沖縄にも暮らす 二拠点生活の日記

沖縄にも暮らす 二拠点生活の日記

#12

二拠点生活の日記 Mar.15~28

文と写真・藤井誠二 

 

2021

3月15日 [MON]

 

 空港から直にジュンク堂に寄って、森本浩平店長とゆんたく。夜は社会学者の打越正行さんと栄町でかるく「チェ鳥」で焼き鳥を喰いながらいろいろ話す。彼が沖縄に来るのは約1年ぶり。打越さんといえば『地元とヤンキー』の著作が有名。やっぱ沖縄の空気はええわあ、と連呼していた。

 先日、「琉球新報」の月イチ記事 ━先々の分━ を書いていて、何か要素が足りないと思った。何かが隠れているような気がした。たしか沢木耕太郎さんは、そう直感したらそういうときは会えるのであれば、相手にすぐに会いにいくべきだ、とどこかのコラムで書いておられた記憶がある。顔を観て言葉をかわせばきっと何か突破口のようなものががひらけるだろうという、書き手としての流儀のようなものか。ぼくがすぐに相手の都合のいい時間帯を聞いて、電話した。それから約一時間、相手と話し込むことになった。彼が沖縄に移住してきて、この話は初めて人にしましたよと笑っていた。彼の人生の中で、ぼくにとって「空白」だった時間を埋めることができた。

 

3月16日 [TUE]

 

 バルコニーに出て落ち葉を掃除していると、いつものガジュマルの木陰の場所にキジバトのつがいがいる。先月、雛鳥の死骸を片づけたことを思い出した。また営巣してここで子どもを生んで育てるつもりなのか。

 早朝に起き出して、ゲラのアカ入れを二本こなした。この日記が出ているころには「アエラ」の「現代の肖像」に臨床心理士の東畑開人さんの人物ルポが出ているはず。そのあと10時すぎにジャン松元さんと合流して南城市の津波古へいってある人を取材。そのあと、コザまで走り、また取材である人を撮影だけ。予定になかった急なお願いを快諾してもらった。さらに首里に移動、「琉球新報」でジャンさんとコンビで連載している人物ルポを、ジャンさんとの共著というかたちで編む『沖縄ヒトモノガタリ』(仮題・琉球新報社刊)のために書き下ろし+撮りおろす方にインタビューと撮影。どなたを取材したかは本が出てからのお楽しみということで。

 「ひばり屋」で珈琲を飲み、一休み。夕刻五時、「串豚」のシャッターを開くのを表で待ちながら、一番乗り。銭湯の一番風呂みたいでなんか気持ちいいなあ。やがて、「おとん」の池田哲也さんがあらわれて、ゆんたく。少し飲んだら、疲れがどって出て、19時ぐらいに帰宅して寝てしまった。深夜に目が覚めて、はげしく空腹を覚え、沖縄そばをすこし食べてから、また寝た。

 

3月17日  [WED]

 

 トータルで10時間以上は寝た。起きて、残っていた沖縄そばを食べて、仕事。息抜きでバルコニーの植物の剪定。夕刻に牧志のアーケード商店街にある、ひきこもりの若者を支援するNPO「Kukulu(ククル)」へ歩いて出かけて打ち合わせ。国際通りはだいぶ人手が戻っている。「一幸舎」でラーメンと餃子、ビールを一杯。

 

3月18日  [THU]

 

 朝、起きて「アエラ」の「現代の肖像・東畑開人さん」の告知をSNSで開始。22日に発売。沖縄では3日ほどあとになる。超気鋭の臨床心理士の東畑さんは四年半ほど沖縄で仕事をしていた。

 桜坂劇場へ歩いて行って「二重のまち/交代地のうたを編む」(小森はるか+瀬尾夏美・監督)を観る。「3.11のあの日」に遠く離れた場所にいた四人の若者が「新しい町」を訪れ、対話を重ねて物語『二重のまち』を朗読するワークショップの記録である。桜坂劇場で映画を観る機会がだんだん増えてきているので、この際、会員になったほうが得だと判断して申し込んだ。

 「陶・よかりよ」に行って、オーナーの八谷明彦さんとやちむんゆんたく。いろいろ迷って茨城県笠間市で作陶する阿部誠さんの作品を買う。帰りに「すみれ茶屋」に寄って、晩飯を喰う。客はぼく一人。テビチの煮付けや蛸の卵(生)が出てきた。蛸の卵が美味すぎて、泡盛をつい飲みすぎてしまう。

 中日新聞の月イチ連載書評に候補本を担当者に、次回に取り上げる書名を知らせたら、すでに時間差で別の筆者が取り上げていた。急遽、変更することになり慌てる。

 

3月19日  [FRI]

 

 朝早く起きて、原稿を書く。夕刻からある女性に新都心のスタバに会いに行く。取材をさせてもらうのだが、その前の御挨拶。新都心のタリーズカフェのテラスで話をうかがっていたら、那覇市会議員の中村圭介さん、写真家の普久原朝日さんがあとで合流してきた。おふたりとも久しぶり。しばし、ゆんたく。新都心でもテレス席は気持ちいい。タリーズの隣にある球陽堂書店の新里哲彦店長にあいさつをした。

 そのあとで道路をはさんですぐ向こう側にある、県立博物館・美術館に寄って、写真家の石川真生さんの個展を見る。やはり1970年代の黒人の海兵隊員やその家族を撮った写真群が、被写体の圧倒的な存在感を感じさせる。図録も買う。貴重だ。その足で泊の「串豚」へ。取材中の男性と会う。取材を受けているうちにいろいろなことがアタマに浮かび、それを会って話したいという。取材者は相手の言葉をすべて、いったんは受け止めなければならないとぼくは思っている。インタビューして、はい、おしまい、ではないのだ。相手の記憶は、外側からはたらきかけることによって ━取材を受けるのなんて初めてという人が多いので━ 蘇っていくことが多い。エンドレスといってもいいかもしれない。いろいろなノンフィクションを読んでいると、それまでいっさい封印してきた話を、初めて会った取材者に語るシーンがよく出てくる。書いていないだけで、取材活動の裏にはたいへんな努力があるはず ━運良く初見でインタビューができたというケースもある━ だと思いたいのだが、ぼくは取材相手と取材者が出会っていく過程をも読みたいと思ってしまうたちだ。「串豚」のあとは、近くの「たのし~さ~」という居酒屋でもう一杯。店主の百瀬政行さんはぼくと同じ愛知県の出だということがわかった。

 

3月20日  [SAT]

 

 テレビが壊れた。いろいろ調べて復旧を試みたが、10年以上は使っているし寿命か。地上波しか映らないし ━BSは入れてなかった━ どうせほとんど観なくなっているし、キー局がつくる情報バラエティ系番組は不愉快なやつばかりなので(ぼくの感想です)、この際、しばらくはテレビなし生活に移行してみようと決めた。

 昼に、ジュンク堂で集英社文庫の田島悠さんと合流。講談社から出してもらった『沖縄アンダーグラウンド』は、「補章」を加筆して、集英社文庫に入ることになった。タイトルは変えないが、解説は真藤順丈さん、帯の推薦文は五木寛之さん、表紙の写真は故・平敷兼吉さんと中川大祐さんの作品をダブルで使用する。それに二万字以上の「付章」を書き下ろして親本を一新させる。田島さんとジュンク堂の森本浩平店長を一階のイタトマで待っていたら構成作家のキャンヒロユキさんとばったり。田島さんと森本さんで最近オープンしたばかりだというパラダイス通りにある「沖縄そば おいなり 唐揚げ 花はな商店」で「ソーキそば おいなり 唐揚げ」のセットを食べる。美味しい。

  田島さんと沖映通りのレンタカー屋で運良く安い軽自動車を借りて、ぼくが運転して(田島さんは不案内なので)、宜野湾市の真栄原新町に行って、クルマを停めてぶらぶら歩く。人が住んでいる気配はあるけど、元売春店は取り壊され、けっこう更地になっていた。こうやって街の姿も記憶も消えていくのだろう。そのあと、コザの中央パークアベニューの「チャーリータコス」横にスタジオを構える写真家の中川大祐さんをたずね、過去の作品をいろいろ見せてもらう。中年の売春女性を撮ったものや、米軍兵士たちの日常など、どれもすばらしい。さらに浦添に移動して平敷七海さんに挨拶。さきにも書いたように、文庫版の表紙は中川大祐さんと、故・平敷兼七さんが、真栄原新町の同じ場所からまったく同じ地点から街の一角を切り取った作品をコラボしたものを使わせていただく。作品の時間差は何十年だろう。その見本が出来上がってきたので、田島さんがお二人に見せにきたのだ。とても満足してもらえたようで一安心。平敷さんのギャラリーに「ご自由にお持ちください」と書いてある、壊れたフィルムカメラが十台ほど置いてあった。聞けば、父親のドキュメンタリーを作ったテレビディレクターのコレクションの一部だとか。なつかしいオリンパスのものを一台、いただく。小ぶりだけど、ずっしりとした重みがいい。兼七さんの写真を複製して七海さんが販売している「作品」も数点購入。また額装しよう。

 クルマを返して、ジュンク堂に寄って森本店長に声をかけようと思って行くと、隣に見覚えのある男性が。「藤井さん、ブックマン社です」。あ、前にブックマン社から『学校は死に場所じゃない』という本を出したときに東京や名古屋の書店を営業でいっしょにまわった方だ。聞けば、担当してもらった編集長の小宮亜里さんも別件で那覇市内の別のところにきているみたい。

 夜は一人で栄町「おとん」へ顔を出す。常連さんたちと飲んでいたら、参議院議員の有田芳生さんがあらわれた。ひとしきり話をした後、ぼくは安里三叉路の「鳳凰餃子」へ移動。写真家の岡本尚文さん夫妻と普久原朝充くんと合流。岡本さんは来月から長期間(4.29~8.29。パート1とパート2にわかれている)、前島の「ホテル アンテルーム那覇」で個展を開く。ぜひ足を運んでほしい。

 

3月21日  [SUN]

 

 昨日から、ある元政治家の方に何回か電話しているのだが、なかなかつながらない。つながったと思ったら ━前にお目にかかっているのだが━ 年度末の諸事情でなかなか、もう一度会う日が決められない。連絡を待つことにする。昨夜、スーパーで買っておいたゆし豆腐を食べ、文庫版のあとがきを書く。夕刻に桜坂劇場の「さんご座キッチン」で書評用に本を読む。そのあと田島悠さんと「浮島ブルーイング」で「仲村渠WheatX」という稲作の発祥地である 仲村渠に(なかんだかり)で今もつくられている古代米(籾殻)をつかったエールビールを飲む。シトラという柑橘類の香りが強いというのがウリだが、フルーティで苦みもしっかりしていた二杯もおかわりしてしまった。ジュンク堂・森本浩平店長も合流してきて栄町の「ルフュージュ」で晩飯を食いながら、文庫版の売り方について相談。料理は安くて、美味い。何よりもオリジナル性が強く感じられる。大城忍店長がいたので、ごあいさつ。同じ栄町の「ももすけ」で豚玉お好み焼きやカスヤキソバをあてに久々に深い時間まで痛飲。

  今回の数日間は、たしか90年代後半に話題になった映画『バッファロー’66』のビンセント・ギャロ ━いまやネトウヨみたいになっちゃったけど━ の『When』をずっとかけている。

 

3月22日 [MON]

 

 冷蔵庫にあった野菜類とソーセージで焼きそばを作って食べる。文庫版に新たにいれる「付章」をもう少し待ってもらう。5月後半には発売予定だから急がないと。遅めの午後から牧志にあるNPO法人「Kukulu(くくる)」へ歩いて行って金城隆一さん、今木ともこさん、深谷慎平くんたちと進行中のプロジェクトの作業を続ける。二時間以上集中したら、ぐったりして、四人で牧志市場街の「米仙」でセンベロ寿司。もう一軒行こうと気になっていたパラダイス通りの半オープエアの「餃子の店 華」へ。そしたら、なんとなつかしい顔が。向こうもびっくりしている。前に安里にあって、よく通っていた「漢謝園」でフロアやレジを担当していた女性だった。姿を見ないなとこのところ思っていたが、なんといまはこの店の店長になっていた。餃子が名物なのだが、漢謝園と同じで美味い。もとをたどればバンダ餃子という沖縄の名物と交錯するのだが、餃子を通して沖縄の台湾人人脈の一端を知れた。ぼくは彼女をずっと沖縄で生まれた台湾の方だと思いこんでいたのだが、ウチナーンチュだということがわかった。また来よう。帰り道に昨日取材であった女性と、ライターの島袋寛之さんと写真家の普久原朝日さんらとばったり遭遇。

 

3月23日 [TUE]

 

 近くのホテルロビーである女性を取材。「琉球新報」の月イチ連載のため。舌鋒鋭い彼女の言葉に耳を傾ける。きびしいその言葉は、「ヤマト」からやってくるライターや研究者へのものだ。ぼくはあえてそれを聞きに行く。

 そのあとぶらぶらと「陶・よかりよ」に寄って、やちむんゆんたく。先日から迷っていたキムホノ作品を一つ購入。その足で栄町「チェ鳥」へ移動。映像ディレクターの當間早志さんと普久原朝充君を待つことにした。ぼくが店に着くと、OTVの松田牧人さんらがいてびっくり。二人が現れるとほぼ同時に、森本店長と出版社「トゥーヴァージンズ」の編集者・小宮萌さんもあらわれ、ほぼ関係者で店が埋めつくされて笑った。そのあとで、いまやすっかり立ち食い寿司屋に衣替えした「トミヤランドリー」に移動してかるく寿司をつまむ。ここは何をやっても美味いなあ。

 

3月24日  [WED]

 

 ずっとデスクワーク。まだ電話でしか話したことがない ━何度かコメントを使ってもらった━ 「週刊新潮」の高岩万沙さんから沖縄に住んでいる姉妹のところに来ているのでお茶でもどうですかとのメールが来て、遅い午後に近くのホテルのカフェでゆんたく。夜は某大手広告代理店の人たちと久茂地で会食。まちがえて一時間近く早めに着いてしまったのだが、「百々」という、芸能人やプロスポーツ選手の写真やサインで店内は埋めつくされ、久々にクセを強く感じる(笑)店に来た。料理はおまかせのみで、美味しい。そのあと桜坂の「BARサクラザカ」に移動して昭和ポップスに浸る。みなさんは違う店に流れたが、ぼくだけ日付をまたぐ前に帰還。

 

3月25日  [THU]

 

「琉球新報」の月イチ連載「藤井誠二の沖縄 人ものがたり」の掲載日。二度寝して昼過ぎにコンビニに買いに行く。今回は、犯罪被害者遺族の川満由美さん。ついでにTSUTAYAに併設されているカフェでガパオライスとアイスコーヒー。帰って、シャワーを浴びて、『アンオーソドックス』(デボラ・フェルドマン  中谷友紀子訳)の書評原稿を中日新聞の担当者へ送る。今日はこのままこもって仕事をしよう。

 タブレットでネトフリの「トランスジェンダーとハリウッド 過去、現在、そして」を観る。表現に関わるすべての人間はこの作品を観たほうがいい ━とくにテレビや映画などの映像関係━ と強く思った。トランスジェンダーなどの描き方に対する意識など、日本は遅れに遅れている。映画の世界はとくにジェンダーの扱い方に対して関心が低い。ついでに言えば、パワハラやセクハラも「あって当たり前」的な意識を旧世代から感じることが多い。映画監督の深田晃司さんや、前に取材した白石和彌監督が孤軍奮闘状態で、そういった映画界の体質を変えるために闘っているが、彼が言うように変えていかないと業界の未来はないような気がする。

 

3月26日  [FRI]

 

 昼過ぎで宜野湾市にある「パイプラインコーヒー」で宮城恵輔さんを取材。飲酒運転でバイク事故を起こし、大きな障害を持ってしまった彼は、「俺みたいになるな」というメッセージをデレビや講演などで発し続けている。はやめに宜野湾に着いて「HYGGE(ヒュッゲ)」でドーナツで昼飯、オーナーの権聖美さんとゆんたく。ついでに向かえ側にある「JIMMY’S」で食パンを買う。パイプラインコーヒーは「HYGGE」の二軒となり。宮城さんは雨や用事がない日以外はこの店のテラス席にいる。彼は両手が動かないので、口にタッチペンをくわえてタブレットに絵を書いている。タバコをくちにくわえさせ、ライターで火をつける。トイレの介助を頼まれてトイレに行くときに、ジャン松元さんに宮城さんが「これも撮りますか」と笑っている。ぼくがズボンとパンツを下ろすので、ぼくごしに撮れば大事なところは写らない。撮ってみたが、これは使えねえなあと三人でげらげら笑った。

 那覇の「ひばり屋」に寄って、拙宅にいったん戻り、栄町「おとん」へ飯を一人で食いに行く。常連たちとゆんたく。

 

3月27日  [SAT]  

 

 桜坂劇場に歩いていって「緑の牢獄 GREEN JAIL」を観る。単行本の『沖縄西表炭鉱に眠る台湾の記憶』を事前にぱらぱらと読んでいたし、黄インイク監督から直にメッセッージをもらっていたこともあり、監督とカメラマンの中谷駿吾さんの舞台あいさつも聞いた。西表島に台湾から移住してきた女性 ━2018年に亡くなった━ の人生。ときに彼女の言葉が詩のように聞こえるときがあった。エンドロールに井上修さんの名前があった。井上さんは1971年公開のドキュメンタリー映画「モトシンカカランヌー」の共同監督で、その後、台湾の先住民族で組織された旧日本陸軍部隊「高砂義勇隊」の戦死者が靖国神社に合祀された問題を記録した「山草之歌━台湾原住民の吶喊 背山一戦」をつくっているから、そのときのスチール写真などを映画内で使っている。監督や中谷さんとちょっと話して、二人とも那覇在住なので、今度ゆっくり会いましょうねと約束。黄監督が「台湾で会いましょうか」と笑っていたが、入国したらホテルに二週間隔離される。自宅に帰って、たまっている仕事を寝るまで続けよう。今日は毎食すべて、昨日、仕込んだカレーを食べる。

 

3月28日  [SUN]  

 

 原稿を一本仕上げて外へ出るとそれまで小雨だったのにとつぜんの豪雨。びしょ濡れになる。壺屋の「陶・よかりよ」に寄ってキム・ホノさんの器を眺めたあと、ある作品の内金を払って取り置きしてもらった。そのあと、桜坂劇場に行って写真家の岡本尚文さんと建築家の普久原朝充さんのトークを聞く。彼らの著書『沖縄島建築』をめぐる話なのだが、普久原さんの沖縄建築オタクぶりが炸裂、とくに「花ブロック」ができる経緯の話は楽しかった。終わってから三人で牧志のセンベロ寿司「米仙」へ。屋台で寿司をつまむのは風情がある。ふと、「藤井さ~ん」と名前を呼ばれたのでそちらを見ると、ジャージ姿で丸坊主、草履ばき、カップ麺らしきものが入ったビニール袋を下げたマスク男が立っている。しばらく誰かわからず、かつマスク越しの声が聞き取りづらかったので、名前をもう一度たずねると、なんだ、ライターの橋本倫史さんじゃないか。丸坊主でマスクにしているせいもあり、一瞬、混乱してしまった。橋本さんの『ドライブイン探訪』は大好きな本だ。彼はいま、那覇の牧志の市場界隈のルポを毎月「琉球新報」で連載している。担当者もぼくと同じ。橋本さんをテーブルに誘い、センベロコースをごちそうする。考えれば、岡本さんも同紙の副読紙「かふう」で連載しているし、普久原君は「沖縄タイムス」の副読紙「タイムス住宅新聞」で連載している。みんな沖縄地元紙月イチ連載仲間なのだが、月イチとはいえ、かなり骨を折る仕事なのだということをあれやこれや話し合う。

 帰還して、自衛隊と沖縄の「境界」はなくなったのかを問う「沖縄タイムス」の連載記事[「防人」の肖像]を読む。全編を読んではいないのだが、記事にはいろいろと賛否両論があるだろう。[日本の教育は長年、憲法9条との兼ね合いで、実践的に自衛隊を取り上げることをタブー視してきた。「進路を選ぶべき生徒と教員が一緒に、自分事として自衛隊を議論する。結論は個々で違って構わない」。入隊後に命を奪い、奪われる可能性を見つめ、問い直す必要性を身に沁みて感じている。]という ━ぼくも面識があるが━ 琉球大学教育学部准教授(当時)の山口剛史さんのコメントが重い。

 ぼくが初めて沖縄に来た30年以上前、渡嘉敷島のビーチで知り合った若い男性は自衛隊員だった。「沖縄では自分は自衛隊員だって言わないようにしています」と語っていた。沖縄では、友軍としてきたはずの日本軍32軍に裏切られたという意識が強く、それは自衛隊への嫌悪感情にもつながっている。

 ぼくは一時期、まいとし日教組の教研集会に行っていた。年に一度、持ちまわりで各都道府県で開催される。一週間ほどの開催期間、百をゆうに超える分科会から興味や取材対象になるものを選び出しては傍聴する。事務所に全分科会で発表されるのレポートすべてが、ダンボール10箱近く届いていて置き場所に困っていた。どこの会場にも「日教組フンサーイ!」と連呼する右翼の街宣伝カーが結集していた。日教組が社会党系と共産党に分裂した ━正確には日教組から共産党系が抜けた━ ときも、そのことをわかっていない右翼が共産党系の教研集会にやってきて、日教組フンサーイ!と怒鳴っていたことも目撃したことがあった。前振りが長くなってしまったが、各地にある自衛隊駐屯地などがある町の学校で「自衛隊反対」の教員(組合員)が、それを子どもにどう語るかが話題を集めていた。反自衛隊の話を授業ですると、自衛隊員の子どもがいじめられるというレポートも上がってきており、イデオギーと平和教育の関係性が問題化していた。というより、その教員の神経を疑ったものだ。

 27日に沖縄県が発表した新型コロナ感染者は98人。

 

 

 

*筆者の近況はtwitter(https://twitter.com/seijifujii1965)でご覧いただけます。

 

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藤井誠二(ふじい せいじ)

1965年名古屋生れ。ノンフィクションライター。2006年から沖縄県那覇市の中心部に仕事場を構え、東京都世田谷区と二拠点生活を送っている。著作は50冊以上。沖縄関係の著作は『沖縄アンダーグラウンド  売春街を生きた者たち』(講談社)、作家の仲村清司氏と建築家の普久原朝充氏との共著で『沖縄オトナの社会見学R18』(亜紀書房)、『肉の王国 沖縄で愉しむ肉グルメ』(双葉社)がある。『沖縄アンダーグラウンド  売春街を生きた者たち』は、2018年に第5回「沖縄書店大賞」沖縄部門で大賞を受賞。

 

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