沖縄にも暮らす 二拠点生活の日記

沖縄にも暮らす 二拠点生活の日記

#15

二拠点生活の日記 Apr.25~May.2

文と写真・藤井誠二 

4月25日  [SUN]  

 

 昼過ぎまで仕事をして、ジュンク堂のカフェへ歩いていく。途中でスタバに寄って冷たい珈琲を飲みながら、大容量のファイルをいくつか送る。拙宅はWiFi環境がよくないから。レターパックでゲラを編集者に送るためポストに投函。タイトルにひかれて『ユタの境界を生きる人々 ━現代沖縄のシャーマニズムを再考する』(平井芽阿里)を購入。ジュンク堂一階のカフェである女性にインタビュー。夕刻、今日もまたセンベロ寿司屋台「米仙」へ一人で寿司を一人つまむ。皆勤賞はのがしたが、今回の滞在では6回目。ここばかりで飯を喰っているな。帰りに乗ったタクシーでドライバーさんが折り紙をくれた。タツノオトシゴ、だと言う。信号待ちの間、折っているという。「30種類は折れるよ」。ものすごい速さで信号が青に変わるまで折り続けていた。

 

4月26日  [MON]  

 

 お笑い芸能事務所FECに歩いていく。社長の山城智二さんと久しぶりに会う。そのあと引きこもりの若者等を支援するNPO「kukulu(ククル)」へ。活動を記録した本の打ち合わせ。終わったら目と鼻の先にある「米仙」へ。4月29日からホテル・アンテルームで個展を開催する岡本尚文さんら関係者がずらりとカウンターにいた。7時になったのでコンビニで買い物するために歩いていたら、キャンヒロユキさんに会って、「タコライスラバーズ」の山川宗徳さんを紹介してもらう。キジバトはもうやってこなくなった。今回はファンクバンドの「ヴルフペック」のアルバムを三枚持ってきたので、ずっとそればかり聴いている。

 

4月27日  [TUE]   

 

 予定していた予定が延期になったので、拙宅で原稿を書く。休憩兼ねて洗濯。今日もまた仲村清司さんが泊まりにやってくる。「おとん」の池田哲也さんも合流して栄町「チェ鳥」でかるく飲み食いする。どの鳥串を喰っても美味しい。客はぼくらだけだった。帰還して仲村さんとだらだらずっとしゃべっているうちに寝てしまった。

 

4月28日  [WED]  

 

 深谷慎平くんのクルマに乗せてもらい、首里の「ななほし食堂」でゆし豆腐定食を食べてから、リニューアルオープンした「ひめゆり平和祈念資料館」へ。去年、「アエラ」の「現代の肖像」で普天間朝敬館長を取材させてもらって以来。リニューアルオープン特別企画展「モノが運ぶ物語」「平良孝七が撮ったひめゆり学徒たち」も観た。館長は残念ながら休みだったが、当時の取材時にお世話になったスタッフの方々にリニューアルの感想を聞かれ、すこし言葉を交わす。帰りに第一外科壕と第二外科壕跡をまわって合掌する。途中、雑草を刈り取ったあとと思われる更地にコンクリートブロックだけでつくった小さな建物がポツンとあった。その中には6人分の香炉があった。間違いなく地上戦で一家が全滅した家のあとだろう。「イクサウティ チネードーリ ソーン」とお年寄りは表現すると聞いた。ぼくが通りかかった糸満市の「米須」という地域では全257戸のうち62戸が一家全滅、半数以上の家族が殺されたのは93戸だったという記録もある。大城弘明さんの『鎮魂の地図━沖縄戦・一家全滅の屋敷跡を訪ねて』(2015)という写真集は静かに悲壮さ、むごさが伝わってくる。

 

4月29日  [THU]  

 

 朝から仕事をして、昼から首里へ。「琉球新報」の月イチ連載に取り上げる予定のある男性にインタビュー。先日、東京でも会った。臨床心理学者の東畑開人さんと彼がオンライン対談をするスタジオにまぎれこませてせらったのだ。インタビュー後、フェリーの発着場「とまりん」の裏手にある「ホテル アンテルーム」で始まったばかりの写真家の岡本尚文さんの個展へ。在廊していた岡本さんと海を見ながら珈琲を飲む。そのあとは、またもセンベロ寿司屋台「米仙」で岡本さん夫妻と普久原朝充君とで飯を喰う。飯を食いに来た知念忠彦さん夫妻や、通りかかった「箆柄暦 (ぴらつかごよみ)」 ━沖縄のイベント等の情報紙━ 発行人の、はぎのかずまささん夫妻と遭遇。「夫妻」と表記すると失礼に感じてしまうのだが、パートナーの名前を存じあげないので、すみません。

 

4月30日  [FRI]  

 

 午前中は仕事をして、昼からレンタカーで読谷村へ向かい、ある気鋭の社会学者を取材。セナハビーチがのぞめる「オーガニック リーフ」というオーガニック素材で調理した料理や食材等が楽しめる店。はやくに到着したのでよもぎのペーストを購入。そこのテラス席で三時間たっぷりと話を聞く。それまでとは、その人の印象ががらりと変わるほど、やはり根掘り葉掘りインタビューする「非日常」的行為のおもしろさをいまさらながらに実感。そういう取材ができたあとがいちばん充実感がある。那覇に戻って一人でまたもセンベロ寿司屋台「米仙」へ歩いて行った。行ったら友人が飲んでいた。ブリカマ焼きがなんと780円で、かつ巨大すぎた(二皿になった)ので、半分おすそ分け。

 

5月1日  [SAT]  

 

 昨日買った、よもぎのペーストをスパゲティと和えて食べる。午後から沖縄県総合福祉センターへ。「第32軍司令部壕の保存・公開を求める会」が開く牛島貞満さんの学習会に参加するため。祖父は沖縄戦で守備軍を率い、自殺した牛島満司令官の孫である。軍隊は住民を守らないという信条を初めてリアルで聞かせてもらった。知り合いの顔もちらほら。そこで配布された牛島貞満さんの書いた文章が載っている冊子(会報)にこんな文章があった。

 [高校生の頃、日本軍が中国や朝鮮でやってきたことを文献などで知った。家族から聞く「立派な牛島中将」の姿と、日本軍の侵略の事実は、なかなか結びつかなかった。そのうち私は、6月22日の慰霊祭には参加しなくなっていた。教員になってからは、沖縄には、ぜひ行ってみたいという衝動と、祖父のことで沖縄の土を踏みがたいというキモチがあって、なかなか決心がつかなかった。それは、自分なりに平和や人権を大切にする教育をしてきたつもりだったが、自分の祖父がやったことをどう思っているのかと、沖縄の人に問われたら何と答えればいいのか、自分の中で整理がついていなかったからだった。]

 死んだ祖父のことを思い出した。彼の軍隊体験は面と向かって聞いたことがなかったが、南方戦線の生き残りの一人だということは本人の口から聞いたことがある。二等兵だった。韓国を支配下に置いていた時代にはソウルに住んでいたこともある。夕食時等に酒を飲んでは軍歌を歌い、日本の侵略を美化するような話ばかりしていた。「現代史」に関心を持つようになった高校生のぼくを「孫がアカになった」というようなことを言って嘆いていたっけ。ぼくは小学校二年のときに父親を亡くしていたから、祖父が父親がわりのようなものだったが、そんなことから、やがて祖父が嫌いになり、遠ざけ、軽蔑すらするようになった。

 モノレールを降りて、ゴーヤーチャンプルー弁当と鯖の塩焼きを買って、家で食べた。

 

5月2日  [SUN]  

 

 那覇空港で「沖縄弁当」を食べ、午前中の飛行機で東京へ。那覇空港で350円の「チャンポン弁当」を喰う。沖縄で「チャンポン」といえば、ご飯の上に、肉や野菜やかまぼこを炒め煮にしたものを卵でとじてのっけるというものであることは、すでに世間ではよく知られていると思うが、ちょっと冷えた弁当はご飯に汁が適度にしみていて美味いのだ。

 

*筆者の近況はtwitter(https://twitter.com/seijifujii1965)でご覧いただけます。

 

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藤井誠二(ふじい せいじ)

1965年名古屋生れ。ノンフィクションライター。2006年から沖縄県那覇市の中心部に仕事場を構え、東京都世田谷区と二拠点生活を送っている。著作は50冊以上。沖縄関係の著作は『沖縄アンダーグラウンド  売春街を生きた者たち』(講談社)、作家の仲村清司氏と建築家の普久原朝充氏との共著で『沖縄オトナの社会見学R18』(亜紀書房)、『肉の王国 沖縄で愉しむ肉グルメ』(双葉社)がある。『沖縄アンダーグラウンド  売春街を生きた者たち』は、2018年に第5回「沖縄書店大賞」沖縄部門で大賞を受賞。

 

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