越えて国境、迷ってアジア
#92
台湾海峡一周〈8〉馬祖諸島・南竿
文と写真・室橋裕和
台湾と中国の狭間に浮かぶ小さな諸島は、かつての最前線。国共内戦の傷跡がいまだ残る軍事基地だが、昔懐かしい光景にもまた出会える。台北とは別世界のような離島の風に吹かれて旅をする。
両替もATMもSIMカードもない
わずか1時間と少しの航海だった。もう岸が近づいてくる。雨に濡れる甲板に出てみた。小さな集落が見えた。片寄せあうように背の低いビルが密集しているが、遠目にも古びていて、暗い灰色で佇んでいた。背後には、のしかかるような山。険しい地形のようだ。なんだか、見捨てられたような島だと思った。
入港する。ぞろぞろと降りていく乗客に混じって、僕もイミグレーションを通過した。港のターミナルだけはきれいで明るかったが、外に出ると篠突く雨に、くすんだ街並みが広がるばかり。きわめて陰鬱なのである。台湾本島とも、大陸・中国もまるでかけ離れた暗いムードが漂う。しかし、その寂れ感、辺境感がたまらない。
さあて、まずは両替だろうか。それにSIMカードもほしい。国境を越えたときのシークエンスを思い出し、両替屋か銀行のカウンターを探すのだが、小さなターミナルにそんなものは存在しないのであった。SIMを売る店もない。ついでに言うと食堂だとか売店などもない。
慌ててターミナルのまわりを見渡す。見慣れたセブンイレブンの輝きにほっとするが、両替はもちろんATMもSIMカードも置いていないのである。
「ATMならターミナルの裏にあるよ」
と店員が教えてくれたので行ってみるが、これまた古代遺跡の出土品みたいな骨董品で、台湾で発行されたカードしか使えないのであった。
お金も情報も入らない。しばし呆然とする。ここは離島とはいえ高度に発展した友邦・台湾ではなかったか。海峡を渡った対岸は、ピカピカの摩天楼が立ち並ぶ超大国なのである。しかしこの馬祖諸島の中心地・南竿(ナンガン)は、時間が止まったような集落であったのだ。
寂寥とした光景がたまらなくソソる馬祖諸島。深い山と、ささやかな集落。そして暗い海が続く
南竿の港はさびれていた。数軒の安宿と食堂が、活気もなく営業している
意外に観光客もいるようだ
ざあざあ降りの中、荷物を引きずってボロビルが立ち並ぶあたりに行ってみる。建物はどれも、上階が民家か安宿で、1階部分が食堂や商店になっているようだった。試しに雑貨屋に入ってみて、人民元を差し出し「チェンジマネー?」と聞いてみる。店主らしきおじさんは一瞬とまどうが、電卓を叩いてレートらしき数字を示し、台湾元を手渡してくれた。これでアクティブに動ける。
次は宿だろう。漢字で「民宿」と書かれた建物がいくつかある。どこかに空きが見つかるだろうとタカをくくっていたのだが、困った顔で「ノー」と言われるか、「没有房(メイヨーファン、部屋はありません)」と返されるばかり。5、6軒回ってみるが、ぜんぜん空き部屋が見つからないんである。
「最近は台湾本島から、若いのがいっぱい遊びに来るんだよ」
とある宿のアニキは翻訳アプリを使って教えてくれた。こんな寂しい離島も、観光地なのだ。
またか、と思った。ついつい宿の予約をおろそかにしてしまうから、こうなる。ネットであらかじめ宿を決めてしまうのが、どうにも面白くないのだ。先が見えてしまうことに、つまらなさを感じてしまう。だから「宿は飛び込みで探すもの」という染みついた習性に従って旅をして、いざ現地に着くと安宿ですらどこもかしこも予約で埋まっており困るパターンが最近は続いている。
だが、なんとかなってしまうのもまた旅なのである。
見かねたアニキがあちこちに電話をかけてくれたのだ。同業者に空き部屋を訪ねてくれているらしい。おかげでようやく泊まる場所が見つかり、そこのwifiで通信も確保、ついでに電動バイクもここで借りられることになった。
部屋に荷物を置き、ほっとひと息つく。やっと台湾に入国したことを実感した。
かつて軍事拠点だった坑道の一部は観光地化されている
海風に耐えられる石造りの家が並ぶ。レトロさを求めてやってくる若者が増えているそうだ
ここは国共内戦の最前線
ターミナルに置かれていた地図を、改めて眺めてみる。
「う~ん、しぶい……」
僕は唸った。ここ馬祖諸島のロケーションたるや。#85で訪れた金門島と同様に、中国大陸にへばりついているのである。台湾本島からは遠く遠く離れているのである。
赤いマークが馬祖諸島。とうてい台湾とは思えない位置に浮かんでいるのだ
なぜこんな位置に台湾の領土があるのか。
その成り立ちは金門島と似ている。きっかけは1940年代の国共内戦だ。共産軍の攻勢の前に、国民党軍は追われ、散り散りとなり、大陸の辺縁へと敗走していった。一部はタイ北部に逃れ、その子孫は#42でも紹介した小さな中国コミュニティでいまも暮らしている。
国民党軍の多くは海峡を渡って台湾へと撤退していくわけだが、その過程で意地を見せた。海峡に浮かぶいくつかの島に軍を残して、いつか反攻するための橋頭保としたのだ。それが金門島であり、馬祖諸島だった。
当然、共産党軍は島々に対して苛烈な攻撃をぶちかました。それでも、国民党軍は数十年もの間かじりつき、死守したのだ。
とりわけ馬祖諸島は「最前線」となり、軍事要塞として固められ、1994年まで一般人の入域は厳しく制限されてきた。
バイクに乗って島を走ってみると、その面影があちこちに残っていることがわかる、そこらじゅう、トーチカだの塹壕だの、迷彩色の建物だのが山道に点在しているのだ。廃墟となっているものや、見学できるところもあるけれど、現役の軍事拠点もあって、いかめしい装甲車が走り回っていたりする。教練中か、屈強な一団が隊列を組んで声を上げ、ジョギングしているところにもすれ違う。すっかり観光地化した金門島とは少し違って、まだ戦争のガチの匂いが漂っているのだ。
小さな湾には、たいてい小さな集落がある。小さな港を中心に、石の家が寄り添う
タイムスリップしたような島
そして島を巡ってみると、心落ち着くしっとりとした家並みや、古びているけれど懐かしい商店街がたくさん残っていることにも気がつく。台湾本島より、何十年か時計の針を戻したようにも思えてくる、なんというか、昭和なのだ。
どれだけ走っても、きらびやかな繁華街もネオンもなかった。騒々しさもない。石造りの村が静かにたたずみ、褪せた看板を掲げる小さな店が集まってささやかな街路をつくっている。そこに台湾海峡の潮風が吹きつける。
いい風情なのだ。
開発がすっかり進んだ台北や、大陸中国とは別世界だった。軍事的な緊張から長らく閉鎖されていたため、古い文化がそのまま閉じ込められているようだ。近代的な空気を感じるのは、南竿島に(おそらく)3つだけあるセブンイレブン程度だった。
南竿島で最も大きな馬港集落のそばには、諸島の名ともなっている馬祖(媽祖)の女神像が立っていた。海峡を見つめている。海の守り神である媽祖さまは、#88で訪れた湄洲島に生まれ、海で遭難してこの南竿島に打ち上げられたという。以降、海を越えて旅する人々の守護女神として信仰を集めている。台湾海峡とは、媽祖さまの海なのだ。
そのご加護のもの、諸島をもう少し奥深くまで探ってみよう。
媽祖の女神像が見下ろす海には、軍船の姿が
(次回に続く!)
*国境の場所は、こちらの地図をご参照ください。→「越えて国境、迷ってアジア」
*本連載は月2回(第2週&第4週水曜日)配信予定です。次回もお楽しみに!
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室橋裕和(むろはし ひろかず) 1974年生まれ。週刊誌記者を経てタイに移住。現地発日本語情報誌『Gダイアリー』『アジアの雑誌』デスクを務め、10年に渡りタイ及び周辺国を取材する。帰国後はアジア専門のライター、編集者として活動。「アジアに生きる日本人」「日本に生きるアジア人」をテーマとしている。おもな著書は『日本の異国』(晶文社)、『海外暮らし最強ナビ・アジア編』(辰巳出版)、『おとなの青春旅行』(講談社現代新書)。
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