ブルー・ジャーニー
#09
ロフォーテン諸島 鯨撃ちとオーロラ〈3〉
文と写真・時見宗和
Text & Photo by Munekazu TOKIMI
入り江の民の揺りかご
スヴォルヴァールの港を出て、ノルウェー本土の町、ナルヴィークに向かう。
風は冷たいけれど、寒くはない。
アメリカ合衆国沿岸を経由して流れこんでくるメキシコ湾流の熱で、ロフォーテンの海は氷結しない。北極圏でありながら平均気温は札幌よりも高い。
東の山々の稜線が金色に縁取られ、追いかけるようにオレンジ色の太陽が顔をのぞかせる。
幾重もの島影。無数の入江。淡い岩肌。時折、常緑樹の緑。地球の呼吸のようなフィヨルドのリズムにもたれかかり、塗り替えられていく風景に見とれる。
午前一一時一五分定刻、高速船はオートフィヨルドのもっとも奥まった場所に位置する世界最北の不凍港に到着。人口約一万八千人余りの町、ナルヴィーク(農場の意)は第二次世界大戦初期、ナチス・ドイツ軍と連合軍(ノルウェー、イギリス、フランス)の六三日間に及ぶ戦闘が繰り広げられた場所として、歴史に深く刻みこまれている。
迎えに来てくれた観光局のスタッフ、ケティルの車に乗る。
「せっかく来てもらったのにもうしわけない。今年は雪がまったくないんだ。ほら、いつもはこんなにいいところなんだよ」
分厚いファイルを手渡される。海に向かって滑りこんでいくコース。ミッドナイト・サンのもとでのスキー。新雪たっぷりのオフピステ。ページをめくるごとに、ケティルがハンドルを握りながら、ファイルをのぞきこむように説明を加える。
「ロフォーテンを発つのはいつ?」
「明日なんです」
「どこを経由して?」
「ボドーです」
「そいつは遠まわりで不便だ。ナルヴィークから帰ったほうがはるかに楽だよ。今日は泊まっていけばいい。ホテルも飛行機もこっちで手配するから問題ない。荷物はホテルに連絡して途中まで送ってもらおう。とにかくこっちに泊まって、明日、ゆっくり町を見てまわることにしよう」
ケティルの息継ぎを待って、言う。
「じつは今日、ロフォーテンに住む日本人の家で夕食をごちそうになることになっているんです」
「そうかぁ。それじゃ、しかたがないな」観光局に到着し、車を降りながらケティルは言った。「用事があっていっしょにスキー場には行けないけれど、あとのことはニクラウスが全部やってくれる。それから、気が変わったらいつでも言ってくれ、全部手配するから。いいかい?」
ゴンドラの終点に到着。標高六五六メートル。
真っ白いコースがフィヨルドに向かってまっすぐ伸びている。
「ここからリフトを乗り継げば頂上に着く。いつもの年なら頂上から山の裏側にまわりこめば、たっぷりと新雪を楽しめるんだけどね」
ニクラウスは雪不足が自分の責任であるかのように肩をすくめた。
「ベストシーズンは四月の末。スキー、フィッシング、ダイビング、ゴルフとなんでもできる。五月一七日の憲法記念日は、町中がビッグパレード。ぼくたちは山頂から国旗を振りながら下りるんだ」
「ミッドナイト・サンはいつから?」
「五月二八日から七月一四日まで。この時期はたいへんだ」額にしわをよせ、ニクラウスはつづけた「スキーをしてパーティをして、ちょっと寝てからまたスキー、そしてパーティ。それからまたちょっと寝て……」
ニクラウスは吹き出し、声を上げて笑った。
借り物のスキーとスキーブーツでコースを数本滑ってから、中腹のレストランのテラスに移動する。
「このレストランはフルコースのサービスを行っていて、結婚式にもよく使われるんだ」
湖や海を背景に持つスキー場は世界に点在するが、町並みの向こうに広がる青は、とりわけ深い。
「クジラは来ますか?」
「一九八七年に突然やってきて、それ以来毎年姿を見せる。いっしょに潜ることもできるよ。熊もいるけど、サケがたくさんいるから人間とは争わない。よく、どこまで近づくことができるかっていうゲームをやるんだ。ハーイとか、やぁとか声をかけながらね。一度、木に隠れて四メートルまで近づいたことがある」
そろそろ降りようか。そう言ってスキーをかつぎ上げたニクラウスに、なんとはなしに聞く。
「結婚は?」
「来年の四月にすることになっている。彼女は医者になる予定で、いま、勉強が忙しいんだ」
「結婚式はこのレストランで?」
「いや、ロフォーテンで」群青に晴れやかな声が放たれた。「アイ・ラブ・ロフォーテン!」
ナルヴィークを離れ、フィヨルドの懐をロフォーテンに向かう。
午後四時を過ぎると太陽は帰り支度を始め、柔らかな光が無数のシルエットを群青に映す。
VIKINGのVIKは”入江”、INGは“民”の意味し、フィヨルドは“入り江の民の揺りかご”と呼ばれる。
入江の民がフィヨルドから漕ぎ出たのは八世紀の末。藤原基経が関白となり、遣唐使が廃止となり、伊勢物語や竹取物語が著されたころのことだった。
海賊であり商人であり政治家であり探検家だった入り江の民は、やがて異国の社会に溶けこみ、一一世紀の半ばごろ、登場したときとおなじように突然歴史からすがたを消した。
どうして人びとは入江から漕ぎ出たのか。なぜ鍬を剣に持ちかえたのか。
一夫多妻制で出生率が高く、長子相続であったために財産をもらえなかった若者たちがヴァイキングになったという“人口過剰説”がもっとも有力視されているが、未だ推測の域を出ていない。
入江を通り過ぎるとべつの入江が姿を現し、島の向こうにまた別の島が姿を現す。
おなじように見えて、おなじではない無数の曲線。
灰色の、あるか無いかの濃淡。
南の国のコントラストの対極にある、光と影の無限のニュアンス。
都会にはない、陽炎のような刺激。
「離れたかった」のか「離れなければならなかった」のか。見つめるほどに朧な風景のなかで、揺りかごから遠く離れて生きた入り江の民の想いを思う。
(つづく)
*ロフォーテン諸島の観光情報は、ノルウェー政府観光局WEBサイト↓をご覧下さい。
http://www.visitscandinavia.org/ja/Japan/Norway/Lofoten/
*本連載は月2回配信(第2週&第4週火曜日)予定です。次回もお楽しみに。
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時見宗和(ときみ むねかず) 作家。1955年、神奈川県生まれ。スキー専門誌『月刊スキージャーナル』の編集長を経て独立。主なテーマは人、スポーツ、日常の横木をほんの少し超える旅。著書に『渡部三郎——見はてぬ夢』『神のシュプール』『ただ、自分のために——荻原健司孤高の軌跡』『オールアウト 1996年度早稲田大学ラグビー蹴球部中竹組』『[増補改訂版]オールアウト 1996年度早稲田大学ラグビー 蹴球部中竹組』『魂の在処(共著・中山雅史)』『日本ラグビー凱歌の先へ(編著・日本ラグビー狂会)』他。執筆活動のかたわら、高校ラグビーの指導に携わる。 |