ブルー・ジャーニー
#70
バリゴッティ あの角の向こうへ〈6〉
文と写真・時見宗和
Text & Photo by Munekazu TOKIMI
続続・部屋の中の遊歩
オリーブとレモンとローズマリーの木が気ままに生い茂る庭の、崖っぷちに置かれた椅子に座る。
眼下に朝もやが残るブルー。古代ローマ人に“nostra mare(ぼくらの海)”と呼ばれた地中海。
さっきから小さな点が、沖合に向かって動きつづけている。もう2キロは進んでいるだろう。
キッチンに行って冷蔵庫から缶ビールを取りだし、ベンチにもどる。いったいどこまで泳いでいくつもりなのだろう。
潮風が絶え間なく流れ、真っ白な洗濯物がひるがえる路地の、曲がり角の向こうにはいつもnostra mare。
やらなければならないことはなにもない。見なければならない遺跡も、買わなければならないものも、もちろん働く必要もない。よく歩き、食べ、飲み、眠り、思うことがすべてだ。
沖合に浮かぶオレンジ色のブイにつかまっていた点が、やがて岸に向かって動き始める。
新しい缶ビールを取り出し、降り注ぐ夏の日差しのなかで、冬のある日を思う。
オーストリアでのスキー留学から帰国したKさんは、スタッフを募集し、スキースクール開校の準備に取りかかった。
「癖のついたやつはだめなんだ」
採用した約40人の半数は技術章1級を持っていない者や、スキーを始めたばかりの人間だった。
「3食食べさせて、小遣いをあげてな、生徒なんていなかったから、毎月、最低でも150万円は持ち出しだった。だけど、スキー学校はもうかるものじゃない。もうけたいやつはほかのことをやったほうがいい」
蔵王スキー場のパラダイスゲレンデからスタートしたスキースクールの評判はさざ波のように広がり、相次いで分校を開校。Kさんはそれらをひとつひとつ独立させると、学校長を子息に代わった。
「さあさあ、冷めないうちに、食えぇ」
テーブルの上に“校長餃子”、片品そば、小樽から届けられた数の子、手製のいぶりがっこ。校長餃子はKさんのオリジナルで、豚肉、ホタテ、甘エビ、蛤等、具材がぎっしり詰まった揚げ餃子。シルエットは無骨だけれど、味は細やか。
「おれな、反省していることあんだ。スキー技術を教えてしまった時期がけっこうあったなぁと思ってな。指導者は技術を教えちゃいけない。スキーをすることを教えなくちゃなんないんだ」
――技術ではなく、スキーをすることを教える。
「そうだ。技術っていうのは、物の使い方なんだよ。ナイフとフォークの使い方と同じで、ステーキを味わうこととはべつの話なんだよ。最高の技術なんてない。技術の極意とは適当な技術を適当に使うことなんだ。食べやすくステーキを切られれば十分。人より細かく切れたって、なんの意味もないんだ。だけどまだ経験が浅くて不勉強だったときは、理屈や形を教えればいいと思っちゃったんだなぁ」
――スキーをすることとは?
「旅をすることだな。スキーはゲームじゃない。長いスキー人生のなかで、点数や時間を争う時期があってもいいけど、それがすべてじゃいけないんだ。リュックサックを背負って出かけて、思い出をそのリュックサックにいっぱい詰めて帰ってくる。そのあいだのすべてがスキーなんだ。指導とは、同じ道をいっしょのスピードで歩き、ともに汗をかき、ともに寒がり、ともに胸襟を開くこと。つまり、指導者とは道づれだとおれは思う」
――スキーは人生の一部ですか?それとも。
「それ、かならず聞かれると思ってたんだ」
質問を言い終えぬうちにKさんは言った。
「おれにとってスキーは一部じゃない。人生でもない。すばらしいものでも、好きなものでも、すてきなものでもない。すごくありがたいと思っているものなんだ。こんなに便利で、こんなにオーソドックスで、こんなに正直で、こんなに自己表現が自由にできて、こんなに体によくて、こんなに友ができる。こんなのないと思うんだ。グリーンランドを横断したナンセンがこう言ったんだ。『スキーっていうのはすばらしい。こんなに便利なものがあると思わなかった』ってな」。身を乗り出すようにして、Kさんはつづけた。「“便利”、いい言葉だよな。この言葉にくらべたら、勝ち負けなんて、こんなちっちゃく見える。スキーは遠い昔に生活のなかから生まれ、何百年も受け継がれてきたものだろう。そういうものを単なるゲームにしてしまったら、スキーの神様にもうしわけないと思うんだ」
「これ、あんたにやる」
Kさんの足どりのひとこまが書きつけられた、葉書ほどの大きさの絵を手渡される。
「このごろ、スキーを履かなくても、ここにこうして座って目を閉じれば、サンアントン(オーストリア)や八方尾根や蔵王の樹氷原のなかを滑れるようになったんだ。あぁー、天気がいいなぁ、ちょっと休んで景色をながめるかなってな。ずいぶん時間がかかったけれど、これでおれも一人前のスキー人になれたなと思ってんだ」
「すっかりごちそうになって、すみません」
「帰るのか」
「はい、そろそろ」
「おれの車に乗っていけ」
「いや、タクシーを呼びます」
「いいから、送っていくから。何分の汽車だ?」
真っ赤なボルボ・ステーションワゴンに乗りこむ。
「おれな、最後にひとつ描いてみたい絵があんだよ。笑うかもしれないけどな。なんだと思う?」
この冬、初めての本格的な雪がフロントガラスに間断なく吹きつけている。
「三途の川なんだ。どうしても描きてぇの。ないとは言えないよな。おぼれている政治家を描いたりよ。ゴルフの練習する暇があったら、水泳の練習をしろってな」
新庄駅がぼんやりと見えてくる。
「今、あっためられる駅弁あるだろ、あれ、買ったらだめだぞ。あれは駅弁じゃない。冷たくてもおいしいのが駅弁なんだ」
別れ際、Kさんは右手を差し出しながら言った
「今日から金山を田舎だと思え。いつでも来いぃ」
駅弁は十分すぎるほど冷たかったけれど、「来いぃ」の2文字とちょっとのぬくもりは東京駅に着くまで消えることはなかった。
(バリゴッティ編・了)
*本連載は月2回配信(第2週&第4週火曜日)予定です。次回もお楽しみに。
![]() |
時見宗和(ときみ むねかず) 作家。1955年、神奈川県生まれ。スキー専門誌『月刊スキージャーナル』の編集長を経て独立。主なテーマは人、スポーツ、日常の横木をほんの少し超える旅。著書に『渡部三郎——見はてぬ夢』『神のシュプール』『ただ、自分のために——荻原健司孤高の軌跡』『オールアウト 1996年度早稲田大学ラグビー蹴球部中竹組』『[増補改訂版]オールアウト 1996年度早稲田大学ラグビー 蹴球部中竹組』『オールアウト 楕円の奇蹟、情熱の軌跡 』『魂の在処(共著・中山雅史)』『日本ラグビー凱歌の先へ(編著・日本ラグビー狂会)』他。執筆活動のかたわら、高校ラグビーの指導に携わる。 |