アジアは今日も薄曇り
#26
沖縄の離島、路線バスの旅〈15〉石垣島(2)
文と写真・下川裕治
フリーパスで石垣島をまわる
東運輸のバスターミナル。そこで東運輸が発行するフリーパスに出合った。とにかく安い。1日フリーパスが1000円、みちくさフリーパスという5日間のフリーパスが2000円。これから乗ろうとしている西回り一周線は、バスターミナルから乗車して、バスターミナルに戻ってくると1950円。まあ、そんな乗り方をする客はいないだろうが、1日フリーパスを買っただけで元がとれてしまうのだ。
迷わず、みちくさフリーパスを買った。そして西回り一周線に乗った。
乗客は6人ほどいた。バスは於茂登岳の山麓を走り、西海岸の川平に抜ける。川平公園前のバス停で全員が降り、乗客は僕らだけになった。すると川平郵便局前から小学生がひとり乗ってきた。
「石垣島にはバス通学の子もいるのか……」
と眺めると、もう寝入っていた。よほど疲れているのか、爆睡である。体操着が入った袋が床に転がる。そこから約30分。乗る客も降りる客もいない運行が続き、下地のバス停で停まった。すると運転手は座席を離れ、眠る小学生を起こしはじめた。やっと起きた少年は降車口に向かって進み、その後ろから運転手が落ちた体操着袋を手に続く。毎日のことのようだった。島のバスだと頷いてしまう。
バスターミナルを発車してから約1時間半で伊原間に着いた。
僕にとってのはじめての沖縄が石垣島だった。35年も前の話だ。当時は就航していた台湾と石垣島を結ぶフェリーに乗って石垣島に着いた。旅仲間から、
「石垣島は伊原間がいい」
といわれていた。僕は石垣港から伊原間に向かうバスに乗った。
当時、伊原間には10軒ほどの家があった。民宿は1軒。そこに泊まり、毎日、浜でぼんやりしていた。周囲はサトウキビ畑だけだった。僕はそれまで、サトウキビというものを見たことがなかった。白い穂をつけたそれをススキだと思い、民宿のおじさんに笑われてしまった記憶がある。
35年ぶりの伊原間だった。家がずいぶん増えた。もう町といってもいい風情である。何軒かの商店もある。売店すらなかった伊原間とは隔世の感がある。
バスはそこで13分ほど停車し、島の東側を南下し、夕方の6時前にバスターミナルに戻った。2時間40分ほどのバス旅である。宮古島に比べると、石垣島の車窓風景は変化に富んでいる。時間を感じさせないバス旅だった。
翌日は竹富島に渡ってバスに乗り、石垣島には午後に戻った。運行時間が合った吉原線に乗った。終点の吉原は島の西側にあり、前の日に乗った西回り一周線の一部のようにも映るのだが、途中、西回り一周線とは違うルートを走る。バス停にして6個ほどなのだが、乗りつぶすためには無視はできない。途中下車してこの区間だけを乗ることも考えてみたが、うまくはいかなかった。手にしているのは、みちくさフリーパスである。5日間は乗り放題だから、長い区間を乗っても懐は痛まない。
バスターミナルに戻り、川平リゾート線に乗った。この路線は西海岸の高級リゾートホテルをつないでいる。ホテルサンシャイン、フサキリゾート、クラブメッド……とカタカナ名のバス停が多くなる。新型コロナウイルスの影響は深刻だろう。バスターミナルから乗り込んできた乗客は5人だけだった。この少なさもコロナ禍のためかとも思ったが、よく考えてみれば、高級リゾートに泊まる人が路線バスに乗るはずがなかった。
ヤシの木に包まれた高級リゾートが続く車窓風景に、どこか華やいだ気分にもなるのだが、それは路線バスばかり乗っている僕らだけの感覚にすぎない。なんだか少しいじけた気分にもなる。
翌日は西表島の路線バスに時間を費やし、日帰りで石垣島に戻った。西表島に泊まるつもりだったが、民宿に空きがなかった。コロナ禍の渡航自粛が解かれて日がたっていなかった。準備が整はない民宿もあった。営業しているところは工事関係者で埋まっていた。宿側も密にならないよう、宿泊者数を制限しているところもあった。それがこのころの離島事情でもあった。
次の日は再び、石垣島の路線バスとの格闘がはじまる。朝、八重山病院線に乗った。市街地にあった八重山病院がしばらく前に移転したことでつくられた路線のようだった。バスターミナルでもらった時刻表にも載っていない。バスも中型で市内をぐるぐるまわって病院へ向かう。僕らがよく乗る市内バスの雰囲気だ。
八重山病院線。運転席の後ろ席は、新型コロナウイルス感染対策で座ることができない。そこの運転手の着替え用ワイシャツ。沖縄です
バスターミナルに戻り、石垣島に到着したときとは別の路線の空港行きに乗る。空港から複雑な路線を走る米原キャンプ場線に乗った。この路線はまず石垣島を横断し、そこから於茂登岳のふもとを通って再び島の東海岸に出てバスターミナルへ向かう。
バスターミナルに着いたのは夕方の5時半近かった。ふーッと溜め息が出る。
石垣島のバス路線はまだ残っている。
空港線。この路線だけ車内の雰囲気が違う。荷物も人も多い
東運輸のバスターミナルの待合室。石垣島でいちばん長い時間をすごしたのは、きっとここ
石垣島のバスの路線図
(次回に続く)
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著者:下川裕治(しもかわ ゆうじ) 1954年、長野県松本市生まれ。ノンフィクション、旅行作家。慶応大学卒業後、新聞社勤務を経て『12万円で世界を歩く』でデビュー。著書に『鈍行列車のアジア旅』『不思議列車がアジアを走る』『一両列車のゆるり旅』『東南アジア全鉄道制覇の旅 タイ・ミャンマー迷走編』『東南アジア全鉄道制覇の旅 インドネシア・マレーシア・ベトナム・カンボジア編』『週末ちょっとディープなタイ旅』『週末ちょっとディープなベトナム旅』『鉄路2万7千キロ 世界の「超」長距離列車を乗りつぶす』など、アジアと旅に関する紀行ノンフィクション多数。『南の島の甲子園 八重山商工の夏』で2006年度ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。WEB連載は、「たそがれ色のオデッセイ」(毎週日曜日に書いてるブログ)、「クリックディープ旅」、「どこへと訊かれて」(人々が通りすぎる世界の空港や駅物)「タビノート」(LCCを軸にした世界の飛行機搭乗記)。 |