ブルー・ジャーニー
#61
フロリダ マナティがいる場所〈3〉
文と写真・時見宗和
Text & Photo by Munekazu TOKIMI
いま、そこにある矛盾
フロリダ州の北半分には、地下水脈がハチの巣のように広がり、湧き出た淡水は、320もの泉を形作っている。
そのうちのひとつ、ホモサッサスプリングに入って間もなく、フロリダマナティにお腹のあたりを鼻先でつんつんと、つつかれたのだけれど、このできごとはふたつの事実を物語る。
ひとつはマナティの生活圏が川面に近いところにあること、もうひとつは好奇心が旺盛だということで、だからレジャーボートのスクリューと接触し、怪我をしたり、死んでしまったりするケースがものすごく多い。睡眠中、呼吸のために水底からゆらゆら浮かび上がってくる途中でスクリューに引っかけられてしまうこともある。
レジャーボートとの接触が体に刻みこまれたフロリダマナティは、全体の70〜80パーセント(傷跡は隠し包丁を入れたソーセージのようで、尾びれを切り落とされてしまうこともある)。接触が原因で死んでしまう確率は死因全体の4分の1を超える。
死因は大きく6つに分けられる。船との衝突事故が28パーセント、自然死が17パーセント、寒さによるストレスが13パーセント、水門での事故が3パーセント、その他の人的要因が3パーセント、不明が37パーセント。(内訳の合計が100にならないのは概数のため)
ストレスをもたらす観光客も少なくない。地元の保護活動家によってyoutubeにアップされている動画には、マナティの背中にまたがったり、親から引き離した赤ん坊を抱きかかえたりしている観光客の姿が映っている。
保護団体“セーブ・ザ・マナティ・クラブ”の代表、水生生物学者パトリック・ローズは言う。
「マナティたちは人間たちと関わりたいわけではありません。彼らは静かな休息場所を求めています。とくに冬の寒い日は、温かい場所を見つけることが生き抜くための最優先事項なのです」
19世紀に入り、領土拡大に乗り出したアメリカは、幌馬車隊を組み、ロッキー山脈を越え、西へ、西へと進んだ。無数のバッファロー(アメリカバイソン)に遭遇し、踏みつぶされはしないかと、夜通し銃を撃ちつづけた。(コロンブスの上陸以前、6000万頭いたバッファローは、1890年には1000頭を切った)
不在地主のメキシコから買い取ったフロリダ半島は、当初、「(第7代アンドリュー・ジャクソン大統領曰く)野蛮人で劣等民族のインディアン」を閉じこめる場所になる予定だったが、じつは太陽が降り注ぐすばらしい土地だということがわかると、先住民をすべて追い払うことに決めた。頭の皮に賞金をかけ、大量の頭皮をかき集めたが、そのうちの多くは、先住民ほどに勇敢ではないメキシコ人と、輸入された中国人とフィリピン人のものだった。
先住民と“アメリカ人”の戦いは20年余りに及び、先住民が負けた。最後まで抵抗したミコスキ族のリーダー、“ワイルドキャット”は去り際に言った。
――おれはごくささやかな土地を求めていたにすぎない。作物を植えて暮らしを立てられる、ずっと南の土地を――一族の遺骨を埋めることができる場所、妻や子供が生きてゆける場所を。
だが、これさえも許されなかった。
今やおれはフロリダを永久に立ち去ろうとしているが、この土地を辱めるようなことはなに一つしていない。ここはおれの故郷なのだ。
おれはライフルをなげすてて、白人の手を握り、もはやこう言うしかない。「さあ、好きなようにやってくれ!」と。
地球上のたいていの場所には、略奪や侵略の過去がある。多くは堆積した時間の奥に埋もれ、前後の時代と混ざり合っているが、アメリカのそれは単純で、過去と呼べないほど浅く、500年ほど時間をはがせば先住民の世界が現れる。
南北統一アメリカをつくりあげるのに要した時間は400年余り。イギリスが古代ローマ軍団に占領されていたのとほぼ同じ期間でしかない。
遡れないから、先へ、上へとアメリカは向かう。
『アメリカの農夫からの手紙』でアメリカ人の本質を浮き彫りにしたアメリカの随筆家、サン・ジョーン・クレーブクール(1735〜1813)は言った。
――イタリアでは、見るものすべて、旅行者の空想のすべてが、古代の人々や遠い昔の時代とかかわりをもたなければならない。……ここ(※アメリカ)では、あらゆるものが現代的で、平穏で、暖かい。
アメリカの思想家、ラルフ・ワルド・エマソン(1803〜1882)は石造りの家を、長持ちしすぎるという理由で批判した。
――われわれの人民は、静止していない。……したがって家も、簡単に移転できるように、あるいは放棄できるように造らなければならない。
アメリカ人にとって、新しいものはきれいで、古いものはきたない。大きく、高いことにこそ正義はある。
ビルは競って天をめざし、スキーもスノーボードもバイクもモーターバイクも自動車も宙に飛び上がる。新しい世界に手を伸ばしているようにも見え、なにかから逃げようとしているようにも見える。
――(アメリカ人は)敏感で、好奇心に満ち、希望にあふれながらも、精神を無感覚にするくすりを他のどの国民よりも多く飲む。自分にたよりながらも、同時に完全に人におんぶする。攻撃的でありながら、防備ができない。自分の子供を溺愛しながら、子供を好かない。一方子供は親にたよりすぎながら、親に対する憎しみでいっぱいである。
「アメリカ人は矛楯によって生き、呼吸し、作用するかのようだ」と、巨大国家アメリカを描き、ノーベル文学賞を受賞したジョン・スタンベックは言う。
――アメリカ人は際立って親切で、もてなし好きで、客にも見知らぬ人間にも開放的である。そのくせ街頭で死んでいく人がいても、離れたところに人垣をつくって近づこうとしない。猫を木からおろしてやったり、犬を下水管から助け出すためには、惜しみなく金を使う。しかし、女の子が道で助けを求めて叫んでも、ドアをぴしゃりとしめ、窓を閉ざし、黙ったままである。自分たちを徹底した現実主義者と思いこんでいるが、広告されたものは何でも買おうとする。とくにテレビで広告されたものを買おうとする。
2012年、魚類野生生物局はフロリダマナティが住むエリアの規制を強化。1年を通して立ち入りを禁止する区域及びエンジンのアイドリングのみにスピードを限定する区域を拡大。さらにボートが高速で航行できる範囲を縮小し、制限速度を時速55キロから40キロに引き下げることを決定した。
それでも運悪くボートと衝突したフロリダマナティは、ホモサッサスプリングに併設された病院に収容される。傷は縫い合わされ、抗生物質が投与され、完治するまで――1年を超えることも珍しくない――治療はつづけられる。
事故で母親を亡くした幼いフロリダマナティのケアは、24時間体制で行われる。授乳は3時間おき。人間の母乳よりも約20パーセント脂肪分が多い、どろりとしたミルクがほ乳瓶で与えられる。
年々手厚くなるフロリダマナティの保護。一方、故郷を追われ、いまなお抑圧されつづけている先住民。もとより人間は矛盾の生き物だが、いま、そこにある矛盾は、アメリカの道路と同じようにわかりやすい。(引用参考文献『アメリカとアメリカ人/ジョン・スタインベック著』平凡社ライブラリー、『インディアン・カントリー/ピーター・マシーセン著』中央アート出版社)
(フロリダ編、了)
*本連載は月2回配信(第2週&第4週火曜日)予定です。次回もお楽しみに。
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時見宗和(ときみ むねかず) 作家。1955年、神奈川県生まれ。スキー専門誌『月刊スキージャーナル』の編集長を経て独立。主なテーマは人、スポーツ、日常の横木をほんの少し超える旅。著書に『渡部三郎——見はてぬ夢』『神のシュプール』『ただ、自分のために——荻原健司孤高の軌跡』『オールアウト 1996年度早稲田大学ラグビー蹴球部中竹組』『[増補改訂版]オールアウト 1996年度早稲田大学ラグビー 蹴球部中竹組』『オールアウト 楕円の奇蹟、情熱の軌跡 』『魂の在処(共著・中山雅史)』『日本ラグビー凱歌の先へ(編著・日本ラグビー狂会)』他。執筆活動のかたわら、高校ラグビーの指導に携わる。 |