越えて国境、迷ってアジア
#81
カンボジア側シーパンドン カンポン・スララウ〈3〉
文と写真・室橋裕和
メコン河を挟んで対岸にラオスを望むカンボジアの小さな村、カンポン・スララウ。向こう側に行きたいところではあるが、このポイントでメコンを渡河できるのは地元住民のみ。外国人には許可されていないのだ。そこで陸路でラオスを目指すことにしたのだが……。
バスがなくてもクルマをチャーターすればいい
寝坊して、1日1本の乗り合いバスを逃してしまった。
が、東南アジアの僻地においては、公共交通がすべてではないことを僕は知っている。そこらの人に頼んでクルマを出してもらうという手があるのだ。これはイナカに行くほど有効だった。バスなどの便が乏しい村でも、もちろんお金次第ではあるのだが、クルマを提供してくれてドライバーをかって出る人が現れるものなのだ。そこでまずは宿の娘に聞いてみたのだが、困った顔をする。
「みんなバイクしか持ってないし……どこまで行くの?」
「ラオス」
「なら目の前やん。フネで渡ればすぐだよ」
「いや、外国人はダメなんだ。ちゃんとパスポートにハンコくれるとこ」
ポン、とスタンプを押すしぐさを見せるのだが、
「よくわからないけど、外国人でも誰でも行けるよ。向こうにも知り合いや親戚いるし。うちもフネあるし、出そうか?」
おそらく彼女の言うとおり、この国境はこっそり突破できるに違いない。パスポートチェックを受けることなくメコンを渡ってラオスに上陸し、そのままビエンチャンまでたぶん行ける。だがそれを世間では密入国と言うのである。村娘の感覚が生活者としては正しいのだろうけれど、現代社会では国境通過にあたってはシビアなルールを守らなくてはならない。カンボジア人とラオス人以外の人間でも通過できる、国際国境に行く必要があった。
どうにも腑に落ちない様子だったが、彼女があちこちに電話やらフェイスブックやらで聞きまわってくれたおかげで、どうにかおんぼろのセダンが見つかった。30歳くらいの兄ちゃんが、友達をつれてやってきたのだ。クルマの年代はわからないが恐ろしく古く、サビだらけで土ぼこりにまみれてはいるが、この赤土広がるバス便も乏しい大地では頼もしく見える。
さっそく地図を広げて、聞いてみる。
目的地はラオス領に入ったデット島。そこまでどんなルートをたどって行くのだろうか
まずは目指せストゥントレン
「いまここでしょ、カンポン・スララウ。で、外国人も通過できる国境は、このストゥントレンの北」
「そうそう、ここ。外国人はこっちに行かないと」
と、ほかの村人よりは国境越えの国際ルールを知っていそうだ。
「ほかに、この近くにないの? 外国人OKの国境」
僕の目的地は、目の前のメコン河なのである。広大な中州に島々が浮かぶ景勝地シーパンドンに渡りたいのだ。さしあたりデッド島あたりだろうか。ラオス側にあるのだけれど、船で渡れば確かにすぐそこなのだ。だがそれは外国人には許されていない。
となれば、ここからストゥントレンまで南下して、また北上してラオスを目指すV字コースとなる。だが、時間もかかるしそのぶんチャーター代も高くつこう。
ほかに外国人にも開放されたイミグレーション・ポイントはないのだろうか。あるいは、国際国境までストゥントレンを経由せずに、V字ではなく直線的に向かうショートカットコースはないものか。
「うーん……いくつかメコン河を渡ってラオスに行ける場所はあるけど、外国人はダメじゃないかなあ。それと、国境になってるメコン河はカンボジアにぐいって入ってくるだろ」
僕のスマホを拡大する。
「川幅が広いんだ。このあたりでメコン河を越えられる橋があるのは、ストゥントレンだけ。だから時間をかけて、まずストゥントレンに出なくちゃならない」
やはりそういうことか。仕方がないが、トラクターとバイクばかりのこの村でクルマを捕まえられただけでも幸運なのだ。ともかくルートは決まった。
恐る恐る値段を聞いてみると、彼は申し訳なさそうに「100ドル」と言う。かなり高いと思うのだ。僕はその半額程度を予想していた。しかし、
「この村はガソリンが高い。それに、帰りのぶんのガソリンだって必要だし」
確かにカンポン・スララウにガソリンスタンドは見当たらなかった。大きなドラム缶にポンプを取りつけたものが雑貨屋の軒先にあるだけだ。きっとほかの地域から運んできたもので、その輸送費や人件費も上乗せされているのだろう。
「あと、俺のほかにこいつにも日当を払ってやってほしいから」
えへへ、とツレの男がひょっこり顔を出す。
「こいつが一緒じゃないと、俺は行かない。いくら積まれても行かないよ」
どうして……と聞いてみると、
「もしふたりで行って、あんたを国境で下ろしたら、帰りは俺ひとりになっちゃう。寂しいだろ」
真顔で言う。麗しき友情というより、単なる寂しんぼうのようだった。
カンポン・スララウで最も大きな建物である学校、その奥にはメコン河とラオスが見える
こちらはカンポン・スララウで食べたランチ。丸ナスと豚肉の煮物、サラダ。コメはいくらでもあるから好きなだけ食えとボールで出てきた
荒野の真っ只中を走る!
宿の娘に見送られてカンポン・スララウを発つ。たった1日いただけだが、美しいところだった。
村を出て走り出すと、茶色い埃が舞い上がる。視界があまりきかない。ガタガタのダート道を低速で越えていく。しばらくは埃にまみれた畑や、刈り取りの終わった田んぼが見えていたが、それもなくなり左右はブッシュというかジャングルというか、無人の荒野がひたすらに続く。
「見ろ」
運転手のツレが後ろを振り向く。
「パームツリーだ」
「イエス」
「あれは、スモールビレッジだ」
「OK」
いちおう100ドルぶんのガイドをするつもりのようだ。
「ユーシー、メコンリバー」
促されて、左手を見る。川岸のすぐそばを走っていた。雄大な流れと併走する。ところどころに中州の島が浮かんでいる。あれらすべてはラオス領なのだ。ボーダーサイド・ドライブだ。かっこいい。
国境を従えて走っていることだけではない。このルート自体、日本人旅行者で走破した者がいるだろうか。ここまでカンボジアの奥地を攻めた旅人は僕だけではあるまいか。そう思うと昂ぶる。ラジオから流れる演歌のようなカンボジアの歌に乗って、みんなで声を合わせる。
道はところどころに大穴が開き、30キロも出せない。やがてメコンを離れ、周囲すべて人の手の入っていない原野のようになった。フロントガラスはもう真っ白だ。ぴったり窓を閉めていても、どこからか埃が入ってくるようで、目や喉が痛い。
それでもときどき、数軒の民家を見る。まわりにはわずかな田畑。隔絶されたような、こんな場所にどうして、と思う。子供たちが井戸と格闘し、男たちは畑を耕し、炊事の煙が上がる。走っているクルマは僕たちのほかにほとんどなかったけれど、たまにすれ違うのはナベカマや布や洗面用具やバケツなどの日用品を満載したトラックだった。どんな場所でも、人の暮らしはあるのだ。
まるで砂漠のラリーのような険しくもうもうと煙る道を走り続けること3時間、前の座席のふたりから安堵したようなため息が漏れた。
「おおお……」
僕も思わず声が出た。
舗装路だ。ようやく大きな道にぶつかったのだ。文明世界に帰還したような安心感があった。クルマの激しい揺れは、嵐が収まったかのように静かになった。運転手がスピードを上げる。
「ストゥントレンまでは1時間もかからないぜ!」
こんな道が延々と続く。それでも物資販売のトラックがちゃんと走っていて、沿道の村の生活を支えている
この光景を見たときはホッとした。やっと激しい振動から開放される
(次回に続く!)
*国境の場所は、こちらの地図をご参照ください。→「越えて国境、迷ってアジア」
*本連載は月2回(第2週&第4週水曜日)配信予定です。次回もお楽しみに!
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室橋裕和(むろはし ひろかず) 1974年生まれ。週刊誌記者を経てタイに移住。現地発日本語情報誌『Gダイアリー』『アジアの雑誌』デスクを務め、10年に渡りタイ及び周辺国を取材する。帰国後はアジア専門のライター、編集者として活動。「アジアに生きる日本人」「日本に生きるアジア人」をテーマとしている。おもな著書は『日本の異国』(晶文社)、『海外暮らし最強ナビ・アジア編』(辰巳出版)、『おとなの青春旅行』(講談社現代新書)。
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