ブーツの国の街角で

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#90

ポイント・オブ・ノー・リターン ー回帰不能点ー

文と写真・田島麻美

 

 日課となった朝のワークアウトを終え、軽くシャワーを浴びて身支度を整える。雨上がりの朝のベランダに柔らかな春の陽光が差し込み、思わず笑みが浮かんだ。さて、これからスーパーへりんごを買いに行かなければ。

   1年前のこの時期、イタリアは、新型コロナウイルス感染拡大防止ための全土ロックダウンが始まっていた。ロックダウンに突入した日はちょうど連れ合いの誕生日で、お祝いに夜はピッツァでも食べに行こう、とささやかな計画を立てていた私たちの予定はこっぱみじんに吹き飛んだ。連れ合いの誕生日には、彼の大好物のりんごのタルトを焼いてバースデーケーキ代わりにするのが恒例となっているのだが、去年はこのりんごのタルトを除いては何一つお祝いらしきことはできなかった。本来であれば、家族や友人と盛大に祝うはずの40歳の誕生日。不恰好なりんごのタルトに刺した、小さなキャンドルの光があまりにも貧弱に見えて、私はなんだかションボリしてしまった。しかし当の本人はケロッとしていて、「おかげで一生忘れられない誕生日になったぞ!」と、得意のブラックジョークで笑わせてくれた。

  そんなことを思い出しながらスーパーへ向かう。ウイルスの変異株が急拡大しているイタリアでは、またしてもロックダウンが囁かれはじめている(後日、3/15から11の州でロックダウンが決定した)。どうやら今年もまた、りんごのタルトだけでお祝いしなければならなくなってしまうようだから、せめて少しでも美味しいタルトを作ってあげよう。

 

   通りに出ると、街路樹の桜の花はもう散りはじめていた。スーパーへ入ると、くだもの売り場の中央に山と積まれていたオレンジは、その座をイチゴに取って代わられていた。りんごの旬もそろそろ終わり。タルト用の青リンゴは1キロ1,29ユーロまで値下がりしていた。形はいびつでも、味はピカイチのイタリアのくだものや野菜。生鮮食品は全て計り売りで、品をじっくり選んで欲しい分だけ買えるのが嬉しい。できるだけキズの少ないりんごを求めて吟味していると、背後からビニールの手袋をした小さな手が伸びてきた。脇を見ると、私の肩くらいの背丈の、ちっちゃくてコロンとしたおばあちゃんが、手に取ったりんごをじっと見つめている。うちの母と同じくらいの年齢だろうか。おばあちゃんは、彼女のお眼鏡にかなったりんごをいくつか袋に詰めると、大きなショッピングカートを引きずりながら秤の方へよたよたと歩いて行った。

 

いつの間にか葉桜になっていた街路樹。外へ出る機会が激減した日常生活では、見慣れたはずの街路樹の小さな変化の一つ一つが大切に思えてくる。

 

   家に帰って早速、りんごの皮を剥き始める。細かく切って砂糖とレモン汁と一緒にじっくり煮詰めていく。キッチンに爽やかなりんごの香りが充満する。背後のラジオから流れてくるのは、ABBAの「ダンシング・クイーン」。しゅわしゅわと泡を出しながら煮詰まっていくりんごを見つめていると、頭の中でさっきのおばあちゃんの姿に実家の母の面影が重なった。今年で86歳になる母は、コロナ禍のまっただ中にあった去年の秋、道で倒れて骨折した。手術とリハビリ入院が必要になった。心不全や糖尿病などの持病がある母にとっては、全身麻酔だけでも大きな危険が伴う。すぐにでも飛んで帰ろうと思ったが、家族や母本人から、「帰ってくるな」と止められた。その時、初めて痛感した。私は、なんと遠いところにいるのだろう、と。

 

不恰好だけれど、なぜかイタリアの家族や友人たちに大好評なりんごのタルト

 

 ラジオのABBAは元気いっぱいに歌っている。70年代の終わりから現在まで、世界中の人々に長く熱く愛され続けているこの曲を最初に聞いたのは、高校生の頃だったと思う。その時は「ふーん」と思った程度だったが、今ではこの曲を聞くたびに胸の奥がギュッとなる。

   ダンシング・クイーンが流れるディスコに通い始めた大学時代から、靴に羽でも生えたかのように、私は一日のほとんどの時間を家の外で歩き回って過ごした。社会に出てからはさらに拍車がかかって、家は寝に帰るだけの場所となった。母はそんな私に呆れ、半ば怒りながら、「早く帰ってきなさい」と毎朝言っていた。イタリアで暮らし始めてからも、電話を切る前にはいつも決まって、「次はいつ帰ってくるの?」と聞かれるのが当たり前になっていた。「帰ってくるな」と言われたのは、あの時が初めてだった。距離や時間だけではない、それらを包括するもっと大きな何かに阻まれて、「帰れないほど遠くに来てしまった自分」を実感させられた。知らぬ間に、私はもう二度と戻ることのできない「ポイント・オブ・ノー・リターン」を超えてしまっていたのだ。そう気づいた時、長い間思い出すことのなかった大好きな長田弘さんの詩が、ブワッと頭の中に蘇ってきた。

「遠くへいってはいけないよ」。子どものきみは遊びにゆくとき、いつもそう言われた。ー

という一文から始まる長田弘さんの詩は、20代の頃に私が出会った人生の宝物である。当時、生まれて初めて味わう大きな挫折感に打ちのめされていた私は、その詩を読んだ時、ベッドの中で号泣した。その時はまだ言葉の深さをよくわかってはいなかったけれど、なんとなく、想像するだけで胸をしめつけられるような切なさを感じたことを憶えている。長田弘さんの詩集『深呼吸の必要』に収められている「あのときかもしれない・4」というのがその詩、というか散文なので、興味を持たれた方はぜひ全文を読んでみてください。好奇心旺盛でいつも「遠くへいってはいけない」と言われていたのはまさに私自身で、私にとって人生とは、できる限り遠くへ、遠くへと続いていくものだと思っていた。私が大好きなその詩の最後の一節に、こんな言葉が綴られている。

 

 

「遠くへいってはいけないよ」。

   子どもだった自分をおもいだすとき、きみがまっさきにおもいだすのは、その言葉だ。子どものきみは「遠く」へゆくことをゆめみた子どもだった。だが、そのときのきみはまだ、「遠く」というのが、そこまでいったら、もうひきかえせないところなんだということを知らなかった。 「遠く」というのは、ゆくことはできても、もどることのできないところだ。おとなのきみは、そのことを知っている。おとなのきみは、子どものきみにもう二どともどれないほど、遠くまできてしまったからだ。 (※長田弘著『深呼吸の必要』ー「あのときかもしれない」より)  

 

 

 

 

  *次回は2021年4月15日掲載予定です。お楽しみに! 

 

 

田島麻美 (たじま・あさみ)

  ローマ在住フリーライター。撮影コーディネイター、通訳・翻訳者。国立ローマ・トレ大学マスターコースにて宗教社会学のディプロマ取得。イタリアの旅、暮らし、食文化、複雑で奥深い歴史と人に魅せられ、イタリア全州で取材を敢行、執筆活動を続ける。著書に『イタリア人はピッツァ一切れでも盛り上がれる』、『南イタリアに行こう』、『イタリア中毒』など。

 

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