沖縄にも暮らす 二拠点生活の日記

沖縄にも暮らす 二拠点生活の日記

#09

二拠点生活の日記 2020 Dec.16~30

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文と写真・藤井誠二 

 

2020

12月16日  [WED]

 

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 安里の「鳳凰餃子」で普久原朝充君と深谷慎平君と恒例の飯会。葱油鶏、イカニラ炒めや羊肉のクミン炒め等をがつがつ喰らう。吉林省出身の夫婦が供する料理はどれも美味い。シャッターを下ろす寸前の栄町の「トミヤランドリー」で、隣の店舗でイタリア料理店「アルコリスタ」を営む矢島裕光さんとばったり会う。「トミヤ~」から徒歩一分の「ムジルシ」オーナーの三浦雄二郎さんとも知り合う。矢島さんと三浦さんが横浜で近い間柄にあったこと ━そのことは当人たちも那覇で知りあってわかったらしい━ を後日、知る。「アルコリスタ」の前にどこか新規開店した店に寄った気がするが、店員さんを呼んでもなかなか出てこないので、ビール一杯だけ飲んで出てきた記憶があるが、どこだったっけ?

 先日、糸満出身の社会学者・上原健太郎さんと、同じく社会学者の下地ローレンス吉孝さんとリモートで鼎談をしたのだが、その中で取り上げさせてもらった、上原さんたちがつくった『地元を生きる』は野心的な取り組みですばらしい一冊だと思う。ひとことで言ってしまえば「沖縄の階層」研究。ぼくは『沖縄アンダーグラウンド』の取材を進めるなかでなかなかステレオタイプの沖縄イメージではない、表層に出てこない階層性を否が応でも感じてきた。それを『地元を生きる』や、下地さんの『「混血」と「日本人」━ ハーフ・ダブル・ミックスの社会史』を読んで「そういうことだったのか」と合点を打った立場だ。取材って、そういうことの繰り返し。取材者が現場を歩きまわって、人にあって感じたことや考えたことを研究者が意味付けしてくれる。

 

 

12月17日 [THU]

 

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 「琉球新報」の連載原稿を書く。12月は彫刻家のフリオ・ゴヤさんに御登場願う。夜までかかってほぼ完成したので、小雨のなか栄町へ歩いていく。来沖中の大先輩の政治ジャーナリスト・二木啓孝さんと合流。普久原朝充君と深谷慎平君も合流。「二階の中華」と「㐂平」をはしごして二木さんにごちそうしていただく。

 

 

12月18日 [FRI]

 

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 むつみ橋のスタバで原稿を書く。壷屋の「陶器 よかりよ」に寄って取り置きしておいてもらっていた陶芸作家のキムホノさんのオブジェを引き取りに行く。恐竜の頭蓋骨がモチーフなのか何だかわからないが、そのツラ構えにノックアウトされ、大ファンの陶芸家キムホノ氏のオブジェを那覇市の「陶 よかりよ」で手に入れることになったという経緯。愛知県瀬戸市のアトリエからオーナーの八谷明彦さんが器類をダンボールに入れる際に、余った隙間に新聞紙で包んで押し込まれた作品。1980年代につくられた作品みたいだ。値段をつけていなかったため、キムホノ氏にオーナーが電話して、その奇特な購入希望者に値段を決めてもらおうという話になった。結局は一発で三者の折り合いはついたのだが、「バッカなやつがいるなぁ」とキム先生は大爆笑していたらしい。最上のほめ言葉をいただき、光栄なり。ちなみにキムホノさんの作品に八谷さんが出会わなければ「陶 よかりよ」はできなかった。ぼくは八谷さんの影響でキムホノさん作品をずいぶん集めてしまうことになったのである。

 そこからタクシーで泉崎の琉球新報社へ。出版部門のトップの松永勝利さんと新星出版の坂本奈津子さんとジャン松元さんで、ぼくの月イチ連載の単行本化の打ち合わせ。書き下ろしと撮り下ろし+ジャンさんの作品をかなり加える予定なので、だいたいのタイムテーブルを組む。来年(2021年)の今ぐらいに出したい。そのために来年(2021年)はそうとうな忙しさになる。人選等で長時間、議論が続く。がんばるぞ。

 栄町に一人で出かけ、先日、初めて会った三浦さんが切り盛りする「ムジルシ」へ飛び込む。カウンターだけのちいさな店なのだが、去年(2020年)10月にオープンしているのになぜ気づかなかったのだろう。三浦さんとあれこれ話しながら、「ブリのテンジャン油蒸し」と「ラムとパクチーのシューマイ」をビールといっしょに食べる。両方ともタレというか、ソースが美味い。味付けも火の入れ方もいい。聞けば、フレンチ出身だそうで、ソースには自信があるとのこと。そう、ここは「蒸し」料理推しなのだ。メニューにはシューマイの種類が多い。「シューマイ」というこのあたりでは「隘路」で成功してほしいな。

 雨足が強くなっている。市場場内の「おとん」へ。オーナーの池田哲也さんは肋骨骨折で静養中のため、相棒のクデミさんだけでまわしている。お客の大半が常連で知り合いだった。帰りに「りうぼう」をぶらぶらするがとくに買うものも思い当たらず、帰還。

 

12月19日 [SAT]

 

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 朝から雨が降っている。原稿を書いたり、資料を読んだり、昼寝したりしているとあっという間に時間が経っていく。西原で80歳手前の男性と会う予定だったが、沖縄のコロナ状況を鑑みて、電話でインタビューした。

 夜、ETV特集で「沖縄が燃えた夜━コザ騒動50年後の告白」を観る。50年前の当日(明日だ)、現場で写真を撮っていた吉岡攻さん ━テレビディレクター・ノンフィクション作家の吉岡忍さんのお兄さん━ が当時の証言をコザ(沖縄市)をきいてまわるという構成だった。『沖縄アンダーグラウンド』で取材させていただいた人が何人も出てきた。映画「モトシンカカランヌ」の共同監督だった今郁義さん(当時24歳)もそのうちの一人だった。公衆電話から沖縄に滞在していた吉岡さんに知らせたのが今さんだったことをぼくは知らなかった。82台のイエローナンバー車がひっくり返され、火を放たれた。数千人が参加したと言われている。「騒動」(ぼくは蜂起といったほうがいいと思う)に参加して、クルマを破壊したなどの罪で日本復帰後にたった4人だけ起訴されたうちの一人、与座順清さんを照屋寛徳(国会議員・当時の弁護団の一人)経由でさがしてもらい、吉岡さんがインタビューするシーンが印象的だった。コザ騒動に参加して逮捕・起訴されたことを後悔しているか、正義かと思っているかというニュアンスの吉岡さんの質問に「何もしなかったからね・・・」という与座さんはひとことだけ答えた。その返答の「意味」を明らかにしないまま番組は終わった。与座さんの「沈黙」。口が何かを語ろうとしてかすかに動いているのだけど、何も言葉で出てこなかった。ぼくはその表情に釘付けになった。

 たぶん、ぼくの想像だが、「何もしなかったから」というのは、米兵を襲って殺すまではしなかった、という意味なのではなかったか。当時の米兵が沖縄の人々を交通犯罪や殺人で命を奪っては基地の中に逃げ込むのが日常化していたから、そういう非道なことはしなかったということを言おうとしていたのではなかったか。コザ騒動は虐げられた沖縄の人々の抵抗の意思の表出であり、ある意味で抑制の聞いた行動は「誇り」なのだろうとぼくは思った。たしかにイエローナンバー(米軍のクルマ)をひっくり返し放火はしたが、それは当時の米兵たちに比べれば比較にならないほどの非対称の「非暴力」だった。後日、テレビニュースで見たコザで開かれたコザ騒動50周年のトークライブで、騒動に参加していた民謡歌手の佐渡山豊さん(当時20歳)が、「暗黙の了解でクルマをひっくりかえすだけだというのがあった」という発言を聞いた。それが与座さんの「沈黙」とかぶった。

 

12月20日  [SUN]

 

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 昼ぐらいに目が覚めて仕事を始めた。飯は、冷蔵庫にあった野菜とソーセージを使って乾麺のスパゲッティーニを使ってナポリタンを作った。近所のスーパーで買った、「沖縄の農家コーナー」で買った野菜たっぷり使った。我ながら美味い。

 「週刊現代」から急遽、書評の依頼が入ったので那覇に送ってもらう。『ヤクザと過激派が棲む街』である。いうまでもなく山谷のドヤ街のノンフィクション。気になっていた本なので引き受けた。著書の牧村康正さんは実話系雑誌に長らくいた人だから街の裏表の精通した人である。

 晩飯をジュンク堂の森本浩平店長と牧志の市場通りの中にある「米仙」へ喰いに行く。人気のせんべろ寿司。千円で飲み物二杯と寿司五貫。鮪の中トロなど納得の美味さ。石垣牛の握りや天ぷらなどもかなりイケる。飲み物などを追加しても三千円ほど。市場内で「米仙」がある筋はひっきりなしに地元らしき若い男女が2~3人単位で入っていく。この筋は立ち飲み屋が密集している。どうやら、ナンパスポットになっているらしく、とくに沖縄南部の二十代の中では知られた場所らしい。半オープンエアの狭いスペースで立ち飲みという環境が互いの距離を縮めるのに絶好みたいだ。

 そのあとに近所で開いているギャラリー+バーのようなスペースでアーティストの大城英天さんの絵画を見に行く。一度どこかでお会いしたことがあったが御挨拶して ━むこうはやはり忘れておられた(笑)━ その場にいたFC琉球の小川淳史社長と食品などの宣伝プロデューサーの座安雄照さんにも、森本さんの紹介で御挨拶。で、森本さんがチケットを二枚持っていたので、若狭にある老舗のライブハウス「寓話」で猪野屋恵留(いのや える)さんのライブ。泡盛のテレビCMで歌っているあの女性だ。「寓話」は沖縄を代表するジャズピアニストの故人・屋良文雄さんが開いた店だ。初めて行った。コロナ対策だろう、人数を絞って、かつ時短営業なので10時にはとっとと店を出て、森本さんと夜道を国際通りまでぶらぶらと歩いた。国際通りはけっこう賑わっている。元三越内の屋台街(国際通りのれん街)には若者が溢れている。この空間も地元の若者たちのけっこうな人気スポットらしい。沖縄では17~28日までは夜10時までの時短営業を求めている。

 

 

12月21日  [MON]

 

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 昼過ぎに起きてありものでパスタを自炊して喰う。『ヤクザと過激派が棲む街』を読み続け、読了。晩飯に台湾料理の「臺瓏(タイロン)」の台北ルーローカレー弁当を取り寄せる。魯肉が美味い。

 

 

12月22日  [TUE]

 

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 朝から『ヤクザと過激派が棲む街』の書評原稿に取りかかるが、途中で切り上げて、正午に弁護士の垣花豊順さんの家に取材に出向いて昼御飯をご馳走になる。お宅を訪問する時間まで間があったのでほど近い大盛寺に寄って手を合わせる。垣花さんは日本軍の第32軍の司令壕の保存を訴えて県議選に立候補された方だ。首里の地下に第32軍の壕があることはどれほどの人が知っているだろうか。唯一、第五坑の入り口あとまでは徒歩でいくことができる。ずいぶん前に入り口付近を通りかかった記憶があるが、そこから先の藪の中の獣道みたいな土の上を歩く。天気には恵まれたが、薄暗い。滑りやすい粘土質の土や岩が剥き出し。そこを87歳の垣花さんは慎重に下る。3~400メートルある蛇の道のような藪を書き分けながら歩くと、坑口があらわれた。沖縄芸大の校舎のすぐ横なのだが、案内もなければ、何も場所を指し示すものがない。木々に覆われている上、とうぜん首里城の案内版にも何も書かれていない。坑口の前で垣花さんをジャン松元さんが撮影。慎重にいま来た道を登る。くだりものぼりも垣花さんのすぐ後ろをぼくが歩く。ぼくもとうぜん気を配りながら獣道のようなところを踏みしめながら歩く。87歳の垣花さんは毎朝(といってもほとんど深夜らしいのだが)一万歩は歩くという。一年前には辺野古まで野宿しながら歩いて行ったという。海岸の階段や大きな建物の陰で寝袋で寝た。早朝に辺野古の反対派のテントのベンチで横になっていると、当たり前だが怪しまれた。「怪しいものではありません。がんばってください」と言って去ったという。健脚。頑強な身体。気力もすごい。元琉球検事からアメリカ留学、琉球大学教授を経て、弁護士。

 第五坑口跡には、沖縄中をふだんから飛び歩いているジャンさんも初めてきたという。この鬱蒼とした場所で垣花さんは先般の県議選の出馬表明をおこなった。それにしても、ひめゆり学徒隊の一部の教師と生徒が手榴弾で集団自決した糸満の荒崎海岸の自然壕までの貧弱すぎる案内版も含めて、沖縄戦の遺産としてもっと多くの人が訪れるべき案内が乏しすぎる。撮影後、少し高台の地点から、首里の32軍壕を爆破して牛島満治司令官が逃走した道を垣花さんに教えてもらう。馬ではなく夜中に徒歩で小禄のほうへ逃げ、摩文仁の自然壕の中で自決をしたという。今年三月に発足したばかりの第32軍壕司令部壕保存・公開を求める会の事務局をつとめる女性も同行してもらった。感謝。

 仕事場に帰還し、書評を仕上げ、一人でいつもの「すみれ茶屋」へ晩飯を喰いにいった。常連の方々 ━ぼくより一回り以上うえの人たちばかり━ とかるく飲む。近海魚などの刺身などを喰う。スーパーに寄った帰り道、さっきまでいっしょだった「すみれ茶屋」の玉城丈二さんとばったり、「すみれ茶屋」の隣にオープンしたばかりの八重山そば屋の「やいま処 あさい屋」に行ってみようよと誘われ、店内へ。石垣牛コロッケをつまみに泡盛をちびちび呑んでいたら、沖縄そばを食べようと思っていた前に「時短営業」で終了。

 

 

12月23日  [WED]

 

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 昼まで仕事をして、昨夜、丈二さんと寄った沖縄そば屋で八重山そばの店で一人そばを喰う。昨夜は気づかなかったが店のパンフレットに[八重山には「安佐伊(あさい)」という姓がございます。とても人数が少なく、今や残すところ十数名となりました。]と書かれていた。亡き母親を偲び、母の味を再現することはむずかしいがこの店を開いて広めていきたい云々とも。

 ジャン松元さんと合流して宜野湾の真栄原新町へ。消滅してしまったので、旧真栄原新町と書いたほうが正確だろう。その街で使われていた売買春の大型の建物を改装してギャラリー「PIN-UP」を運営していた許田盛哉さんと会う。彼にはいろいろお世話になってきたが、今年(2020年)九月、原因不明の火災で全焼してしまった。その現場でジャンさんが許田さんを再度撮影することになった。じつは火災後はぼくも初めて現場に行った。炭化した床に、放水でぐちゃぐちゃになった雑誌「スタジオボイス」が落ちていた。「PIN-UP」の中は黒こげになり、備品が燃え落ちている。店内は屋根のトタンの隙間から差し込む自然光で、不気味な雰囲気を醸しだしていた。煤のにおいがたちこめている。現場検証では発見されなかった、バールのようなものでサッシをこじあけた可能性のある痕を保険会社の調査員が見つけたらしい。いまだに原因不明と当局が言っているし、いろいろな情報を重ね合わせると、事故と事件の両面でいまだに捜査が続いているというということだろうとぼくは判断した。

 夜は東京からやってきた相方と栄町に出て「アラコヤ」で串焼きやらシャルキトリーを喰いながら芋焼酎をちびちび飲む。安定の美味さ。

 

12月24日  [THU]

 

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 自宅にこもり仕事。ひたすら原稿を書いたり、取材先にアポを入れたりしていたら時間が過ぎていった。もう二年近く、懲役20年の懲役囚と文通している。いつも言葉を選びながら、長文の手紙がくる。それに返事を出すのにぼくはすごく時間がかかる。筆が進まない。うまく生きられず、人の命を奪うことに加担してしまった男性。彼の言葉がぼくに突き刺さる。夜は相方と松山で出て「酒月」で飯を喰う。

 

12月25日 [FRI]

 

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 相方と宜野湾市大山にあるドーナッツの店「HYGGE(ヒュッゲ)」にバスで行ってオーナーの権聖美さんとゆんたく。「ジミー」のクリスマス渋滞を横目に、だんなさんのつくるドーナッツを頬張る。権さんの案内で、近くにある「小山マヤーガマ洞窟遺跡」(沖縄ではマヤーとは猫のこと)を案内してもらう。むかしこの洞窟に住む魔物が猫に化けて大山村の子どもたちを行方知れずにしたそうで、それをを聞いた力持ちが化け猫をこらしめ、逃げ込んだ洞窟の中で窯(カメ)をシュロの皮で作った左巻きの縄でくくりつけ、それ以来、マヤーガマの化け猫は出なくなった由来がある。いまいちよくわからない説明文 ━遺跡に書いてある━ なのだが納得することにした。

 「大山貝塚」にも連れていってもらった。貝塚一帯はミスクヤマと呼ばれ、集落の拝所となっている。いまでも使われている形跡があるし、特別な空間であることが空気でわかる。このあたりの住宅地からの眺めは最高。住宅地の中の古民家アンティークショップ「VINTAGE YARD(ビンテージ ヤード)」で、くちのかけた古いヨーロッパ製の小さなガラス瓶を買う。

 58号沿いを歩いてアンティークショップをぶらぶらのぞいていると、たまたまカフェのテラス席に座っている宮城恵輔さんを見かけたので、発作的に声をかけた。宮城さんは飲酒運転でバイクを運転し、事故にあい、重い障害を負ってしまったことをメディアで顔をさらして訴えかけている人だ。ぼくは自己紹介して、連絡先を教えていただいた。帰りもバスに乗り新都心で降りて生活用品を買い出し。晩飯は安里の「鳳凰餃子」で水餃子などを食べた。

 それにしてもその日の新聞(琉球新報)の記事 ━「LGBTの 方お断り」県内不動産会社 同意書で入居拒否━ には愕然とした。被害者は「タスク」さんといい、顔を出して差別を告発しているが、加害者側の名前は明らかにされていない。同日の新聞には伊平屋島全体が新型コロナの集団クラスターとなってことも報じられている。

 

12月26日 [SAT]

 

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 朝昼兼用の飯は昨夜、「鳳凰餃子」でのこした餃子をお土産にしてもらっていたので、それをあたため直し、冷蔵庫にあった菜っ葉類を炒めて喰った。ひたすらパソコンにむかう。気分転換に洗濯とバルコニーに繁茂する植物の剪定や落ち葉の掃除。夕方になり相方と散歩に出た。「米仙」で寿司せんべろ。おまかせ五貫に飲み物二杯(指定されたものだけ)で千円。日本酒は田酒がたまたまたその日、せんべろ選択できたので、いろいろ寿司を追加してべろべろになってしまう。古着屋の「ANKH(アンク)」に寄り、店内にいる猫(4匹いる)を撫でまわす。相方は気に入った古着がたくさんあったようで数万円分、大人買いしていた。

 

12月27日  [SUN]

 

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 昼頃に覚醒し、新都心の「ひがし食堂Jr」へ歩いて行って、ソーキそば定食をテラス席で喰う。「ひがし食堂」は名護では有名店みたいだ。(行ったことない)ソーキそばとジューシーおにぎりと鳥のから揚げ、コロッケ定食。かき氷やぜんざいが有名で、サッカーの練習帰りの小学生たちが賑やかに食べていた。師走にかき氷とはさすが沖縄。

 不登校やひきこもりの若者を支援するNPO「kukulu」で主宰している金城隆一さんと深谷慎平君とあるプロジェクトの打ち合わせに出向いた。帰りに桜坂劇場の「さんご座キッチン」で深谷君とだべっていたら、映画を観た帰りの諸見里杉子さんと偶然遭遇。じつは、その企画に諸見里さんにも手伝ってもらっていようと考えていたので、これ幸いとばかりに話し込んだ。そのあと、ドキュメンタリー監督の松林要樹さんと相方の三人で栄町で合流、「チェ鶏」で主人の崔泰龍さんの焼く絶品の焼き鳥を喰いながら麦焼酎「情嶋」をちびちび飲む。

 

 

12月28日  [MON]

 

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 昼過ぎにバスに乗って読谷村まで足を伸ばす。今日は焼肉というか豚ホルモンを喰うので、近くの「グッド・フォー・ナハ」というカフェでコーヒーとサラダだけ。広々としていて気持ちの良いスペース。すぐ近場にこんな店あるなんて知らなかった。早めに着いたので「やちむんの里」をぶらぶらして稲嶺盛吉さんのショップで半額になっていたシンプルなガラスコップを数個購入。夕刻、社会学者の下地ローレンス吉孝さんらと相方と「豚尾」で合流。「豚尾」は二年以上ぶりか。仲村清司さんと普久原朝充君とつくった『肉の王国 沖縄で愉しむ肉グルメ』(双葉社)の取材でお世話なって以来である。オーナーの池原肇さんは相変わらず豪快。席との間にはビニールの仕切り。新メニューも増えている。ふえがらみ、てっぽう、カシラ、トントロなどが固まりのまま出てきた。それを鉄板の上で切り分けるのがここの流儀。とうぜんぼくが担当して、各人の皿に取り分ける。レバーの塩漬け━沖縄のソウルフードで、ぼくの知る限り、焼き肉店ではここにしかない━を池原さんがサービスしてくれた。感謝。すべて豚。豚まみれ。うまい。べらぼうに安い。那覇で人気のあるモツ焼き店の若手もみんなここに喰いにきて、味や切り方などを学んでいる名店なのである。帰りも店の前からバスに乗って那覇に帰る。片道、一時間半ぐらい。沖縄のバス(乗り換えとか、遅延の具合とか)にもだいぶ慣れた。

 

 

12月29日  [TUE]

 

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 若干、二日酔い。昼ぐらいに仕事開始。誰もが感じているのだろうが、師走感、年末感をまったく感じない。節目をつけられずに、新型コロナに最大限の注意や警戒を払いながら惰性で2021年に移行していくかんじ。浮島通りの「ガーブ・ドミンゴ」に寄ってオーナーの藤田夫妻とゆんたくし、気に入ったやちむんがあったので購入。雨が強くなってきたので濡れないようにアーケードの下で飯を喰おうと思ったが、けっきょく元三越の国際通りのれん街に入って、「みずとみ精肉店」でステーキと、むかえにある「IZAKAYA OKINAWA」でレモン酎ハイを飲む。フードコートみたいなつくりになっていて、あちこちの店で注文して、できあがったらブザーで知らせてくれるので取りにいく。喰い終わった皿などは返却台に戻す。味はなかなかに美味い。そして、安い。国際通りはパフォーマンスつき(肉を焼いてカットするときの)のステーキハウスが名物で軒を連ねていたが、だんだん減ってきた上に、ここのコスパには対抗できないだろうなあ。

 

12月30日  [WED]

 

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 朝9時の飛行機に乗るために早起きして、いつも通り、空港の売店で弁当を買ってロビーで喰う。カウンターにいくとその便は欠航になっていて、正午に変更していた。仕方がないので空港ロビーで本を読んでいたら、寝てしまった。中部セントレア空港に着き、名古屋駅からホテルまでタクシー。年配のドライバー(個人タクシー)がひたすら競馬の話をアツくするので、馬にまったく興味がないぼくは相槌を打つのがツラかった。夜、スリランカ料理を母と弟と喰う約束になっている。ぼくはホテルに二泊して、できるだけ母との接触をしないようにする。

 

*筆者の近況はtwitter(https://twitter.com/seijifujii1965)でご覧いただけます。

 

 

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藤井誠二(ふじい せいじ)

1965年名古屋生れ。ノンフィクションライター。2006年から沖縄県那覇市の中心部に仕事場を構え、東京都世田谷区と二拠点生活を送っている。著作は50冊以上。沖縄関係の著作は『沖縄アンダーグラウンド  売春街を生きた者たち』(講談社)、作家の仲村清司氏と建築家の普久原朝充氏との共著で『沖縄オトナの社会見学R18』(亜紀書房)、『肉の王国 沖縄で愉しむ肉グルメ』(双葉社)がある。『沖縄アンダーグラウンド  売春街を生きた者たち』は、2018年に第5回「沖縄書店大賞」沖縄部門で大賞を受賞。

 

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