料理評論家・山本益博&美穂子「夫婦で行く1泊2食の旅」
#56
第54回 東京「西荻窪」その2
文と写真・山本益博
私の生まれは東京下町浅草で、小さい頃から「すし、そば、てんぷら、うなぎ、とんかつ、ラーメン」という東京の郷土料理が大好物でした。それが後年、「東京・味のグランプリ」というガイドブックに結びついてゆくのですが、なかでも「とんかつ」は今でもフェイスブックで「東京とんかつ会議」をやるほどのお気に入りで、自称「昭和のとんかつ小僧」です。
浅草に国際劇場(今のビューホテルの場所)があったころ、その横に「河金」というとんかつ専門店がありました。今でも思い出すことができる、ラードで揚げた香り高いとんかつで、小学6年生のとき、百匁(350gほど)のとんかつを平らげて、ご主人河野金太郎さんに「坊主、そんなにとんかつが好きなんだ」と頭を撫でられました。残念ながら、一昔前に国際劇場同様、店はなくなりました。
その「河金」の百匁のとんかつを彷彿とさせるのが、荻窪白山神社前の「たつみ亭」の25分かけて揚げる「上かつ」です。一人では食べきれないので、家内の美穂子と出かけると、まずはビールで串カツをつまみ、そのあと、二人で「上かつ」をいただきます。「昭和のとんかつ小僧」至福の時です。昼に出かければ、「とんかつ定食」が1100円で食べられます。
上かつ
串カツ
昼のとんかつ定食(ポテトサラダ別注)
昨年11月、西荻窪にもようやく素敵なとんかつ専門店ができました。駅の南口、目の前のビル地下1階にある「けい太」がそれで、鹿児島の実家が養豚業の息子さんが、ひとつひとつ丁寧に「とんかつ」を揚げています。数年後には、都内有数の「とんかつ屋」に成長するのではないでしょうか。
北口の大通りを青梅街道方向へ進んで、「坂本屋」へ行く手前を左に曲がると、「夢飯(ムーハン)」があります。シンガポールの名物「チキンライス」が売り物です。
チキンライス
さて、「坂本屋」の前を過ぎると和菓子の「喜田屋」が見えてきます。ここの豆大福、草餅、あんみつなど、甘党の私には応えられません。
さらに、歩を進めてしばらくゆくと、今度は右手に「北京料理 湯麵 餃子」の看板が見えてきます。「博華(はっか)」と言って、地元の客に愛され続けている中華料理店です。今どき珍しく、空調がないので、夏は玄関の扉、窓を開け放ったままの営業です。
湯麺(たんめん)
この「博華」の手前、最近開店した「スターダスト」というハンバーガー専門店があります。ジャズ好きの店主が、ハンバーガーに粋な曲名を付けています。
ハンバーガー専門店
そのまま道をさらに進むと関根橋に出ます。その橋の袂にあるのが「ガネーシャ・ガル」で北インド、ネパールのカレーが売り物、カレーはもちろん、ナンがとても美味しく、夫婦で一番よく出かける1軒です。また、お友達を誘ってもよく出かけます。
インドの定食スタイル
大通りを進み、青梅街道に出る前、今はなくなりましたが、航空高等専門学校(通称航空高専)がありました。青梅街道にはかつて「中島飛行機製作所」(今は日産自動車になっています)があって、その予備軍を養成していたのですね。西荻窪駅からこの「中島飛行機製作所」に通う人々のために発達したのが、北口商店街とも言えます。
さて、忘れてはならないお店が1軒あります。飲食店ではなく、精肉店です。南口から五日市街道にでるバス通りの道筋ある「宝家」です。中央線沿線で唯一枝肉を仕入れる店で、牛肉のクオリティは申し分ありません。
店で買うのは、牛肉のランプ(もも肉)です。最上等の部位「イチボ」は滅多に手に入らなくなってしまいましたが、家内が400gのランプを厚めの鉄鍋でレアで焼き上げるステーキが、我が家の最高のご馳走です。
我が家のランプステーキ
宝屋牛肉店の店構え
次回は、燕三条です。
*この連載は毎月25日に更新です。
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山本益博(やまもと ますひろ) 1948年、東京・浅草生まれ。早稲田大学第ニ文学部卒業。卒論が『さよなら名人藝―桂文楽の世界』として出版され、評論家としてスタート。幾度も渡仏し三つ星レストランを食べ歩き、「おいしい物を食べるより、物をおいしく食べる」をモットーに、料理中心の評論活動に入る。82年、東京の飲食店格付けガイド(『東京味のグランプリ』『グルマン』)を上梓し、料理界に大きな影響を与えた。長年にわたる功績が認められ、2001年、フランス政府より農事功労勲章シュヴァリエを受勲。2014年には農事功労章オフィシエを受勲。「至福のすし『すきやばし次郎の職人芸術』」「イチロー勝利への10ヶ条」「立川談志を聴け」など著作多数。 最新刊は「東京とんかつ会議」(ぴあ刊)。
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