ブルー・ジャーニー
#71
アテネ それまでのどの旅よりも贅沢な〈1〉
文と写真・時見宗和
Text & Photo by Munekazu TOKIMI
固くて弾力のあるゴムの丸太
力尽きたように道路の舗装が途切れ、バスがひどく揺れはじめる。
窓の外を見ながら勝美さんが言った。
「ちょうど亮子が計りに乗ったところやね」
時計を見ると、朝7時を過ぎたところだった。
「昨日は何時頃寝ましたか?」
「2時過ぎにうとうとして、起きたのは4時15分。テーピングの準備をたしかめとったよ。試合の前は、いつもよう寝らんもん」
オリーブ園の向こうにアノリアシア・ホールが見える。長年、住みついていたジプシーを追い払って建てた建物だ。
道端の植物を指さして勝美さんが言った。
「あれはミントやね」
「よく知っていますね」
「なんでも一度見たら忘れんことよ。そこのツゲ、日本やったら高いよ。でも、日本やったら、あんなに小さい葉っぱにならん。やっぱりこのあたりは水分がないからやね」
2004年8月14日、ギリシャ・アテネ市郊外。「亮子」は谷亮子で、勝美さんはその父親の田村勝美。この日行われるオリンピック・アテネ大会、柔道女子48キロ級、連覇をねらう谷亮子は2回戦から登場することになっている。
初めて話を聞いたのは、まだ田村亮子のときだった。
――選手たちがもつれあって場外に倒れこむシーンをよく目にします。疲労のせいもあると思いますが、亮子さんにはそれがないですね。しがみつく相手を振り払ってでも立っている。
「いやなんですよね、倒れるのが。背中に付かれるのも、自分が下になるのもいやです。どんな状況でもつねに自分が上にいなければ。基本的に負けずぎらいですね、かなり」。田村亮子は小さく笑いながらつづけた。「柔道をはじめてから、夜、背中を布団につけて寝たことがないんです」
小さなころから、試合前に祝勝会の準備が進められ、「勝たないわけにはいかなかった」田村亮子の言葉や立ち振る舞いはただ興味深く、それ以後、何度か試合を見に行き、何度か話を聞き、何度か練習を見せてもらってきたが、柔道女子48キロ級を見るためだけにアテネに行く贅沢はまったく頭になかった。アテネの人々は、オリンピック1カ月間で10年分の生活費を確保するつもりだと聞いていたし、テレビが圧倒的に優遇されるオリンピックに対して、取材の場としての魅力を感じなかったからだ。
「3312」
勝美さんの声が蝉時雨に響く。数字に合わせて谷亮子の両手が、飛んでいる虫を捕まえようとしているかのように上下左右に動く。並行して両足は、石段の上でサイドステップを3歩踏み、片足で踏みきってつぎの段に上がる。
「4213」
さっきとはべつの手つきで虫を追いながらサイドステップ。今度は両足同時につぎの段に飛び乗る。
「これは“組み手の打ちこみ”よね」と勝美さん。
7月6日。オリンピック・アテネ大会、柔道女子48キロ級の39日前、午前10時。谷亮子とトレーニング・パートナーの原久美子は、勝美さんと福岡市内の古い石段を使ってトレーニングをはじめた。一直線につづく急な石段の数は、途中、4カ所の踊り場をはさんで24段、24段、23段、24段、23段、計118段。
練習が始まった瞬間、谷亮子は、いつも無表情になる。笑顔はもちろん、苦しそうな顔はぜったいに見せない。今日も同じだ。その顔にひとかけらの感情も浮かばない。
“打ちこみ”とは、同じ動作を反復する練習で、“立ち技の打ちこみ”と“寝技の打ちこみ”は古くから行われているが、この“組み手の打ちこみ”は勝美さんのオリジナル。1から5までの数字は、引き手と釣り手がつかむ場所を意味し、対戦相手を想定してつかむ高さを微調整するため、組み合わせは全部で150通りを越えるという。
数字の組み合わせの傾向が、踊り場を過ぎるごとに変化していく。
――なにが起こっているんですか?
「わからんよな。それぞれ1回戦から5回戦に見たてて、そこにさまざまなタイプの対戦相手を振り分けているのよ」
「早く、早く、早く!」「片足! 両足! 片足!」「ジャンプ!」「機敏な動き!」「さーっと上がる!」「ダッシュ!」「もっと頭の回転を上げる!」「腹筋で引き上げる!」「ここからすり足!」
メニューはどんどん変化していき、下りは基本的にダッシュ。ふたりの後ろ姿を見送りながら勝美さんに聞く。
――インターバルはないんですか?
「ないよ。体を動かしながら乳酸を除去するようにメニューを組んでおるから」。谷亮子から目を離さず、勝美さんは言った。「あんたも、やってみんね」
たった一往復なのに大きく置いていかれ、下りで靴が壊れる。
最後のメニューは手押し車。腕立て伏せの姿勢を取った谷亮子の両ひざのあたりを、原久美子が腰を落として抱え、まっすぐ登っていく。
「久美子、直角より、少しひざを伸ばせ」
下りは横向き。踊り場ごとに左右を入れ替える。
「久美子、亮子に押されても動くな。まっすぐ降りろ」
動きを見つめながら勝美さんが言う。「代わってくれんと? 久美子ひとりじゃもたんのよ」
踊り場で交替、両脚を抱える。
「押す! 押してやる!」
ふらついたり、蛇行したりしないよう、腰を落として圧力に対抗する。固くて弾力のあるゴムの丸太を抱えているような感じだ。目を閉じたら、圧力の源がそんなに小さな体だとはぜったいに思わない。
練習が終了し、壊れた靴を抱えていると、谷亮子が声をあげて笑い、言った。
「アテネ、来ますよね」
「もちろんです」
柔道女子48キロ級の試合を見るためだけのアテネ3泊5日。それまでのどの旅よりも贅沢な旅に出ることが決まった。
昼食と休憩をあいだにはさみ、道場に場所を移して4時から練習を再開。
ウォームアップを終え、原久美子を相手に乱取り。5本で1セット、インターバルは10秒。
資料にしようとバッグからビデオカメラを出すと、勝美さんが言った。
「撮らんほうがいいな」
『撮るな』でも『だめだ』でもない、穏やかな口調の『撮らんほうがいいな』に驚いていると、勝美さんは言った。
「カメラを向けると亮子は止めを差さなくなる。テレビから流れる練習風景には、本当の練習は映っとらんのよ」
それから4日後、全日本チームの合宿の初日、谷亮子は畳と畳の隙間に左足親指をはさみ、うしろに転倒。かかとの外側、左腓骨筋腱を損傷。のちに、患部付近の靱帯が2本断裂、通常であれば最低でも6週間の休養が必要だったことが明らかになった。
(アテネ編・つづく)
*本連載は月2回配信(第2週&第4週火曜日)予定です。次回もお楽しみに。
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時見宗和(ときみ むねかず) 作家。1955年、神奈川県生まれ。スキー専門誌『月刊スキージャーナル』の編集長を経て独立。主なテーマは人、スポーツ、日常の横木をほんの少し超える旅。著書に『渡部三郎——見はてぬ夢』『神のシュプール』『ただ、自分のために——荻原健司孤高の軌跡』『オールアウト 1996年度早稲田大学ラグビー蹴球部中竹組』『[増補改訂版]オールアウト 1996年度早稲田大学ラグビー 蹴球部中竹組』『オールアウト 楕円の奇蹟、情熱の軌跡 』『魂の在処(共著・中山雅史)』『日本ラグビー凱歌の先へ(編著・日本ラグビー狂会)』他。執筆活動のかたわら、高校ラグビーの指導に携わる。 |