていけば私の職場がある日本橋だ。この川を船で行き来できれば素敵なのにな」
一緒に歩く友人たちは口を揃えて「昔に比べればきれいになったよ! 臭くないし。ほら、鯉も泳いでる」というけれど、もっと積極的に楽しめる川にできないものだろうか。
九段下の駅を出て神保町方面へ。
日本橋川に架かる俎橋にて。
「神保町に向かう前に、まずはステファンを案内したいギャラリーがあるんだ」という友人。私はアートにもとても関心があるから、もちろん彼についていくことにした。
靖国通りを少し進むと、通りの右側に小さな入り口。手書きの看板には「豊國アトリエ」とある。墨絵を中心としたアトリエであることが、英語でも表記されている。幅の狭い入り口を抜けるとこじんまりした空間の3方に墨絵作品が展示されている。仏画もあれば絵本の挿絵のような親しみの持てるかわいらしいものもあるが、どれも個性的。
一番気に入ったのは、仏様の体の周りにまとわりつくように描かれた子どもたちと龍の絵。
引き込まれるように見ていると、この墨絵の作者、本多豊國さんのご子息、優太さんが「気に入りましたか?」と声をかけてくれた。
「私も絵を描くのが好きなんですよ。もちろん鑑賞するのもね。この絵は立体感がいい。墨の濃淡で作られた奥行きが異界に引き込まれるようなイメージで…、仏様の足に力強さがあるから、見ている人の気持ちも安定するような。ともかく全体的に気に入ったよ」
さらに続けて
「ただ、これを描いた人は1カ所不満なところがあるんじゃないかと思う。それは…、1カ所墨を重ねると、その周りもバランスを取って色を濃くしなきゃいけないでしょ。本当はもう少し薄く仕上げたかったように見えるけど」
ずけずけいう私に、優太さんは優しい眼差しと声で、
「父の最新作なんですよ。作品を自由に、さまざまに感じてもらうのは嬉しいと思います」
と答えてくれる。インスピレーションを喚起されまくった私は、
「この墨絵の上に薄くワックスを引いて、後ろからライトを当てたら立体感が出ておもしろいはず」
「新しく店を出すときに墨絵+ライトをデコレーションにしたいな。そうだ! そのときには、こちらのアトリエで教えてもらいながら制作できますか?」
「豊國アトリエ」の入リ口にて。
大きくはないスペースの壁一面に作品が並ぶ。
一番気に入った作品の前で作者のご子息、本多優太さんにお話をうかがう。
「こちらのアトリエでは墨絵体験もやっていますので、ぜひどうぞ」
豊國アトリエでは「墨絵おえかき」と題して、国籍も年齢も問わず、さまざまな人に墨絵に気軽に取り組んでもらうクラスを開催しているのだそうだ。
「小さな子どもたち対象のクラスでは、気づくことも多いです。とくにはじめて筆を握る外国の子どもたちの様子を見るのはおもしろい。最初は真っ白な和紙に墨を置くのを躊躇していた子が、紙一面を真っ黒にすることに夢中になっていく。呼吸は静かに整っていく。墨がなくなると、目線で私に訴える。言葉はなくても通じあう。そのうち真っ黒の画面に1点だけ白い部分を残すようになって。無意識に作られた空白について考えをめぐらせているようで、創作の始まりに思えました」と優太さんは語ってくれた。
墨絵体験に参加したフランス人の子どもの筆が残した墨跡を、そのまま記憶として留める作業テーブル。これも意味のある作品といえるかもしれない。
テキスト通りの一辺倒の日本文化紹介ではつまらない。本当の意味で相手とつながり、本当の意味を伝えることを大事にしている人と出会えれば、誰でも自然に日本の文化と交われることを改めて教えてもらった気がする。
後ろ髪を引かれる思いで豊國アトリエを後にした。
皇居の周りの昭和のビル群に…
靖国通りをまっすぐ進めば、すぐに神保町に着くはずだ。でも私たちはあえて遠回りすることにした。一旦、東京の中心である皇居のそばまで行って、そこから離れるように外側へ向かって歩くことにした。
竹橋のお堀の外のベンチには、ちらほらと外国人の姿が。記念撮影する観光客に混じって、スマホの画面に見入っている近くで働いていると思われる人もいて、今の東京を感じた。
「ステファンは権威的なものが苦手だから皇居に入ったことないでしょ?」と聞かれて観光客だったころの自分を思い出した。
「私も一度だけ皇居に入ったことがある。留学前の夏休みに日本に遊びに来たときに、外国人が最初に行きそうな場所には大抵行ったよ。皇居に来た日は何かの儀式の日で、天皇はじめ皇族の方にも会ったよ」
竹橋のたもとには外国人ばかり。私も初めて東京観光した日を思い出した。
竹橋から北上する。皇居の辺りからしばらくは、大きな学校や会社などが並んでいる。大分古いもの、きっと昭和の時代に建てられのだろう建物が目立つ。それぞれが個性的なデザインで、会社の気概みたいなものを感じる。近頃あふれる無機質なビル群とは一線を画す。友人は「最近のビルは墓石に見えることがある」とちょっと過激な表現で私の見方に同調する。
首都高の下からビル群を見る。
「ステアファン、あのビルがなんの会社のものかわかる?」
友人が指差す方向のビルの合間に、筋の入った煙突状の塔が顔を出している。形状とオレンジ色が周囲のグレーのビル群の中で異彩を放っている。「なんだろう? ずいぶん個性的だね」という私に「コンドームの会社だよ」と友人は教えてくれた。いわれてみれば、まさにそのものの形。自社の主力商品をビルのデザインに取り入れるプライドとユーモアに感服だ。
不二ラテックス本社ビルを眺めながら。
建物が建て主の個性を示すメディアになって、まちの個性を作るのは自然なこと。個性のないまちはつまらない。今の東京の新築ビルはおもしろいだろうか? おもしろいまちを作っているだろうか?
神保町の古書店街にて
会社や学校が立ち並ぶ道を北上していくと、東西の通りを渡るごとにムードが変わっていく。大きな建物から小さな建物へ、小さな会社の間には飲食店も目立ってくる。ちらりほらりと古書店が目に入ってきたな、と思ったら書店街のメインストリート「すずらん通り」にたどりついた。
個性的で魅力的な古書店が立ち並ぶこの通りが、大好きだ。そもそも私は本も大好きだし、画集を集める趣味もある。本屋の店先からはその店の個性が溢れている。ふと惹かれて入った古書店に入れば必ずおもしろい発見がある。自分の知らない、自分が忘れていた、自分の好きなものに出会える。私は本のページをめくったときに立ち昇る本の香りを、ことの外愛している。どの店に立ち寄っても、書架からその店独特の「本の香り」が漏れ出ている。古書店は私にとって至福の空間。いつまでも何時間でも楽しめる。
外国の古い雑誌を集めた古書店で、ステッカーに夢中になる。
日本の古書を眺めるのも楽しい。
百科事典で世界を知った子どもの頃を思い出す。
額縁専門店にて。
何軒かの古書店をひやかして、昔の雑誌やら画集やらを眺めては次の店へ。友人が懇意にしている額縁店にも立ち寄った。さまざまな用途の専門の額縁だけを集めた専門店のどっしりとしたプライドが好もしかった。ふと気づくと、あっという間に2時間ほどが過ぎていた。
「ちょっと休憩にしようよ」
「このまちらしい店でコーヒーでも飲もう」
私たちは、このまちの文化の香りにふさわしい店を探しに向かった。
*この連載は毎月第1・第3月曜日(月2回)の更新連載となります。お楽しみに!
写真/ステファン・ダントン 編集協力/田村広子、スタジオポルト
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ステファン・ダントン 1964年フランス・リヨン生まれ。リセ・テクニック・ホテリア・グルノーブル卒業。ソムリエ。1992年来日。日本茶に魅せられ、全国各地の茶産地を巡る。2005年日本茶専門店「おちゃらか」開業。目・鼻・口で愉しめるフレーバー茶を提案し、日本茶を世界のソフトドリンクにすべく奮闘中。2014年日本橋コレド室町店オープン。2015年シンガポールに「ocharaka international」設立。著書に『フレーバー茶で暮らしを変える』(文化出版局)。「おちゃらか」http://www.ocharaka.co.jp/ |