旅とメイハネと音楽と
#86
西アフリカ・コートジボワール取材記〈2〉
文と写真・サラーム海上
遠路はるばる、アビジャンの舞台芸術祭へ
2020年3月7日金曜夜22時、コートジボワールのアビジャン・フェリックス・ウッフェ・ボワニ国際空港に到着した。新型コロナウィルスの影響でガラガラの成田空港からエールフランスで13時間かけてパリに飛び、そこからさらに6時間のフライトでアビジャンにたどり着いたのだ。
エールフランスで一路パリへ。窓からは冬の富士山がくっきりと
パリのシャルル・ド・ゴール空港の非シェンゲン協定エリア行きターミナルはこんなにガラガラだった
パリのシャルル・ド・ゴール空港も成田空港同様にガラガラだったが、アビジャン行きの飛行機はほぼ満員だった。アビジャン到着後は入国審査の前に臨時の検疫のブースが作られ、白衣に医療用のマスクとゴーグル、ビニール手袋をした係員たちが旅客の一人一人の額の熱を測り、それを書類に書き込んでからやっと入国審査の運びだ。
一時間半もかかって入国を済ませ、荷物を受け取り、出口に向かうと、『MASA』(二年に一度開催されるアビジャン舞台芸術祭)のプレートを持った若い女性が立っていた。
「日本から来たサラームです」
「アビジャンへ、MASAへようこそ。ホテルまで車を用意しています。その前にまず現金とスマートフォンのSIMを手に入れて下さい」
係の女性の周りに立っていた二人の若者が僕のスーツケースを運び、まず銀行のATMへ、続いて携帯電話の通信会社のブースに案内してくれた。スマホの言語を日本語からフランス語に切り替えて彼らにわたすと、慣れた手付きでSIMを差し替え、面倒そうな設定をチャチャっと行って、その場で回線が開通した。これで滞在中は常時ネット接続出来る。
「SIMカードと9GBのパケット料金を合わせて15,000CFA(約2,800円)です」
「早い! 親切にありがとう」
「貴方のお役に立てて何よりです。よろしかったら、手伝ったみんなのコーヒー代をいただけませんか?」
なるほど、彼らはMASAの係員や通信会社の店員ではなく、小遣い稼ぎの一般人だったのね。これは着いた早々に一本取られたなあ。インドやモロッコでは、こうした輩の手は一切借りないことにしているが、彼らのおかげで面倒な手間が省けたのだから、お駄賃を多めに渡してもいいかな……初めてのアフリカで気分が高揚しているせいか、それとも疲れ切って面倒を避けたいのか、僕にしては珍しくおおらかな気分だ。
空港から出ると、むせ返るような暑さ。夜なのに27~28度はありそうだ。真冬の東京から来たので、身体を合わせるのが大変だ。ジャケットを脱いでTシャツ姿になりたいが、一月前に東京の検疫所で「半袖になってはいけません! 蚊に刺されるとマラリアの危険があります」と念を押されていた。
ホテルの車を待つ間にMASAの係員から、同じ飛行機でパリから到着した背の高い年配のフランス人男性ドミニクさんを紹介された。
「私はジャーナリストだが、70歳の今は隠居の身さ。しかし、若い頃から西アフリカ諸国と縁があり、セネガルのダカールに暮らし、40歳を過ぎてからフランス語のアフリカ社会派雑誌『Jeune Afrique(若いアフリカ)』の編集長を務めた。隠居した今もアフリカの政治や社会、文化について執筆しているんだ。MASAに来るのは三度目だ。君はサブサハラ(サハラ砂漠以南のアフリカ大陸を指す言葉、北アフリカ以外のアフリカ全土が含まれる)は初めてかね。それならアビジャンは理想的な入り口だよ。なに? マラリアの蚊だって? 今は乾季だからそんなのいやしないさ」
ホテルはアビジャンの行政機関が集まるプラトー地区にあり、空港からはたった15分の距離。ドミニクさんの身の上話を聴いているうちにいつの間にか到着してしまった。
1962年にアビジャンで最初に建ったという三ツ星ホテル『ル・グラン・ドテル』にチェックイン。ダブルサイズのベッドが置かれた部屋は狭くもないが、広くもなく、テラスからは広い中庭が見えるだけの殺風景な三ツ星だ。そして冷房の初期設定温度は17℃……。荷物を広げ、シャワーを浴び、ベッドに横になると、時刻は3月7日の午前1時すぎ。日本との時差は9時間なので、日本は朝の10時か。自宅を出たのが前日の午前6時前だったから、ここまで28時間かかった……フ~お疲れ様でした。
夜中のアビジャン・フェリックス・ウッフェ・ボワニ国際空港。暑いし、ムワ~っと湿度も高い!
Grand Hotel d'Abidjanのスタンダードルーム。プールこそないが、清潔で冷房もWifiも完備なので、アビジャン出張にはおすすめ
Grand Hotel d'Abidjanの部屋のテラスからは中庭。反対側の部屋はラグーンが見渡せて、見晴らしこそ良いが、MASAの音楽演奏が夜通し鳴り響き、安眠出来ないとのことww
3月8日土曜、本日からMASAがスタートだ。午後2時からアビジャンの北に広がるベッドタウン、アボボの市役所前広場で行われるパレードがグランドオープニングとのことで、午後1時半にドミニクさんと一緒にタクシーに乗り、アボボに向かった。
プラトー地区はフランスが植民地時代に統治府を置いた場所で、現在も銀行や役所、警察、教会などの大きな建物やオフィスが並ぶ。しかし、この日は週末なので人がほとんど出ていない。
10分ほどでプラトー地区を抜けると、庶民的なエリアが広がっていた。道路の両側の丘陵に沿って色とりどりの掘っ立て小屋が立ち並び、それ以上にカラフルな服を着たたくさんの人、人、人が路上にあふれている。狭い小屋の中に快適な居場所はないだろうから、とりあえず仲間とつるんで路上に出ているのだろう。どこかムンバイのスラムを思わせるが、路上の人々が楽しそうにニコニコしているのがムンバイとは決定的に違う。
タクシーは路上の人々をすれすれで交わしながら時速100km近く出して、ぶっ飛ばしていく。僕はそんな風景がなんだか可笑しくて、車内で笑いだしてしまった。アフリカには人を陽気にする不思議な力があるようだ。
アボボに向かうタクシーから見た路上
インド人もビックリ?の路上市場
アボボ市役所前の大きな広場では、中央奥にステージが組まれ、その100m以上離れた手前に来賓のためのテントが張られ、テント内に来賓用のプラスティックの椅子が並べられていた。ステージからこんなに遠くていいの? テント内にはオシャレな民族衣装やスーツでビチっと決めたアフリカ人たちと暑さでヨレヨレとなった軽装のヨーロッパ人たちが数十名、既に陣取っていた。
それにしてもお昼時は暑い。ちょうど通りかかった物売りからビニール袋入りの飲料水を買って、ドミニクさんにも1袋渡すと、「その水は衛生的ではないので、飲まないほうがいい」と諭された。ペットボトル以外の飲料水は飲んではいけないようだ。
開始予定時間から一時間過ぎた3時過ぎ、アフリカ大陸で最も洗練された太鼓と言われる東アフリカの国ブルンジの太鼓チームが登場し、ダンスを交えたアクロバットのような演奏を始めた。距離が遠すぎるので、僕はテントから出て、彼らに近づいて写真を撮影し、ビデオを回した。しかし、演奏はたったの10分で終了。その後は遠く離れたステージの上で、DJが甘ったるいアフリカン・レゲエを流すだけ。午後の日差しはとにかく暑いし、午後4時近くになっても何も始まりそうにないので、いったん、広場を後にした。
アボボ市役所前広場のテント内来賓席にて。いくらなんでもステージが遠すぎるでしょう! アフリカ人は視力良いらしいけどねえ
アボボ市役所前広場の陽気なガードマンたち
アフリカ一美しいと言われるブルンジの太鼓隊
宿に戻り、シャワーと冷房でクールダウンした後、ドミニクさんと再度合流し、MASAのメイン会場となる文化宮殿へ向かった。文化宮殿は宿からラグーン(内海)を挟んで真正面の南側にあり、直線距離はほんの数100メートルだが、タクシーでは橋を経由するので2kmほどの距離がある。
宿の上層階からラグーンを見渡す。反対岸に見えるのがMASAのメイン会場の文化宮殿
文化宮殿内のMASAプレス事務所でプレスパスと8日間の全プログラムが掲載された小冊子を受け取ると、どこか遠くから肉の焼ける良い香りが漂ってきた。さすがにお腹が空いてきた!
野外の大型ステージの脇を奥に進むと、野原にフジロックフェスのフェス飯ゾーンのように5~6軒の屋台が並んでいて、どの店も店頭に大型の炭火焼きグリルを置き、大きな魚と鶏肉をもうもうと焼いていた。屋台で働いているのはほぼ全員が女性。照明は暗いし、僕はアフリカ料理について何も知らなかったので、おばちゃんが最初に話しかけてきた屋台で鶏肉の炭火焼きとご飯のセットを頼むと3500CFA=約630円。そしてビール小瓶が500CFA=約90円。ドミニクさんはご飯の代わりにフライドバナナを頼んでいた。
奥の芝生に並ぶテーブル席に腰掛けていると、5分ほどで料理が運ばれてきた。鶏の鶏肉にはトマトソースとズッキーニを煮こんだソースがかかっていて、肉自体もトマトやクミンなどでマリネしてから焼いてあるようで、しっかり味が沁みている。取り立てて美味いわけではないが、シンプルな分、数日続いても飽きることはなさそうだ。当然地鶏だが、焼きすぎていて噛み切れないほど固い。固すぎる! 明日からは鶏のグリルではなく、もう少し柔らかそうな鶏の煮込みや魚のグリルにしよう。
「こうした屋台や庶民的な食堂のことを『Maquis(マキ)』と呼ぶんだ」
「フランス語でマキとはコルシカ島の低木地帯や、第二次世界大戦中にそこを活動拠点にしていたパルチザンを指す言葉ですよね?」
「そのとおり。よく知ってるねえ。こうした店の多くは鶏肉と魚以外に、鹿やネズミや猿などの、低木地帯で狩猟したジビエ肉を出しているので、植民地時代にここに移住してきたコルシカ人がマキと名付けたんだ。それが今もそのまま残っているんだよ」
文化宮殿野外ステージ奥の屋台コーナー
民族衣装のお姉さんが魚を炭火焼きしている
魚は一種類だけ、青ティラピア!
地鶏の炭火焼き、トマトとズッキーニのソース、ご飯の定食
食事をしていると日が暮れた。ドミニクさんは1960年代はスウィンギング・ロンドンに憧れ、毎週末ロンドンを訪ねていたそう。なんとなくそんな面影あり
ドミニクさんと話をしていると、僕にMASAのことを教えてくれたロシア人のサシャが目の前に現れた。
「本当にアフリカまで来たね! ウェルカム!」
「遠かったし、コロナウィルス騒ぎで大変だったけど、本当に来たよ。あ、こちらはドミニクさん。アフリカ専門のジャーナリストです」
「着いて早々に良いガイド役と出会ったね。でも今夜からは音楽漬けだ!」
そこからはドミニクさんとサシャ、事情通のヨーロッパ人二人による西アフリカトークが始まった。そして、サシャがMASAのプログラム小冊子を元に、観るべき音楽アーティストを一人一人解説してくれた。僕はこれと同じような最新地元音楽トレンドのレクチャーを、つい先日は南インドのチェンナイでアキラジーから受けていたような……世界中どこに行っても、音楽オタクが繰り広げるデジャヴューの風景だ。
サシャと再会! 赤道ギニアとチュニジアの友人と一緒に
(コートジボワール編、次回に続きます)
*この連載の一部をまとめた単行本を、今夏7月に刊行予定です。お楽しみに!
*著者の最新情報やイベント情報はこちら→「サラームの家」http://www.chez-salam.com/
*本連載は月2回配信(第1週&第3週火曜)予定です。〈title portrait by SHOICHIRO MORI™〉
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サラーム海上(サラーム うながみ) 1967年生まれ、群馬県高崎市出身。音楽評論家、DJ、講師、料理研究家。明治大学政経学部卒業。中東やインドを定期的に旅し、現地の音楽シーンや周辺カルチャーのフィールドワークをし続けている。著書に『おいしい中東 オリエントグルメ旅』『イスタンブルで朝食を オリエントグルメ旅』『MEYHANE TABLE 家メイハネで中東料理パーティー』『プラネット・インディア インド・エキゾ音楽紀行』『エキゾ音楽超特急 完全版』『21世紀中東音楽ジャーナル』他。最新刊『MEYHANE TABLE More! 人がつながる中東料理』好評発売中。『Zine『SouQ』発行。WEBサイト「サラームの家」www.chez-salam.com |