韓国の旅と酒場とグルメ横丁
#32
春、バスでぶらっと田舎町へ
東ソウルバスターミナルから2時間、槐山という町
先週のソウルはコートを脱ぎたくなる陽気だった。仕事場でPCに向かっているのがいやになった私は、着のみ着のままで東ソウルバスターミナルに向かった。目的地は決めていない。
窓口で行き先と料金を示す表示板を眺めていると、괴산(ケサン=槐山)の文字が目に入った。忠清北道の北西部に位置する田舎町で、唐辛子祭りが開かれることで有名だ。
2号線江辺(カンビョン)駅前にある東ソウルバスターミナルからバスで2時間の槐山バスターミナル
昔ながらの酒場風景
槐山を初めて訪れたのは『マッコルリの旅』という本の取材をしていた十年ほど前のこと。バスターミナルの近くに老夫婦が営む「天大運食堂」(チョンデウン・シクタン)という名の酒場兼自宅があり、地元の呑兵衛たちが昼間から酒盛りをしていた。
店先の冷蔵庫をカウンター代わりにして立ったまま飲む男たち、4~5人が座れるだけのテーブルと奥には小さな座敷。マッコリはボトルに入った大量流通品ではなく、近くの醸造所からタンクで仕入れたもの。棚には主人が山で採ってきた果物や薬草を漬け込んだ酒が並んでいる。
当時、私が追い求めていた昔ながらの大衆酒場の姿を見つけてうれしくなり、常連の農家のおじいさんや近所で食堂をやっているおじさんたちと、楽しくマッコリを酌み交わした。つまみは女将手づくりの豆腐とキムチ。少々いびつな形の豆腐は、ああ豆腐とは大豆からできているのだなと実感できる素朴な味だった。
常連の一人から「唐辛子の収穫の季節にまたおいで」と言われ、再び訪れたのはその2年後。女将が紹介してくれた農家を訪ね、畑で唐辛子の採集を手伝わせてもらった。味噌をつけた唐辛子をポリポリかじりながら飲むマッコリは最高の味だった。農酒(ノンジュ)という別名をもつマッコリの神髄に近づけた気がした。
洞窟を掘り始めた主人
3度目の槐山訪問は今から5年前の秋、唐辛子祭りの日だった。
その数日前、自宅でテレビを点けると、朝のバラエティ番組に天大運食堂の主人と女将が映っていた。田舎でのんびり暮らすおしどり夫婦の紹介かと思ったらそうではない。主人が自宅の裏山で洞窟を掘ったら水脈に当たり、そこから湧水が出たというのだ。
これは現場を見なくてはと早速訪ねると、ターミナル近くにあった店はそこから徒歩10分ほどの郊外に移転していた。
槐山ターミナルから天大運食堂に向かう道の途中にある、城隍川(ソンファンチョン)を渡る南山橋(ナムサンギョ)からの景色
南山橋を渡って右方向に歩き、左手の農道を進むと小山が左手に見えてくる
天大運食堂は夫婦の自宅でもある
ご主人は私の3度めの訪問を歓迎してくれ、嬉々として洞窟を案内してくれた。腰をかがめて5メートルくらい進むと、背筋をじゅうぶんに伸ばせるくらいの空間ができている。ホースからちょろちょろ流れる湧水が大きなカナダライいっぱいにたまっている。
以前から酒造りや占いなど、いろいろなものにのめりこむ人だとは知っていたが、今度は店を奥さんまかせにして洞窟など掘っていたのだ。しかし、今回はただの酔狂では終わらず、湧水という副産物を得た。そのため、一時期はテレビの取材が殺到し、湧水を分けてもらいに来る人の行列ができ、主人は時の人となった。
湧水で作ったトンドン酒はさまざまな薬草が強く香るものの、すっきりとした飲み口だった。湧水は豆腐づくりにも用いられ、さらに美味しさを増していた。
主人が掘り進める洞窟から湧き出た水は、水質検査も合格済み
洞窟掘りと豆腐づくりのその後
そして、今回久しぶりの訪問である。夫婦は70代半ばになっているはずだ。まだ酒や豆腐づくりをしているだろうか。洞窟はどうなっているのだろう。湧水は枯渇してしまったのではないか。あれこれ気がかりだったが、二人は変わらぬ笑顔で迎えてくれた。
洞窟はさらに掘削が進み、しかも二股に分かれていた。俯瞰するなら現状はY字の状態だが、さらに掘り進め、この二つの穴をつないでqの字にして周回できるようにするのだという。なぜ周回できるようにしようとするのかは不明だが、とにかく主人は元気だった。腰をかがめるだけでもヒーヒー言っている私をあざ笑うかのように、やすやすと洞窟内を行ったり来たりしている。
冬でも夏でも一定の温度に保たれる洞窟。右は主人
店には以前ほど客は来ないようだが、地元のマッコリは今もタンクで仕入れている。座敷でいただいた湧水トンドン酒と豆腐も、変わらぬ美味しさだった。
地元のマッコリと手づくり豆腐
主人が湧水を使って醸した薬草入りのトンドン酒
昼酒でいい気持になり、そのまま座敷で昼寝でもしたい気分だったが、そんなことをしていると私まで洞窟掘りの一味になりそうな気がして引き上げることにした。
夫婦の新婚当時の写真
帰り際、夫婦の結婚当時の写真を見せてもらった。その涼しげな目元は、五十年たった二人に今も健在だ。
槐山の名物料理のひとつ、オルゲンイ・ヘジャンクッ(カワニナのスープ)は二日酔いに効くという
帰りは違うルートで。槐山から曽坪(ジュンピョン)ターミナルまでバスで行き、そこからタクシー(ワンメーター)で曽坪駅(写真)へ移動。曽坪駅から五松(オソン)駅は在来線(忠北線)、五松駅からソウル東部の水西(スソ)駅へは開通したばかりの高速鉄道SRTを利用
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*本連載は月2回配信(第2週&第4週金曜日)の予定です。次回もお楽しみに!
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紀行作家。1967年、韓国江原道の山奥生まれ、ソウル育ち。世宗大学院・観光経営学修士課程修了後、日本に留学。現在はソウルの下町在住。韓国テウォン大学・講師。著書に『うまい、安い、あったかい 韓国の人情食堂』『港町、ほろ酔い散歩 釜山の人情食堂』『馬を食べる日本人 犬を食べる韓国人』『韓国酒場紀行』『マッコルリの旅』『韓国の美味しい町』『韓国の「昭和」を歩く』『韓国・下町人情紀行』『本当はどうなの? 今の韓国』、編著に『北朝鮮の楽しい歩き方』など。NHKBSプレミアム『世界入りにくい居酒屋』釜山編コーディネート担当。株式会社キーワード所属 www.k-word.co.jp/ |
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