東南アジア全鉄道走破の旅
#75
インドネシア・ボゴールからスカブミへ〈2〉
文・写真 下川裕治
休日満員の列車、人気のわけは?
ボゴールからスカブミに向かう路線にようやく乗ることができた。
発車は朝の7時50分。平日だから、通勤時間帯にあたっていた。踏切には車やバイクの長い列ができていた。
住宅街を30分ほど走っただろうか。右手に水田が広がりはじめた。しかし線路は段丘の上につくられていた。ジャワ島中部の丘陵地帯に分け入っていくイメージだ。しかしこの路線は、どの線路にも接続していなかった。
昔、この路線はバンドンまで通じていた。開通は1884年というから歴史のあるルートなのだ。その後、北部のチカンペックからバンドンに南下していく路線が開設される。急行列車などは、この新しいルートを走るようになっていく。この流れに拍車をかけたのが、2001年に起きたトンネル内の崩落事故だった。チアンジュールとバンドンの間のトンネルだった。それを機に、ボゴールからチアンジュールに向かう路線も運休になってしまった。
しかし周辺住民にしたら生活路線である。その後、再開と運休を繰り返しながら、2013年、安定的な運行がはじまった。しかし崩落したトンネルはそのまま。つまりチアンジュールまでの盲腸線のような形になった。盲腸線というには長すぎるが。
ボゴール・パレダンを発車したとき、車内は8割がた埋まっていた。チチュルクを経て、チバダックに着いたのは9時すぎだった。
この駅でほとんどの乗客が降りてしまった。この沿線の中心都市なのかもしれない。
列車はローカル線の趣をまとい、水田を眺めながら進んでいく。緩い斜面をのぼっていることが風景からわかる。中部の丘陵地帯に近づいているのだろう。
「なにかがあるのだろうか」
僕はしばしば車窓に目をやる。休日はすぐに満席になるほどの人気路線である。家族連れが多いという。僕はてっきり、この沿線にディズニーランドのような施設があると思っていた。そこまでの規模はなくても、観覧車ぐらいはあるようなレジャー施設が出現するような気がしていた。
インドネシアはいま、経済成長のただなかにいる。この時代、人々は貪欲だ。豊かな自然だけでは満足しない。子供が歓声をあげるアトラクションを売り物にする施設と自然がセットになった沿線に人気が集まる。
しかしいくら目を凝らしても、そんな施設は見えてこない。隣に座っていた女子大生風のふたり連れに訊いてみた。
インドネシアの列車旅を続けてわかってきたことだった。頼りになるのは若い女性なのだ。彼女らはなかなかうまい英語を操る人が多かった。男性に英語で話しかけると、困ったような顔が返ってくるが、女性は違う。インドネシアはやはり東南アジアだった。
しかしいくら説明しても、女子大生のふたりの反応は鈍かった。英語がわからない風ではない。しかし子供向けの施設となると首を傾げてしまう。
この沿線にはなにもないのかもしれなかった。それでも休日の切符は早くから売り切れてしまう。川や湖、そして森で遊ぶだけで満足なのかもしれない。
インドネシアでは、ときどき、この足元を掬われるような健全さに出合って戸惑うことがある。この路線人気も、その範疇なのかもしれなかった。
スカブミに向かう列車の車窓風景を。この緑の濃さはインドネシア
スカブミに着いたのは9時50分だった。ホームには、「584」という標高が記されていた。ずいぶん高くなってきた。
スカブミからチアンジュールまでの列車は10時20分発だった。切符はチアンジュール駅で買わなくてはならない。一緒に列車を降りた乗客に訊くと、チアンジュール行きは10時に発車するという。
慌てて教えられた発券窓口に急ぐ。
インドネシアでは切符の発券に時間がかかる。名前やパスポート番号を打ち込まないといけないからだ。
発券窓口には10人ほどの列ができていた。
「間に合うだろうか……」
しかし列はどんどん進んでいく。そこで受けとっているのは、通常の切符より小さなサイズのものだった。
僕の番がまわってきた。
「チアンジュール」
そういうと、職員はキーボードを叩き、すぐに出てきた切符を手渡してくれた。
そこには10時20分発と印字されていた。訊いた乗客が誤解していたらしい。しかしそんなに時間はない。
しかし発券時になにもいわれなかった。パスポートも提示していない。スカブミからチアンジュールへ向かう路線は正式なものでなないのかもしれなかった。暫定的に走らせている?
首をひねりながら改札に向かう。いつもはそこで、切符とパスポートの照合をし、リーダーでバーコードを読みとる。しかし駅員は、僕の切符を見るなり、すぐにゲートを開けてくれた。
発券時にパスポートを渡していないのだから、照合もできないのだが、改札はあまりに簡素だった。ここから先は、どうも別扱い路線のようだった。
ホームに出た。しかし乗る列車が見あたらない。目の前には、僕が乗ってきた列車が停まっている。
駅員に訊くと、こういわれた。
「ボゴールからやってきた列車にいったん乗って、反対側の降車口から降りてください」
つまり乗ってきた列車をまたぐような形になる。
するとそこにチアンジュール行き列車が停まっていた。やはり別扱いの列車だった。
スカブミ駅。ここで切符を新たに買うから忙しい。慌ててシャッターを押した
これがスカブミからチアンジュールまでの切符。サイズも小さい
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著者:下川裕治(しもかわ ゆうじ) 1954年、長野県松本市生まれ。ノンフィクション、旅行作家。慶応大学卒業後、新聞社勤務を経て『12万円で世界を歩く』でデビュー。著書に『鈍行列車のアジア旅』『不思議列車がアジアを走る』『一両列車のゆるり旅』『東南アジア全鉄道制覇の旅 タイ・ミャンマー迷走編』『東南アジア全鉄道制覇の旅 インドネシア・マレーシア・ベトナム・カンボジア編』『週末ちょっとディープなタイ旅』『週末ちょっとディープなベトナム旅』『鉄路2万7千キロ 世界の「超」長距離列車を乗りつぶす』など、アジアと旅に関する紀行ノンフィクション多数。『南の島の甲子園 八重山商工の夏』で2006年度ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。WEB連載は、「たそがれ色のオデッセイ」(毎週日曜日に書いてるブログ)、「クリックディープ旅」、「どこへと訊かれて」(人々が通りすぎる世界の空港や駅物)「タビノート」(LCCを軸にした世界の飛行機搭乗記)。 |