アジアは今日も薄曇り
#33
沖縄の離島、路線バスの旅〈22〉伊平屋島(2)
文と写真・下川裕治
■離島のなかの離島
伊平屋島に渡るフェリーはそれほど揺れなかった。スタピライザーという揺れを抑える装置が効いていたのだろうか。
伊平屋島に着いたが、その日はやることがなくなってしまった。前号でも伝えたが、バス停には、
「運転手の確保ができるまでの当面の期間、毎週、土曜日、日曜日は全便運休になります」
という紙が貼られていたのだ。観光客が多い島では考えられないことだったが、ここは伊平屋島である。港に流れる空気が、「それは当然さー」と語りかけている。
その日の宿に向かった。1泊2食付きの宿にした。事前に役場に電話をすると、こういわれたからだ。
「日曜日ですか。夕食付きの宿にしたほうがいいですよ。日曜日に開いている食堂や居酒屋はありませんから」
伊平屋島は離島のなかの離島だった。
その証が宿への道沿いに並ぶ建て看板だった。そこには島の小学生が書いた標語が躍っている。それを見ながら、以前に訪ねた多良間島を思い出していた。そこにも小学生の標語建て看板があり、そのなかにこんなものがあった。
「遊ぶのは楽しすぎてたまらない」
それを僕の本で紹介したのだが、この標語が沖縄の離島ファンの感性を刺激してしまったらしい。この標語を見るためだけに多良間島に向かう旅行者が何人もいたらしい。
どういった経緯があるのかはわからないが、なぜか離島の離島にいくとこの標語に出合うのだ。
僕らも島の子のあいさつラッシュに晒される。「あいさつじょうず」なのかはわからないが
翌朝は島内に流れるラジオ体操の音で起こされた。
港に行くとバスが停まっていた。マイクロバス型の車でコミュニティバスと呼ばれていた。しかし運転手がいない。
ふと見ると、後ろにタクシーが停まっていた。ボディーには「ハブタクシー」と書かれている。後で訊くと、
「隣の伊是名島はハブがいないってことをPRに使っているから、うちは逆に。英語で中心っていうハブもかけているんですが」
と笑えない言葉が返ってきた。
発車時刻になってもバスの運転手は現れなかった。サングラスをかけた運転手が姿を見せたのは7分後。なんだかゆるいバスは、僕らだけを乗せて出発した。
バス路線はひとつで、島内をぐるぐるまわって港に戻ってくる。ただ乗っていれば、伊平屋島の路線バスは制覇できる。バス乗りつぶし旅としては楽だったのだが……。
診療所前から、ひとりのオバァが乗ってきた。集落のなかを200メートルほど進んだだろうか。バスが左に曲がろうとすると、オバァは口を開いた。
「ここ」
どうもオバァは曲がらずに、まっすぐ行く道を指さしているようだった。運転手は、
「バスはこっちから行くんだよ」
という。路線バスだから、決められたルートを走らなくてはならない。しかしそこから、オバァの真骨頂が発揮される。どうしたのか──。
急に黙ってしまったのだ。返事をしないのだ。いままでもオバァと話をしていて、こういうシーンがよくあった。自分が思ったようにいかないとき、返事をしないのだ。
「急に耳が遠くなっちゃうわけさー」
ある人がいった。
「痴ほうを装うときもある。いつもはすごくしっかりしてるのにね」
「あれ、無言の圧力。困るさー」
皆、このオバァの沈黙には悩んでいた。
その沈黙がコミュニティバスの車内を包んだ。
………。
運転手は溜め息混じりにブレーキを踏んだ。そしてゆっくりバックし、オバァが「ここ」といった路地に入っていったのである。
オバァが降りたのは、バスが曲がった角から5メートルほど先の家の前だった。これだけのために、オバァは「ここ」といったのだ。
するとそこに、オジィがひとり立っていた。僕は迎えに出てきたオバァの夫かと思った。しかし違った。これから港に行くオジィだった。オバァの知り合いだろうが。ちゃんと連絡をとっていたのかは不明だが。
伊平屋島のバスは沖縄のバスだった。
バスはそこから、サトウキビ畑や小さな水田の間をゆっくり進み、野甫島に入った。伊平屋島とは橋でつながった小さな島だ。
そこには「世界塩の博物館」や「米崎海浜公園」があると、港でもらったパンフレットには書いてあった。しかしバスの乗りつぶし旅では降りるわけにはいかなかった。次のバスになると、運天港行きのフェリーには間に合わない。車窓から野甫島の港を眺めるだけだった。
利用する客のほとんどは高齢者。ちょっと似合わないイラストが躍るコミュニティバス。運賃は一律100円
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*本連載は月2回(第2週&第4週木曜日)配信予定です。次回もお楽しみに!
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著者:下川裕治(しもかわ ゆうじ) 1954年、長野県松本市生まれ。ノンフィクション、旅行作家。慶応大学卒業後、新聞社勤務を経て『12万円で世界を歩く』でデビュー。著書に『鈍行列車のアジア旅』『不思議列車がアジアを走る』『一両列車のゆるり旅』『東南アジア全鉄道制覇の旅 タイ・ミャンマー迷走編』『東南アジア全鉄道制覇の旅 インドネシア・マレーシア・ベトナム・カンボジア編』『週末ちょっとディープなタイ旅』『週末ちょっとディープなベトナム旅』『鉄路2万7千キロ 世界の「超」長距離列車を乗りつぶす』など、アジアと旅に関する紀行ノンフィクション多数。『南の島の甲子園 八重山商工の夏』で2006年度ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。WEB連載は、「たそがれ色のオデッセイ」(毎週日曜日に書いてるブログ)、「クリックディープ旅」、「どこへと訊かれて」(人々が通りすぎる世界の空港や駅物)「タビノート」(LCCを軸にした世界の飛行機搭乗記)。 |