ブルー・ジャーニー
#96
アルゼンチン はるかなる国〈15〉
文と写真・時見宗和
Text & Photo by Munekazu TOKIMI
「地球上に大陸がひとつしかなかったころから」
ヤシ科の植物を「あらゆる形態の植物のなかで最高かつもっとも気高い」と表したのは、1799年から5年間かけて中南米を探検したプロイセン王国ベルリンの博物学者、アレクサンダー・フォン・フンボルトだった。
1833年、アルゼンチンに上陸したイギリスの自然科学者、チャールズ・R・ダーウィンが見たのは「木らしい木がほぼ完全に存在しない」大地だった。数少ない例外がヤシの木とスペイン人が持ちこんだ、ポプラ、オリーブ、モモなどの木だった。
女神の足もとから、高く、絶え間のない鳴き声が聞こえる。
アルゼンチンの独立戦争の起点となった五月革命(1810年5月18日〜25日)。独立を願う人々に埋め尽くされたビクトリア広場は、名称を“五月広場”に変え、革命の1年後、ピンク色の大統領府の前に、真っ白い、アルゼンチン版自由の女神を戴く“五月のピラミッド”が建てられた。
その足もとに泥や粘土や枯れ草をせっせと運んでいるのはアルゼンチンの国鳥、オルネーロ(セアカカマドドリ)。Horneroはスペイン語でカマドあるいはオーブンの意で、英語圏ではオーブン・バードと呼ばれる。
南アメリカ大陸だけに棲息するカマドドリ。36属218種のなかで、セアカカマドドリは、日乾し煉瓦とおなじような材料を用いて、堅牢で、湿気を通さず、保温性が高く、他に例を見ないフォルムの巣を築き上げる。
完成型はカタツムリの殻のようで、壁に遮られて、中を見ることはできない。出入り口は壁の奥に開けられた小さな穴。その向こうの枯れ草を敷き詰めたベッドで雛を育てる。巣を使うのは1年限り。子育てが終わると新しい巣づくりに取りかかり、雀が空き家にもぐりこんで卵を産む。
雄雌の結びつきがきわめて強く、生涯、相手を変えることはない。いっしょにいることが大好きで、1羽が卵を抱いているとき、もう1羽はカタツムリの入り口でじっとしている。1羽が雛にえさを運ぶとき、もう1羽は、たとえなにもつかまえられずにいても連れだって、離ればなれになることが耐えられないかのように絶えず鳴き交わしながら巣に帰る。
アルゼンチンに生まれ、パンパで青少年期を過ごし、“ラ・プラタの博物学者”と呼ばれたW・H・ハドソン(のちにイギリスに帰化)によれば、カマドドリは「力も武器もない。臆病で無抵抗。敏捷さと活力に欠ける。飛び方もきわめて弱々しい」
だが、それにもかかわらず、どんな気候でも、どんな種類の土壌でも植生でも、ほかの種類の鳥なら餓死してしまうようなところ──アンデス山脈の石ころだらけの大地やパタゴニアのもっとも不毛な場所──でも、生きていくことができる。
ブエノスアイレスを中心に半径約800キロ、ビリヤード台のように平らに広がる草原と砂漠の大地、パンパ。
15キロ以上離れていても見えるオンブーは、旅人にとって、たしかで稀少な道しるべだった。
夏になると月桂樹に似た葉が生い茂る枝の下は、ひとや馬や牛や羊の憩いの場となった。子どもたちは枝と枝の間に板を渡して橋をつくり、飽きることなく遊んだ。
大きいものになると30メートルを超えるオンブーはヤマゴボウ科の植物。つまり木ではなく草。
年輪(のように見えるもの)は年輪ではなく、タマネギのようにはがれる。幹(のように見えるもの)はふわふわと海綿のように柔らかく、小刀で簡単に切り込むことができる。切り落とした枝はなかなか乾かず、やがてスイカのように腐っていく。火をつけると盛大に煙が出るが、火力は弱く、薪にはならない。
花は小さく、白紫色で、まるで目立たない。ブドウの房のような実には毒性があり、鳥も食べない。深緑の葉にも毒がある。
「いっこう役に立たないので、やがて絶えるときがくるでしょう」。ラ・プラタの博物学者はオンブーの未来を案じた。「やたらと実利的になった今時の人間は、見たところ、ただ場所ふさぎにすぎないようなものの根には、どしどし斧をあてがいます」
レコレータ墓地の片隅で、空をつかもうとするかのように枝を伸ばすアローカリア・アラウカナ。やはり南アメリカ固有の種で、日本ではチリ松と呼ばれている。
雌雄があり、ピニョンと呼ばれる実がなるのは雌の木。松かさのような形で大きさは50センチほど。中にはらっきょうのような実が詰まっていて、砂糖水でゆでると栗きんとんのような味になる。
いまから約2億年前、地球上に超大陸パンゲアという名の大陸しかなかったころ、アローカリア・アラウカナは生まれた。
度重なる地殻と気候の変動。大地が炎と氷に包まれ、海面のようにうねり、分裂していくなか、恐竜をはじめ、さまざまな動植物が姿を消していったが、分厚い鎧のような樹皮をまとったアローカリア・アラウカナは生き残った。
やがて世界が安定すると、アローカリア・アラウカナは、今度は新しい植物と生存をかけて争うことになり、敗れ、アンデス山脈やパタゴニアの過酷な環境に追いやられた。
スペイン人の銃弾から逃れ、アンデス山脈に逃げこんだインディオ、マプーチェとペベンチェ(マプ=大地、チェ=人々、ペベ=チリ松の意)。その空腹を満たしたのはピニョンだった。
空があまりに高く、広くて、木々の大きさをうまく理解することができない。
“南米のパリ”と呼ばれるブエノスアイレス。わずか約500年前まで、ここは遮るものがなにもないパンパだった。
(つづく)
*本連載は月2回配信(第2週&第4週火曜日)予定です。次回もお楽しみに。
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時見宗和(ときみ むねかず) 作家。1955年、神奈川県生まれ。スキー専門誌『月刊スキージャーナル』の編集長を経て独立。主なテーマは人、スポーツ、日常の横木をほんの少し超える旅。著書に『渡部三郎——見はてぬ夢』『神のシュプール』『ただ、自分のために——荻原健司孤高の軌跡』『オールアウト 1996年度早稲田大学ラグビー蹴球部中竹組』『[増補改訂版]オールアウト 1996年度早稲田大学ラグビー 蹴球部中竹組』『オールアウト 楕円の奇蹟、情熱の軌跡 』『魂の在処(共著・中山雅史)』『ジュビロ磐田、挑戦の血統(サックスブルー)』、共著に『日本ラグビー凱歌の先へ(編著・日本ラグビー狂会)』他。執筆活動のかたわら、高校ラグビーの指導に携わる。 |