ブルー・ジャーニー
#78
オーストリア 緑のスキー王国〈5〉
文と写真・時見宗和
Text & Photo by Munekazu TOKIMI
模範となる人たちから、自分の道を進むことを学ぶ
家の前の斜面を埋め尽くす牧草。冬になると緑が純白に塗り替えられる。ベニーが初めてスキーを履いたのはこの天然のゲレンデで、3歳のときだった。
スキーはおもしろすぎた。たった2週間で家の前では満足できなくなり、スキー場に連れていってほしいと父親にせがんだ。
「州のチーム、トップチーム、いつもぼくはコーチに恵まれてきました。コーチたちはぼくがぼくの道を歩めるような環境をつくってくれました。でも、なんと言っても最高のコーチは父親でした」
いまのあなたは、小さいころのように自分のためだけに滑ることは、きっとむずかしいと思うのですが、それでもスキーは好きですか?
「スキーで生活をしていますから、メダル、トロフィーを取る、賞金を獲得するということは、もちろんすごくだいじなことです。でも、けっして滑らされているのではありません。スキーが好きだから滑っているのであって、スキーをすること、レーサーであることはぼくにとってなににも代えがたいことなんです」
あなたにとってスキーの魅力とはなんでしょう。
「ひとつは自然の中でやることだということ。ふたつ目はスピード。それからレーシングに限ってのことですが、自分がやってきたことの成果が、タイムや順位にはっきり現れるということです」
競うことは好きですか?
「格闘技のように直接的に戦っているわけではありませんが、人と競うことはすごく好きです。スポーツは戦いですから、競い合うことは大切なことだと思います」
スキー以外になにか魅力を感じることは?
「趣味ですか?」
どんなことでも。
「家族を持つこと。自分の家族を持ち、家庭を築きたい」
どんな父親に?
「ぼくの父親はものすごくぼくの面倒を見てくれて、相手をしてくれて、理解してくれました。農夫だったので、ぼくが大きくなってトレーニングで家を空けるようになってからは、いっしょにいられる時間は少なくなったけれど、でも、だいじなポイントではいつもぼくを助けてくれます。そんな父をぼくは模範にしたいと思っています」
子どもにはスキーを?
「希望すれば」
それにしてもどうしてオーストリアはいつもこんなに強いのでしょう。
「第一はオーストリアではスキーがナンバー1のスポーツであること。スキーが好きな子どもたちがたくさんいて、いい環境があるからジュニアの層が厚く、そこからいい選手が次々と出てくる。ふたつ目はいいコーチがいること。単にアルペンスキー・ワールドカップのコーチだけではなく、各スキークラブ、州、そしてナショナルチーム、すべてのカテゴリーにいいコーチがいて、連携している。3つ目はナショナルチーム内の選手層の厚さ。この選手に勝てば、この種目では世界でかなりいいところに行けるというように、チームのなかで世界のトップとの比較ができます。これはほかのチームにはない、大きなアドバンテージだと思います」
もし、あなたがオーストリアのようなスキー大国ではなく、コーチとサービスマンとあなたの3人だけのような小国の小さなチームにいたとしたら、それでも同じような成功を収められたと思いますか?
「いまのオーストリアチームの体制は自分にすごくあっているし、うまくいっていると思います。もしべつの小さなチームにいたとしたら、道は遠く険しいものになったでしょう。でも、これまで以上にがんばって、いまと同じところに到達できるような努力をしただろうし、到達できたと思います」
ベニーの携帯電話が鳴り、取材を中断。
通訳氏が言う。
「彼のドイツ語はものすごくわかりやすくて、ずっとそれがふつうなのかと思っていたら、今、携帯で話している言葉はすごく早口で強烈な方言なんです。これがインタビューであること、インタビュアーが外国人であることを考えて、ゆっくりと標準語で話してくれていたんですね」。通訳氏はつづけた。「特別なことや名言はひとつもないし、まったく饒舌ではないけれど、頭の中はきちんと整理されている。すごくオーラを感じます」
最後にいくつか簡単な質問をします。気楽に答えてください。好きな言葉は?
「それってものすごくむずかしい質問じゃないですか?」。苦笑しながら考えこむベニー。しばらくしてようやく「充実」
きらいな言葉は?
考えることなく「戦争」
生まれ変わったらどんな人生を歩みたいですか?
即答。「今までとまったく同じ人生を。成功したし、幸せだし、楽しい、これ以上の人生はないと思います。だからもう1回、この人生を」
それではなりたくないものは?
うーん。軽くうなり、しばらく考えてから「この質問には答えられません。いちばん大切なのはきちんと生活をすることで、そのためにはやりたくないことをしなければならない場合もありますから。」
単純に自分にはできないと思う職業は?
今度は即答。「バーテンダー。一晩中うるさい音楽を聞きながら、空気の悪いところに立ちつづけることはできそうもありません」
そういうところに行くのは嫌いですか?
「いや、遊びに行くのは好きです。(笑)」
最後に、天国で神様になんと言われたいですか?
「よくやった。非常にまじめで誠実な生涯を送った、と」
「下世話な話ですけど」ライヒ家を辞し、山道を下りながら通訳氏に言う。「昨年、志賀高原のレースだけで400万円を獲得。シーズンの総合獲得賞金はかなりの金額になっているはず。ペンキ塗りなど、業者を雇えばいいことなのに、自分たちでやっている。そのふつうさがすごいですね」
「ベニー自身、手を真っ黒にしてパンクを修理していましたし、ほんとうに家族全員がふつうですね」
「『トップアスリートとしてあるべき姿がある』と言っていましたが、ベニーの思う“あるべき姿”とは、そうしたふつうさの上に成り立っているということなんでしょうか」
「彼と話していると、オーストリアと日本の幸福の尺度の違いを感じます。そういえば……」。通訳氏はは軽くうなずき、つづけた。「『生まれ変わったらどんな人生を?』という質問に『いままでとまったく同じこと』と答えましたね、そのあと、『それ以外にやりたいことは?』と重ねて聞いたら『農夫』と答えたんです。農業を経営するのではなくて、父親と同じように自分の手で土をいじる農夫になりたいと」
食後のエスプレッソを飲み終え、腹ごなしにあたりを散策する。
街角にベンジャミン・ライヒのポスター。
黒く大きな文字でこう書かれている。
――模範となる人たちから、自分の道を進むことを学ぶ。
(次回につづく)
*本連載は月2回配信(第2週&第4週火曜日)予定です。次回もお楽しみに。
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時見宗和(ときみ むねかず) 作家。1955年、神奈川県生まれ。スキー専門誌『月刊スキージャーナル』の編集長を経て独立。主なテーマは人、スポーツ、日常の横木をほんの少し超える旅。著書に『渡部三郎——見はてぬ夢』『神のシュプール』『ただ、自分のために——荻原健司孤高の軌跡』『オールアウト 1996年度早稲田大学ラグビー蹴球部中竹組』『[増補改訂版]オールアウト 1996年度早稲田大学ラグビー 蹴球部中竹組』『オールアウト 楕円の奇蹟、情熱の軌跡 』『魂の在処(共著・中山雅史)』『日本ラグビー凱歌の先へ(編著・日本ラグビー狂会)』他。執筆活動のかたわら、高校ラグビーの指導に携わる。 |