ブルー・ジャーニー
#46
アラスカ 北極圏の扉につづく道〈2〉
文と写真・時見宗和
Text & Photo by Munekazu TOKIMI
“わたしの家”の1時間
見わたす限りのトウヒの森を縫って、ユーコン川を母とするクリークが流れていた。
冷たく澄んだ水の中で、カワヒメマスやサケが鱗を光らせていた。ムースがシラカバやヤナギの芽をほおばり、アカリスが木の枝から身を躍らせようと両脚と尾を大きく広げていた。風に揺れるハンノキの茂みでノウサギの子どもが体を寄せ合っていた。
ある日、痩せた男がひとり、森に分け入ってきた。体中、泥だらけで、顔の半分が髭に覆われていた。
男はクリークのほとりに荷物を降ろすと、鹿皮の袋を腰につけ、直径1メートルほどのパン(盆)を持って、クリークに入った。
パンを水にくぐらせ、川底からすくいとった小石に目を近づける。首を横に振り、場所を移してパンをくぐらせる。小石を投げ捨て、場所を移す。何度目かに手が止まった。
森に男の声が響き渡った。
「ストライク!」
男は狂ったように川をさらいつづけ、膨らんだ袋がテントのなかに積み上げられていった。
やがて食料が尽きると、テントや道具を森に隠し、袋をひとつ手にとって町に降りていった。
銀行で袋の中身を紙幣に換え、ホテルに部屋をとった。交易所で食料や日用品を買い、床屋で髪と髭を整え、酒場に向かった。
町に入ったときから、男は、たくさんの視線に見張られ追われていた。
銀行で紙幣に換えられるものは限られていた。酒場に口の固い女はいなかった。
荷物を背負い、パンを手にした男たちが、先を争って町を飛び出していった。
さいしょのストライクは1896年(明治29年)だった。場所はアラスカとカナダの国境近くのカナダ領クロンダイク。大量の砂金を探し当てたのはチェコスロバキアからの移民、ジョージ・カーマック。
翌年の7月18日、シアトルの新聞、ザ・シアトル・ポスト・インテリジェンサーの1面が、ゴールラッシュの幕を開けた。
『汽船ポートランド号がアラスカから1トン半の砂金を積んでシアトルに入港』
世界中から10万を超える人びとがクロンダイクに押し寄せ、原野にドーソンという町が誕生。人口は3万人に達した。
10万人のうち、アラスカの気候と地形を乗り越えてクロンダイクにたどりついたのは3〜4万人、金を手にしたのはその1割にも満たなかった。
壊血病にかかり、1年でクロンダイクを去ったジャック・ロンドンは、掌編“千ダース”の主人公、ラムンゼンに自身の経験を重ねた。
――スチュアート川に着いたとき――つまりドースンまであと七十マイルの地点である――、犬が五匹いなくなっていた。残った犬も引き綱のなかで倒れる寸前だ。ラムンゼンも引き綱のなかへ入り、わずかに残った力をありったけふりしぼって綱を引いた。そんなふうにしても、一日に十マイル進むのがやっとだった。頬骨のところと鼻は、何度も何度も凍傷にやられ、赤黒くなり、激痛を発していた。親指もまた、犬を叩くための棍棒(ジー・ポール)を握っていたのでほかの指と離れ、このために冷気におそわれて凍傷を起こしていた。信じられないほど痛かった。巨大なモカシンはまだ脚を包んでいたが、今まで感じたことのないような痛みが股から下全体をおおっていた。
第2のゴールドラッシュは、1898年、アラスカの北西端、ベーリング海峡に面したセワード半島で起こった。砂金を発見したのは“3人の幸運なスウェーデン人(実際は、ひとりはノルウェー人だった)”
ベーリング海の氷が溶けると、蒸気船が殺到。ネイティブの集落しかなかった海岸線に50キロに渡ってテントが並んだ。
1900年の春、人口2万人の町、ノームが誕生。銃を持った男がうろつき、酒と女、博打、喧嘩、詐欺が横行するゴールドラッシュの日常が繰り広げられた。
1902年、アラスカ中部の原野を流れるクリークでイタリア系移民、フェリックス・ぺドロが大ストライク。
犬ぞりがユーコン川の氷の上を走り、犬泥棒が続出し、発見された犬泥棒は射殺された。犬を持たない数千人の男たちは、荷物を積んだ橇を自分で引いた。
クリークの周辺は、あっという間に丸木小屋で埋め尽くされ、半年後、生まれた町はアメリカ合衆国の上院議員にちなんで、フェアバンクスと名付けられた。
1年後、フェアバンクスで採掘された金は、1876年にアメリカがロシアからアラスカを買い取った価格、720万ドルを上まわった。
以後10年間で10億ドルを産出。フェアバンクスは“アラスカの黄金の心臓 Golden Heart City”と呼ばれることになった。
手渡された注意書きを読む。
〈それぞれの動物との適正距離〉
オオカミ=25メートル
ムース=25メートル
キツネ=100メートル
山猫=100メートル
グリズリー=─1400メートル
オオカミの巣穴=1・6キロ
フェアバンクスの北東約100キロ、ゴールドラッシュの足跡がもっとも数多く刻まれたチナ川のほとり。
先を行くブルックが立ち止まる。
「なにか?」
「あれはトガリネズミの足跡」
潅木の根本の周囲に小さな足跡が点々とつづいている。
「こっちのはキツネの足跡」
今、滑ってきた小径と並行して足跡がつづいている。
「ほら、ここでオシッコをしている。ときどきスカンクみたいに臭うの」
ブルックはミシガン州出身。アメリカ人として珍しく、口調がゆったりしている。
「縄張りを主張するため。たぶん、このキツネはすぐそばにいるわ。もしかしたら、どこか木の陰から私たちのことを見ているかもしれない」
「これはローブッシュ・ベリー。大きいのを見つけたわ。ちょっと凍っているけれど」
冷たくて甘酸っぱくて、かすかに甘い。
「雪が消えると、このあたりは一面ベリーで覆われ、グリズリーがそれを食べにやってくるのよ」
森の住民たちに見つけられる前に、彼らを見つけることができるのだろうか?
「これは野バラ。春先になるとこういうふうにピンク色を咲かすの」
かがみこんで干し柿をうんと小さくしたような実を摘み取る。
「Wild Hip(野バラの実)よ。指先で絞ると、中身が先端に出てくるから、それを食べてみて」
やはり酸味と甘み。だけどローブッシュ・ベリーほど酸っぱくはない。
「チナに来てからどれくらい?」
「ここには2年前から」
「ほかにはどんなところに?」
「南東アラスカのシトカに1年いたことがあるわ。あそこはシー・カヤッキングには最高の場所」
「釣りは?」
「空き缶を海に沈めておいて、次の日に引き上げるとたくさん入っているの。釣りと呼べるようなやり方じゃないけれど」
「ほかには?」
「アリューシャン列島の漁師小屋でひと冬過ごしたこともあるわ」
「なんのために?」
「冬の間、小屋を空ける漁師に代わってニワトリに餌をあげるために」
「!」
「今まで行ったところのなかでは、ここがいちばん好き。手足を思いきり伸ばすことができるから」。ふんわりとした笑顔を浮かべ、つづけた「ここはわたしの家なの」
(アラスカ・北極圏編、次回に続く)
*本連載は月2回配信(第2週&第4週火曜日)予定です。次回もお楽しみに。
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時見宗和(ときみ むねかず) 作家。1955年、神奈川県生まれ。スキー専門誌『月刊スキージャーナル』の編集長を経て独立。主なテーマは人、スポーツ、日常の横木をほんの少し超える旅。著書に『渡部三郎——見はてぬ夢』『神のシュプール』『ただ、自分のために——荻原健司孤高の軌跡』『オールアウト 1996年度早稲田大学ラグビー蹴球部中竹組』『[増補改訂版]オールアウト 1996年度早稲田大学ラグビー 蹴球部中竹組』『オールアウト 楕円の奇蹟、情熱の軌跡 』『魂の在処(共著・中山雅史)』『日本ラグビー凱歌の先へ(編著・日本ラグビー狂会)』他。執筆活動のかたわら、高校ラグビーの指導に携わる。 |