旅とメイハネと音楽と
#92
トルコ・エーゲ海地方アラチャトゥの旅〈3〉
文と写真・サラーム海上
家庭料理レストラン『エンギナレ』でエーゲ海料理を習う
2019年6月20日日曜。この日はアラチャトゥ旧市街にある家庭料理レストラン『Enginarre(エンギナレ)』でエーゲ海料理を習えることになった。
ここはミライさんとミネさん、地元生まれの姉妹が作るエーゲ海の家庭料理が評判となり、Tripadvisorによるアラチャトゥのレストラン部門で四年連続でナンバーワンに選ばれていた(2020年7月現在は第四位)。
ミネさんは、僕のイスタンブルの友人アイリンの一番上のお姉さんで、イズミルに暮らしているシェルミンさんの家で家政婦としてアルバイトもしていて、シェルミンさんを通して、二人を紹介してもらった。と言っても、モロッコやギリシャで訪れたような本格的な料理教室が待っているのか、それとも二人が料理を作るのを見せてくれるだけなのか、それとも、お店の仕込みを手伝わされるのか、行ってみないことにはわからない。
外国人観光客に人気のお店にもかかわらず、ミライさんとミネさんは英語が苦手らしく、チャットは全てトルコ語で届いた。僕はその場で翻訳アプリを使って翻訳し、やはり翻訳アプリを使ってトルコ語で返信した。すると前日の夕方になって、翌日の朝10時過ぎにお店に来てくれとメッセージが届いた。
エンギナレは僕が滞在していた宿の丘を下って、石畳の旧市街に入ってすぐの裏通りにあった。小さなモスクの目の前の道の角で、野外のテラスに白い木製のテーブルが12脚並び、上には真っ白な日よけの巨大タープが張られていた。雨が降ることなど全く考えていない造りだ。
その奥に小さな一階建ての白い建物があり、入り口をくぐると正面に15畳くらいのスペースがあり、三方の壁が台所の作業台やレンジ台となっていて、手前にテーブルや収納庫を兼ねた作業台が設置されていた。理想的なアイランドキッチンだ。そこでオレンジ色のTシャツに白い前掛けをつけたミライさんが巨大なプラスティックのボウルにパン生地をこねながら、にこやかに迎えてくれた。
日曜の午前中のアラチャトゥ旧市街外れ
角にエンギナレのサイン発見。エンギナレはアーティチョークという意味。ほかにもケキッキ(タイム)ホテル、裏庭など、農産物にちなんだ名前のお店が目立つ
「ギュナイドゥン(おはようございます)。アイリンの友達の日本人です。料理を習いに来ました!」
「ホシュゲルディニズ(ようこそ)。ちょうどパンを作っています。小麦粉と塩と酵母だけです。酵母は私の父が60年前に作ったものを元に今日まで受け継いでいます」
おお、朝一発目から60年前の酵母なんて興味深い! パン生地はかなりベチョベチョな状態で、お玉一杯分ほどをタッパウェアに取り分け、冷蔵庫に保存してから、残りをステンレスのボウルに移し、オーブンで発酵させていた。こうやって60年間も受け継がれてきた酵母で作るパンはさぞかしエーゲ海のエッセンスが詰まっているはず。
ちょうどパン生地をこねていたミライさん
発酵したパン生地の一部を次回の生地のために残しておく。こうして酵母が60年間も受け継がれてきた
ミライさんは以前は近くの人気レストランの厨房で働いていて、4年前にミネさんと一緒にエンギナレを開いたそうだ。
スマホのグーグル翻訳を使い、ミライさんの喋りをその場で翻訳させながら、話を伺っていると、ライトグリーンのTシャツに白いエプロン(よく見るとエーゲ海の野菜のイラストがプリントされたお揃いのもので、お店のオリジナルらしい)姿のミネさんが現れた。
「今までシェルミンの家に行ってたんです。彼女がよろしくと言ってましたよ、ハハハ。さあハーブを刻みましょう!」
繊細そうなミライさんに対して、お姉さんのミネさんは明るくて典型的なトルコのおばちゃんキャラだ。そんな二人が作業台に並び、スーパーの半透明ビニール袋から大量の青ネギ、ディル、バジル、スペアミント、そして、にんにくを取り出し、それぞれ刻み始めた。
「エーゲ海料理では大量のハーブを使います。特にパセリとディルは何にでも使います」とミライさん。
彼女はイタリアンパセリを左手でギューギューとつかめるだけつかみ、親指と人差し指で輪っかを作り、そこからはみ出たパセリの葉を右手に持ったペティナイフで剃るように切っていく。切る度にほんの数ミリずつパセリを指の輪っかから押し出し、ジョリジョリと剃っていく。中くらいのスーパーのビニール袋にパンパンに詰まっていたイタリアンパセリがあっと言う間に全て削ぎ切りになった。
一方、左側のミネさんは、やはりスーパーの中袋いっぱいの青ネギをザクザクと輪切りにしていく。日本の青ネギなら10袋分くらいを一気に切り分けた。
パセリとネギと比べると、ディルやスペアミントは少なめだ。それぞれ100gほどをみじん切りにする。次に様々なサイズのプラスティックのボウルを7~8個用意して、それぞれに適量ずつ分けていく。日本料理やフランス料理などでは、ハーブは料理の最後に振りかけるもののように思ってしまうが、エーゲ海料理ではハーブはもっと重要な要素となる。多くの料理に最初から必要になってくる。
「パセリや青ネギは今から作る料理全てに使います。ディルはドルマ(詰め物)やサルマ(巻き物)に、ミントはサルマとミュジュヴェル(お焼き)に入れます。実はハーブは真夏よりも冬のほうが柔らかくて美味しいんです。真夏は葉っぱが固くなりすぎる。春は雨が多いのですが、毎年4月にアラチャトゥでハーブフェスティバルが開催されます。フェス期間中は観光客が多すぎて疲れます」とミネさん。
これがイタリアンパセリの刻み方! イタリアンパセリを左手に持てるだけ持ち、親指と人差し指から出た葉っぱを右手に持ったペティナイフで削ぎ落としては、押し出す! この繰り返し
青ネギは日本と同じくまな板の上で輪切りにしていく。ふ~、ちょっと安心した
一日に使うハーブ。これは一部だけ
ここでミライさんが作り始めたのは夏から秋にかけて旬の野菜、ズッキーニの花にハーブやお米を詰め込んで炊いたカバック・チチェイー・ドルマス。前回(第91回)も紹介したが、僕の大好物の一つだ。
「ズッキーニの花は早朝、咲いた瞬間に収穫するんです。午後になるとまたしぼんでしまうからです」
お米を6カップ、ボウルに入れ、流水にさらしてよく洗ってから、ザルにあげる。お米はデンプンが少ないものが良いそうだ。大きなボウルに、お米、塩、赤唐辛子、バハラット(トルコのミックススパイス、レバノンの7スパイスと同様で、クミン、オールスパイス、乾燥バラの花びら、黒胡椒、ナツメグなどのミックス)、クミンパウダー、黒胡椒、乾燥ミント、みじん切りの玉ねぎ、先程の青ネギ、イタリアンパセリ、スペアミント、ディルを入れ、よく混ぜ合わせ、さらにトマトペーストをカップ1加え、混ぜ合わせる。これでエーゲ海料理のドルマとサルマの基本となる詰め物が出来上がり。
ズッキーニの花は乾燥させないように、水をいっぱい入れた別のボウルに一つずつ浮かべておき、左手で一輪を持ち、右手で花びらを開き、中の雌しべに向けて、スプーンにのせた詰め物をつめこんでいく。詰め込みすぎるとお米が膨らみ破裂してしまうので、7分目くらいまで詰め、花びらの先を交差させて、蓋をしてから、鍋の側面に沿って立てて並べていく。そして、鍋にひたひたまで熱湯を注ぎ、更にレモン汁、オリーブオイル、塩を加え、二時間弱火で煮る。
「出来上がったカバック・チチェイー・ドルマスは室温に冷ましてからいただきます。翌日のほうが味が沁みて美味しくなります。この季節は一日に35個から40個作って、お店に出しています」
朝摘みのズッキーニの花。日本では高級食材!
ドルマとサルマの詰め物となるハーブご飯。水で洗ったお米とハーブ、トマトペーストなど
ズッキーニの花はいったん水に浮かべて、花びらを開かせる
花びらを開くと中央奥に雌しべが。この黄色い花粉がきな粉のようにホロホロとした美味さ!
詰め物を花に詰めていく。詰めすぎないように注意!
サラームも手伝いました!
詰めたズッキーニの花を立てて鍋にぎっしり並べる
熱湯をひたひたに注ぎ、オリーブオイル、レモン汁、塩を加えて、二時間煮込むのだ
ミライさんの次男のギュネイ君が顔を出した
ミライさんがカバック・チチェイー・ドルマスを作っている間に、ミネさんは同じお米とハーブの詰め物を塩漬けにしたブドウの葉で巻いて、アスマ・ヤプラウ・サルマスを作り始めた。ほんの少しの量の詰め物を葉の中央に横に線上に並べるように置き、丁寧に細く巻き、まるで細い葉巻のように美しく仕上げていく。この作業はベテランのミネさんでもかなり時間がかかりそうだ。
ちょうど出勤してきたアルバイトの若い女性もミネさんの横でブドウの葉を巻き始めたが、出来上がったものを見て、「太すぎる!端がきれいじゃない!」と厳しくダメ出しをされていた。なるほど。なるべく細く(直径2cm以下)巻きたばこのように揃えるのが肝なのか。勉強になりました!
ミネさんがアスマ・ヤプラウ・サルマスを作り始めた。ハーブを混ぜたお米を塩漬けブドウの葉できっちり細く形良く巻いていく
ミライさん、今度は今シーズン初の栗カボチャを使ったオーブン焼きのカバック・シンコンタ。栗カボチャは皮をむき、種とワタを取り、実の部分を1cm厚のいちょう切りにして、大きな耐熱皿の上に敷き詰め、塩と乾燥ミントをふりかけておく。
次に玉ねぎ4個を薄切りにし、塩でもんでから、カボチャを覆い隠すように置く。ボウルにオリーブオイル1カップ、水4カップ、小麦粉大さじ1、乾燥ミント大さじ1、赤唐辛子粉大さじ1、穀物酢大さじ2、おろしにんにく3かけ分、トマトペースト大さじ1を入れ、よく溶かしてから、カボチャと玉ねぎの上から回しかけ、180℃のオーブンで30分焼き、さらに160℃で一時間焼いて仕上げる。
今度は栗カボチャのオーブン焼き、カバック・シンコンタ
耐熱皿に栗カボチャのスライスを敷き詰め、塩と乾燥ミントをふり、塩もみした玉ねぎのスライスも並べる
オリーブオイル、水、小麦粉、乾燥ミント、赤唐辛子粉、穀物酢、おろしにんにく、トマトペーストをよく溶かす
カボチャと玉ねぎに回しかける
カボチャは低温のオーブンでじっくり焼く
アルバイトの女の子とともに120本のサルマを巻き上げたミネさんは、大きな鍋の底に余った塩漬けブドウの葉を敷き詰め、鍋を斜めに倒して、巻き上げたサルマを鍋の側面に沿って立てるようにびっしり並べていく。なるほど、鍋を水平に置いたままではサルマを垂直に立てられないから、鍋を倒して、並べていくのか!これも勉強になった。
毎日作り続けているためか、120本のサルマは鍋のサイズにジャストフィットし、隙間もないほどギュウギュウだ。そこにカバック・チチェイー・ドルマスと同じく、熱湯、レモン汁、塩、オリーブオイルをひたひたになるまで注ぎ込んだ。これで後は二時間、弱火で煮込むだけ、と思いきや、最後にエーゲ海の夏らしいひねりがあった。鍋の隙間いっぱいにサワーチェリーを放り込んだのだ! これは美味そうだ!
120本のアスマ・ヤプラウ・サルマスを、斜めにした鍋の縁に沿って立てるように並べていく。なるほどこんな並べ方をしていたのか! 勉強になります!
煮上がったカバック・チチェイー・ドルマス。まだ食べられないですよ~! 室温に冷ましてからです。しかも、翌日のほうが味が落ち着いて美味いとのこと
アスマ・ヤプラウ・サルマスは熱湯やオリーブオイル、レモン汁に加えて、鍋一杯のサワーチェリーをのせて煮こむのだ。なんという贅沢! 美味そう~!
この他、焼き茄子のサラダやアーティチョークのサラダも習ったが、気づくとすでに午後5時。この晩は別のレストランで現地在住の友人イェトキンと再会する予定が入っていた。もう味見している時間もない! ミライさん、ミネさんの料理をいただくのは二日後の夕食、アラチャトゥ最後の夜に仕切り直しだ。
建物入り口の壁に書かれた今晩のメニュー。どれも美味そう!
ミライさん、ミネさんのキッチン全体像。料理の完成と続きは次回以降!
(次回に続く)
この連載の一部をまとめた単行本『美味すぎる! 世界グルメ巡礼』が、双葉社より7月下旬に刊行されます。
世界各地の旅先で出合った、「美味すぎる!」グルメ紀行。旅先で食べた美味いもの、何度でも訪れて食べたいものを、テキストと写真でたっぷり紹介しています。日本の家庭で再現できるレシピも多数収録した1冊。ぜひお手に取ってみてください!!
*著者の最新情報やイベント情報はこちら→「サラームの家」http://www.chez-salam.com/
*本連載は月2回配信(第1週&第3週火曜)予定です。〈title portrait by SHOICHIRO MORI™〉
![]() |
サラーム海上(サラーム うながみ) 1967年生まれ、群馬県高崎市出身。音楽評論家、DJ、講師、料理研究家。明治大学政経学部卒業。中東やインドを定期的に旅し、現地の音楽シーンや周辺カルチャーのフィールドワークをし続けている。著書に『おいしい中東 オリエントグルメ旅』『イスタンブルで朝食を オリエントグルメ旅』『MEYHANE TABLE 家メイハネで中東料理パーティー』『プラネット・インディア インド・エキゾ音楽紀行』『エキゾ音楽超特急 完全版』『21世紀中東音楽ジャーナル』他。最新刊『MEYHANE TABLE More! 人がつながる中東料理』好評発売中。『Zine『SouQ』発行。WEBサイト「サラームの家」www.chez-salam.com |