風まかせのカヌー旅
#03
ウォレアイへ (その1) びしょ濡れで眠ると見る夢は……。
パラオ→ングルー→ウォレアイ→イフルック→エラトー→ラモトレック→サタワル→サイパン→グアム
文と写真・林和代
ングルーでリゾート気分を満喫した私たちは、日没寸前マイスに戻る事になった。
ウミガメの卵や肉、飲料水など、ジョージが分けてくれた食料を積み込んだボートに我々も乗り込んだが、エンジンがかかるのに手間取り、発進した時には夜になっていた。
そしていつの間にか雨が降り始め、海はひどく荒れていた。
小舟はまさに木の葉のように激しく揺れた。入り組んだリーフの隙間を一つ二つと抜けるたび、波はいよいよ大きくなった。
不意にジョージが叫んだ。気をつけろ!
顔を上げると、ちょうど私の目の前で3メートルの大きな波がぐいーんと伸び上がった瞬間だった。
丸吞みはいや〜! と身を縮めたところで、ざっばーん!
大量の水が降って来て全員びしょ濡れ、そして小舟はかなりの浸水状態。慌てて水をかき出していると、暗闇でジョージが叫ぶ。沈まない! 絶対沈まないから!
その叫びがむしろコワイ。
ようやくリーフの外に出ると波が落ち着きマイスに接近。ただ今度は乗り移るのがひと苦労だ。
小舟とマイスがぶつからぬよう、しかし離れてしまわぬよう、小舟側の人間が必死でマイスのキャットウォークをつかむが、雨ですべってなかなか力が入らない。
まずはエリーがディランを持ち上げ、マイスで待機していたアルビーノがひっぱりあげた。
続いてエリー、オサムが乗船。そして私が続こうとしたとき、マイス上のミヤーノが待てと叫んだ。
背後がからまた大波が来ていたのだ。小舟もマイスもぐーんとせり上がり、また下がった直後、アルビーノが来い! と叫んで手を差し出し、私はえいやーっと飛び移った。
そのあとも男たちは怒鳴り合うようにしながら、人と荷物の受け渡しをなんとかやり遂げた。
去り行くジョージにサンキュー! アディオース! と叫んだものの、大波を食らった衝撃から抜け出せぬ私は、大雨の中でぼんやり突っ立っていた。するとカッパを着込んだミヤーノが不意に目の前に立ち、にやにやしながら日本語で言った。
「アイシテル!」
「……はあ?」
「ずぶぬれだぞ。早く着替えな」
一瞬、告白されたのかと思ったが、残念ながらそうではなかった。
たぶん私はそうとう情けない顔をしていたのだろう。彼は保護者として元気づけて下さったのである。
ちなみに、アイシテルの意味は知っているようだが、いわゆる男女のそれではなく、家族に対して使うそれであることも付け加えておく。
風が強いときは帆を下ろすにも人手がいる
いよいよこの航海の最難関、ウォレアイへの行程がはじまった。
距離にして650キロ越え。しかも島はほぼ真東。そして風はがんこに北東=逆風のまま。
5年前は風に恵まれパラオから5日で着いたが、このままでは何日かかるか見当もつかない。
急に風が強くなった。帆を上げたままだと転覆しかねないので慌てて下ろす。
あとは漂流するのみ。多分キャプテンは、どっちにどれだけ漂流するか、頭の中でトレースしているはずだ。が、私はやることもないのでカッパを脱ぎ、寝床に入った。
ごつん。ごつん。あまりの揺れに頭や膝や、いろんな所が壁にぶつかって眠れない。
衣類を丸めてつっかえを作り、両側の壁を足で踏ん張りなんとか体を安定させると、今度は音が。
マイス後部の屋根的シートが強風に煽られ、バサバサとこの世のものとは思えぬ恐ろしい音を立て続けている。それに、波がデッキの下に荒々しく当るドンという地響的な音や、マイスが揺れてきしむキキーっという神経がイガイガするような音の三重奏。嫌が応にもホラー気分が盛り上がる。
こわい妄想を振り払いつつ、なんとか眠りについたら、ばっしゃーん!
不意にバケツの水をぶっかけられたかと思うほどの水を浴びた。
ありえなーい!
日本語で文句をいいつつデッキに這い出ると、目ざとくびしょ濡れの私を発見したセサリオが、
「カッツがスプラッシュ浴びて逃げ出して来たぞー」と叫んでげらげら笑いだした。
「さっき着替えたばっかりなのに、カッツ スプナーッシュ!」
ミヤーノはわざと鼻にかけた声で訛りながらそう言って笑う。
それがお気に召したか、ディランも訛った鼻声で、スプナーッシュ! を連呼する。
ムライスは、私のバンクとデッキの隙間を点検して、
「あー、だめだ。詰めてたスポンジ全部ぶっとんだから、今夜は朝までスプナーッシュだ、カッツ!」
デッキ下に大波が当たり、バンクとの隙間からどばっと水が吹き出して私を直撃したのだ。
海がどんなに荒れても、ディランはローラーコースター! といって飛び回る
うねりがかなり高い
はしゃぐ男たちをにらみつけつつバンクに戻って着替え、再び横たわってみると……あ。
ハンモックに水がまだ残っていたらしい。お尻にじゅわーっと水が染みたてきた。
慌ててタオル敷こうとしたがそのタオルも先ほどのスプラッシュでびしょ濡れ。
迂闊であった。でも乾いた着替えはもうない。このまま寝るしかないのだ。
相当不機嫌なまま私は眠り込んだ。
気がつくと私は、深緑色の藻が一面に浮かぶぬるっとした沼に横たわり、ずぶずぶと沈んでいった。
パンツが濡れたまま寝ると、こういう夢を見るのだと初めて知った。
わずかな晴れ間に現れたダブルレインボー。しかしこのあたりで虹は不吉な予兆とされていたりする
翌日も丸一日、風と雨は断続的に続いた。
そして深夜、風がやや弱まったタイミングで再び帆を上げたが、不意にセサリオが緊迫した調子でサタワル語の指示を出すと、ミヤーノが懐中電灯を海に向けた。
すると、真っ暗な海に突如、ぼんやりと船の姿が浮かび上がった。
「すごく近い……」
エリーが怯えてそう言った。
なんで、なんでこんなに近いの? それにランニングライトが点いてないってどういうこと?
航海をしていると、時どき他の船に出くわす。たいていは遠くにいる姿をちらりと拝む程度だが、それでも、万一近づき過ぎると危険なので、船を見つけたらその行方を見届けるのが常である。
そして、夜の海を航行する船はすべからく、ランニングライトを点けるのが決まりだ。
船首右側には緑、左側には赤のライト。これで、その船の存在と進行方向を他船に知らせるのだ。
もちろん我がマイスも両方点いている。しかし、目の前の船はどこにも灯りを点していなかった。
アルビーノは懐中電灯をぐるぐる回してマイスの帆を照らし、我々はここにいるぞー! と合図を送る。
その船はさほど巨大じゃないが、それでもマイスよりは遥かに大きい。2倍の長さはありそうだ。
ライトに浮かぶ幽霊船のような黒い影は、ゆっくりと、しかし確実にこちらに近づいていた。
100メートル以内に来てる。 もしかしたら50メートルかも。
万一ぶつかったら、マイスなんて一瞬で木っ端みじんだ。
私は皮膚がざわざわするような感覚を覚え、エリーの腕をぎゅっとつかんだ。
そしてしばし。
ようやくその幽霊船は遠ざかり始め、デッキ上の空気がふうっと緩んだ。
セサリオによれば、中国かベトナム辺りの違法業船団だそうで、マイスが彼らの網を引っ掛けていると勘違いして近づいて来たのではないかとのこと。なんと4隻もいたそうだ。
とりあえず危機は去った。
きっとミヤーノとアルビーノは朝日が昇るまで、寝ないで監視を続けてくれるに違いない。
それでも私のざわざわした感触が消える事はなかった。
*本連載は月2回(第1週&第3週火曜日)配信予定です。次回もお楽しみに!
*第12回『Festival of pacific arts』公式HPはこちら→https://festpac.visitguam.com/
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林和代(はやし かずよ) 1963年、東京生まれ。ライター。アジアと太平洋の南の島を主なテリトリーとして執筆。この10年は、ミクロネシアの伝統航海カヌーを追いかけている。著書に『1日1000円で遊べる南の島』(双葉社)。 |