ブルー・ジャーニー
#03
水の国、バンクーバーアイランド〈3〉
文と写真・時見宗和
Text & Photo by Munekazu TOKIMI
新しい羽
インサイド・パッセージ(湾岸水路)に浮かぶ人口一二〇〇〇人の島、コーモラント島。
信じられない幸運と善意に導かれて、大きく重いドアの向こうに広がる世界に踏みこんだぼくは、フェリーで耳にした『わたしたちの島』の、広さと深さを思い知らされることになった。
思いついてポート・マクニールからコーモラント島に向かうフェリーに乗りこむ。
油を流したような海面が割れ、真っ黒い頭が浮かび出る。上下にも左右にも揺れることのない、静かでなめらかな泳ぎを言葉にすれば「スー」。
しばらく音引きを伸ばしつづけたゴマフアザラシは、大きく柔らかく息をつくと、句読点を残すことなく海の青に溶けて消えた。
ネイティブの血を引く少女に聞く。「あれはハンソン島?」
ハンソン島はオルカの研究の第一人者、ポール・スポング博士の住居を兼ねた研究所がある島だ。
「ちがうわ」少女は首を横に振り、壁の地図を指さした。「ハンソン島はこれ」
「そうか。このフェリーからは見えないんだね」
「ええ」少女は首をすくめ、言った。「わたしたちの島に来るのは初めて?」
「わたしたちの島?」
「そう、わたしたちの島」
ジョンストン海峡を横切り、約三〇分でコーモラント島の集落、アラート・ベイに到着。五分ほど南に走ったところで車を止め、穏やかな海面を見つめる。
はじめて野生のオルカを見たのは、ワシントン州シアトルからアラスカ・グレーシャーベイに向かって、インサイド・パッセージを北上していたときだった。一〇頭余りのオルカは、笑うように濃紺を切り裂き、弾み、沈み、交差し、跳ね、一キロほど船首と併走すると、現れたときとおなじように、不意に消えていった。
学術名、オルキヌス・オルカ。英語ではキラー・ホエールと呼ばれるが、殺し屋ではないし、クジラでもない。雪のような白と艶々した黒のコントラストをまとったマイルカ科最大の種だ。
オルカには定住するレジデントと旅をつづけるトランジットの二種類がいて、バンクーバー島とコーモラント島のあいだに横たわるジョンストン海峡はレジデント生息地として世界的な有名な場所。ポッドと呼ばれる三世代から四世代に渡る大家族で行動しているのだという。
「なにかお探しですか?」
振り向くと、平屋の家の戸口に小柄な老人。
「オルカが見えないかと思って」
「このところ、姿を見せませんな」
「そうですか」
「どちらから来ました?」
「日本からです」
「日本のどこですか?」
「東京の端から」
ほほうという表情を浮かべると、老人は家の中に向かって大きな声で言った。「ウェンディ!」
浅黒い顔の中年の女性とポメラニアンが一匹、玄関にすがたを現す。
「ウェンディ、この人は日本の東京からやって来たのだそうだ。地下室から“……”を持ってきなさい」
「はい」
「そう、それから、きのうの“……”も」
ほどなくして、ウェンディが聞き慣れない言葉の正体を手にもどってくる。
「このサケの瓶詰めはわが家で作ったもの。こっちのサケの薫製は、きのう、ポート・ハーディで手に入れたもので、すごく上質です。さぁ、お持ちなさい」
「ありがとうございます」受け取りながら自問する。逆の立場だったら、家の前でふらふらしている外国人を呼び止め、自家製の漬け物を持たせるだろうか?
「もうこの島を見てまわったのですか?」
「いえ、フェリーを下りて、まっすぐここに来たので」
「トーテムポールは?」
「見ていません」
「そういうことに興味は?」
「あります。とても」
「それでは、ちょっと家に寄っておいきなさい」
家の中は小さなミュージアムだった。
ウェンディが口を開く。
「この物入れは一〇〇年ほど前につくられもので、あれはポトラッチでつかう楽器」
ガラステーブルに日本の麦わら帽に似た帽子が置かれている。
「これは?」
「それもネイティブの伝統的な工芸品で、ポトラッチでダンスを踊るときなどにかぶる帽子。ウェスタン・レッドシーダー(米杉)の皮をはがして水に濡らし、叩いたものを編んでつくるの」
「あなたがつくったのですか?」
「ええ。先住民の文化をこれからの世代に残したくて、いま、勉強中なの」ウェンディは老人にやさしい視線を向け、言った。「パパはノルウェー人でママはネイティブ。だからわたしはハーフ・ネイティブ」
「所属するトライブ(Tribe=族)は?」
「ナムギス(Namgis)」
「ここの生まれですか?」
「いえ、生まれたのはバンクーバー。ポート・マクニールで彼と出会い、カリフォルニアに二五年住んでいたの。もどってきたのは四年前。長くこの島から離れすぎたわ」
かつて約八〇の言語を持っていた先住民だが、現在は五〇あまり。そのうちもっとも数多くの言語が残されているのがブリティッシュ・コロンビア州のインサイド・パッセージを中心とする地域。ヨーロッパ人の浸食が遅かったために、いまなお、独自の文化が残されている。
ポトラッチは新しい族長の就任、死者の追悼、あるいは成人を祝うときなどに、族長が開く集いだった。自分たちの族だけではなく、近隣の族長たちを招待してごちそうをふるまい、語り、歌い、踊り、贈り物を配り、盛大なものは数日間つづいた。
ミュージアムをめぐり終えると、老人が言った。
「ウェンディ、この人にアラート・ベイを案内してあげなさい。ウミスタはざんねんながら今日は閉まっているようだが」
「まずトーテムポールを見に行きましょう」ウェンディがおだやかな口調で言う。「写真を撮るのはかまわないけれど、敷地の中には入らないでね」
「わかりました」
「あなただけではないわ。神聖な場所だから、だれも入れないの」
質問するより前に答えが返ってくる。
「片腕が落ちているのはスーナクワ」
「スーナクワ?」
「ええ、ナムギスの言葉でワイルド・ウーマン。そこに倒れているのは一〇〇年以上前の一八九〇年ごろに建てられたもの。倒れたのは二年ぐらい前だったわ」
約一億八〇〇〇年前のウィスコンシン氷河期、シベリアとアラスカはベーリンジアと呼ばれる数千キロに及ぶ無氷回廊で結ばれていた。
ある日、モンゴロイドの一団が霧氷回廊に踏み入り、丘と平地が連なるベーリンジアを歩きつづけて北米大陸に到達し、枝分かれを繰り返しながら南下。西海岸沿いに進み、海のめぐみが豊富なバンクーバー島に定住した一団は、遠い記憶やメッセージを木肌に刻みこんだ。
建てられたトーテムポールに手が加えられることはない。修理もリペイントも施されない。日に照らされ、風に吹かれ、雨に濡れ、ゆっくり朽ちていく。
片翼を失ったハクトウワシから淡い緑が芽吹いている。
ウェンディが答える。
「きっと新しい羽が生えてきたのね」
走ってきた車の窓からウェンディのご主人が顔を出し、言った。
「ウミスタに電話をかけて、日本からお客さんが来ていると言ったら、開けてくれるって」
一八八四年(明治一七年)、カナダ政府はポトラッチ禁止令を制定。主催者を逮捕し、贈り物や装飾品を没収した。過度な出費の弊害を防ぐためだとしたが、実際は先住民の結束を恐れたからだった。
先住民は伝統文化の返還を訴えつづけ、一九五〇年代に入ってからカナダ政府はようやく態度を軟化。ポトラッチ禁止令を解除し、オタワやトロントの博物館に収納していた品々の返還を開始。アラート・ベイの片隅に建つウミスタは、返還された伝統文化を保存するために先住民たちが建てたミュージアムで、ウミスタは“帰還(Repatriation)”を意味する言葉。かつてほかの部族に捉えられた人びとが村にもどってきたときに「ウミスタ!(帰ってきたぞ)」と叫んだことに由来する。
「ここは、奪いさられた大切なものをもどす場所なのです」
管理を担っているアンドレアは、そう言うと正面玄関の、かつて日本のカナダ大使館で使われていた大きな引き戸を開けた。
アンドレアに聞く。「どうしてトーテムポールはどれも海を見ているのでしょうか」
「遠い昔、わたしたちとおなじ言葉を話す人たちがバンクーバー島からカヌーで海を渡ってここにやってきました。そして海に面した場所に住み、つづいてやってくる人たちの目印になるようにとトーテムポールを建てたのです」
「バンクーバー島のどこからやってきたのですか?」
「さいしょにやってきたのはここから八〇マイルほど離れた村の人びと、それ後はあらゆる場所から」
直線の組み合わせとはげたペンキ、ウミスタの横にアラート・ベイに不似合いな建物が建っている。
「あの建物は?」
「あれはカナダ政府が建てた寄宿舎です」アンドレアの深く静かな口調がつづく。「一八七四年(明治七年)から、カナダ政府はこの丘に寄宿舎をはじめ、たくさんの建物を建て始めました。これは一九二九年(昭和四年)、さいごに建てられたもので、ただひとつ残っている建物。正面のテラスは白人の教師専用のサンルームでした」
どこからか飛んできたワタリガラス(Raven)が、すぐそばのトーテムポールにとまる。ネイティブの神話に世界の創造主として登場するスズメ目最大の鳥だ。エドガー・アラン・ポーの詩『Raven』では「never more(二度とない)としか言わないが、実物はつぶやき、しゃべり、うなり、トントン、ガタガタ、ゴボゴボと擬音をさえずる
「大切な集いであるポトラッチ・セレモニーをはじめ、先住民の文化を廃絶したいと考えたカナダ政府は、家庭から子どもを取り上げて、この寄宿舎に入れたのです」
「何人ぐらいが?」
「ブリティッシュ・コロンビア州の海岸線から約二〇〇人が」
「しーっ」ウェンディが人差し指を口にあて、創造主に静粛を求める。
「七年から九年間、寄宿舎に閉じこめられ、欧米の教育を押しつけられた子どもたちは、わたしたちの言葉を話せなくなったばかりか、家族やコミュニティのこともわからなくなってしまいました」
「文化が途切れてしまった」
「そのとおりです。カナダ政府に関係するある人びとは、そうした過去を消すためにこの建物を壊したがっていますが、壊してしまったら、ここでなにが起こったのかわからなくなってしまう。だからわたしたちはこの建物を残します。いまわしい過去が忘れられないようにするために。いま、この建物の積極的でポジティブな再利用の方法を考えているところで、一部をラングウェッジ・センターにすることがすでに決まっています」
ふらりとやってきた日本人のために扉を開けてくれたアンドレアに感謝し、ウミスタを離れる。
「コンニチハ」
ウェンディの口から突然日本語が飛び出す。
「どうして日本語を?」
「若いころ住んでいたアパートのルームメイトが日本人だったの。ちょっと待って……」ウェンディはしばらく考えこんでから言った。「スノモーノ(酢の物)」
ひとしきり笑ってからウェンディに聞く。「東京に行ったことは?」
「いいえ」ウェンディは首を横に振った。「怖いわ。バンクーバーでさえ、わたしにはなにもかもが早すぎて怖いの」
先住民が先住民のために建てた小学校に行き、世界で一番高い五二・七メートルのトーテムポールを見上げ、ナムギス族の墓地に向かう。
「わたしは車で待つわ」
墓地は海が見える斜面に広がっていた。
ヨーロッパ人が持ちこんだ十字架のうえに木彫りのハクトウワシやクマやサケやワタリガラスが乗せられている。
真冬の川面から立ち上る霞のように斜面に漂う、無数の物語に満たされた沈黙。
息苦しくなって、息を止めていたことに気づき、車にもどる。
「写真を撮るのはやめました」
「それはいいことね」ウェンディは小さくうなずいた。「これで(アラート・ベイめぐりは)おしまい。小さなところでしょう? ここに住んでいる人たちは冗談を言ってみんなで笑うことが大好きなの。だからわたしはここにもどってきたの」
(バンクーバーアイランド編、次回へ続く)
*本連載は月2回配信(第2週&第4週火曜日)予定です。次回もお楽しみに。
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時見宗和(ときみ むねかず) 作家。1955年、神奈川県生まれ。スキー専門誌『月刊スキージャーナル』の編集長を経て独立。主なテーマは人、スポーツ、日常の横木をほんの少し超える旅。著書に『渡部三郎——見はてぬ夢』『神のシュプール』『ただ、自分のために——荻原健司孤高の軌跡』『オールアウト 1996年度早稲田大学ラグビー蹴球部中竹組』『魂の在処(共著・中山雅史)』『日本ラグビー凱歌の先へ(編著・日本ラグビー狂会)』他。執筆活動のかたわら、高校ラグビーの指導に携わる。 |