韓国の旅と酒場とグルメ横丁
#125
『マイ・ディア・ミスター』の風景 タルトンネ編(2)
栄中日文化センターでのオンライン講座「新しいソウルの歩き方」おさらい編の3回目は前回に続き、ドラマ『マイ・ディア・ミスター 私のおじさん』で、ヒロイン(IU)がハルモニと暮らす家があったタルトンネについて。
■タルトンネ(月の町)とは?
タルトンネとは、朝鮮戦争のとき半島南部に避難してきた人たちや、休戦後、仕事を求めてソウルに来たが、平地には住まいを確保できなかった人たちが、市街から離れた山の斜面にバラック小屋を建てて住んだところだ。人一人通るのがやっとの路地。家賃や地価は安いが、交通の便は悪く、インフラの整備は著しく遅れていた。
人気ドラマ『愛と野望』のタルトンネのセット(全羅南道順天市)
この十年くらいで韓国各地のタルトンネが観光地として整備された。家や塀にカラフルなイラストが描かれたり、おしゃれなカフェができたりした。なかでも内外の観光客がもっとも多く訪れたのは釜山の甘川文化マウル(甘川2洞)だろう。また、全羅南道の順天には、2006年の人気ドラマ『愛と野望』の舞台だった60~70年代のタルトンネのセットがある。
■映画『パラサイト 半地下の家族』(2019年)
2020年に米国アカデミー賞を独占した映画『パラサイト 半地下の家族』(ポン・ジュノ監督)で、タルトンネを知った人も多いだろう。主人公が住む半地下住宅がクローズアップされたが、あの家の周辺こそタルトンネだ。映画の冒頭、息子役のチェ・ウシクとその友人役のパク・ソジュンが焼酎を飲んだシュポは、2号線の忠正路駅と阿峴駅の中間辺りに実在する。
桃を片手にシュポから出てきた妹役のパク・ソダムが進んだ方向に歩いて行くと、階段がいくつも続き、ここがタルトンネであることに気づくだろう。タルトンネはソウルの中心部から地下鉄でひと駅くらいのところにもあるのだ。
『パラサイト 半地下の家族』で、パク・ソジュンとチェ・ウシクがソジュを飲んだシュポ。映画にも緑色の車体が映っていたように、この前の通りを麻浦03番マウルバスが走っている
シュポの脇の道を進み、階段をいくつか登ったところから後ろを振り返ると、こんな風景が
■ホン・サンス監督作品『ハハハ』(2010年)
主人公(キム・サンギョン)が、母(ユン・ヨジョン)の住む統営を訪れたとき知り合った観光案内嬢(ムン・ソリ)が住んでいたのが、統営湾を見下ろすタルトンネ(トンピラン壁画マウル)だった。ここはソン・ジュンギとムン・チェウォン主演ドラマ『優しい男』(2012年)の舞台でもあり、10年ほど前から週末は観光客でにぎわっている。
トンピラン壁画マウルは家々の屋根がカラフルにペイントされ、眺望もすばらしいので、内陸部にあるタルトンネのようなもの悲しさはあまり感じられない。釜山の甘川文化マウルに近い雰囲気なのだが、甘川文化マウルよりもずっと海が近く開放感があるので、タルトンネらしいタルトンネとはいえないかもしれない。
中央の黄色い壁の家が『ハハハ』で観光案内嬢(ムン・ソリ)が住んでいた家(2012年撮影)。トンピラン壁画マウルは定期的に壁画が描き変えられるので、『ハハハ』の撮影時とは壁の色も絵も違っている
観光案内嬢(ムン・ソリ)の家から統営湾を望む
■ユ・アイン&キム・ユンソク主演映画『ワンドゥギ』(2011年)
不良高校生ワンドゥク(ユ・アイン)と担任教師(キム・ユンソク)、そのご近所さん兄妹(キム・サンホ、パク・ヒョジュ)が住んでいたのもタルトンネだ。撮影地の詳細は確認できなかったが、京畿道の城南市だという。
パク・スヨン(『マイ・ディア・ミスター』のドンフンの友人役)扮するワンドゥクの父(大道芸人)の路上駐車をめぐって、キム・ユンソクとキム・サンホ(画家)が家の前の道で言い争う。その道は雑なコンクリート舗装で、かなりの急坂だ。
ここで身体にハンディのある大道芸人とその息子、型破りな教師、どう見ても収入が安定しているように見えない画家と武侠小説家の兄妹がケンカする場面は、哀しくも美しい。
この映画の白眉は家の近所のシュポ(飲み屋も兼ねた小さな食料雑貨店)で、キム・ユンソクとパク・スヨンがマッコリを飲むシーンだ。画面右手に店内のアイスボックスや生卵が見える。画面中央には軒先にしつらえられた簡易テーブルとビニールのテント、左手にはタルトンネらしい坂道が続いていて誰かがそこを登って行く。
テーブルの上にはマッコリの空き瓶が2、3本。つまみはプチトマトとポテトチップ、裂きイカらしきもの。缶詰はポンテギだろうか。自身の障害のために息子にまで迷惑をかけてしまうと嘆くワンドゥクの父を担任教師が慰める場面だが、そこに先日、路駐問題でもめた武侠小説家の女性が現れ、雰囲気が変わる。酒席に加わった彼女の第一声がいい。
「밤 공기가 참 좋죠, 술 한 잔 하기」
直訳すると、「夜の空気がすごくいいわね。お酒飲むのに」なのだが、ここは次のように意訳したい。
「夜風が飲めと言ってるのよ」
彼女はすでに酔っていたようだが、酒が足りなくなったのか、人恋しくなったのか、ふらっと家を出てきた気配だ。
話題が武侠小説に変わり、酒席は鬱から躁に転ずる。
このあと息子が現れ、酔った父親をおぶってタルトンネの坂を登る。父親はご機嫌だ。
「ワンドゥク、我が子よ~。おまえは最高だ~」
韓国映画でも屈指の酒場名場面であり、タルトンネ名場面だ。
この他にも、キム・スヒョン主演の『シークレット・ミッション』(2013年)や、『マイ・ディア・ミスター』のキム・ヨンミンが出演している『チャンシルさんには福が多いね』(2020年)も、タルトンネが舞台だった。前者は仁川市富平区、後者は拙著『美味しい韓国 ほろ酔い紀行』でも取り上げたソウル西大門区弘済洞のケミマウルで撮影されている。機会があったらぜひ観てほしい。
弘済駅から07番マウルバスに乗り、終点で降りたところがケミマウル。『チャンシルさんには福が多いね』では主人公がこの坂を登るシーンがあった
『パラサイト 半地下の家族』の冒頭に登場したシュポと坂道
*オンライン講座のお知らせ(1)
4月30日(金)の20時~21時は、オンライン講座「忘れられない10人の素敵なアジュマたち」です。地元ソウルや旅先で出会った母性的でエネルギッシュなアジュマやハルメとの交流エピソードを披露し、彼女たちの「情」の源泉を探ります。詳細は朝日カルチャースクール新宿教室ホームページをご覧ください。
https://www.asahiculture.jp/course/shinjuku/20ec29f4-327a-c2cf-1c9c-5ff3f3a6570c
*オンライン講座のお知らせ(2)
4月25日(土)、5月23日(土)、6月27日(土)の16時~17時は、オンライン講座「67年生まれ、チョン・ウンスク」です。講師が約50年の個人史を振り返りながら、韓国人と韓国社会の変化を庶民の目線で語ります。名古屋栄の教室でスクリーン受講することもできます。詳細は栄中日文化センターホームページをご覧ください。
https://www.chunichi-culture.com/programs/program_189856.html
本連載を収録した新刊『美味しい韓国 ほろ酔い紀行』が、双葉文庫より発売中です。韓国各地の街の食文化や人の魅力にふれながら、旅とグルメの魅力を紹介していきます。飲食店ガイド&巻末付録『私が選んだ韓国大衆文化遺産100』も掲載。ぜひご覧ください。
双葉文庫 定価:本体700円+税
*筆者の近況はtwitter(https://twitter.com/Manchuria7)でご覧いただけます。
*本連載は月2回配信(第2週&第4週金曜日)の予定です。次回もお楽しみに!
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紀行作家。1967年、韓国江原道の山奥生まれ、ソウル育ち。世宗大学院・観光経営学修士課程修了後、日本に留学。現在はソウルの下町在住。韓国テウォン大学・講師。著書に『うまい、安い、あったかい 韓国の人情食堂』『港町、ほろ酔い散歩 釜山の人情食堂』『馬を食べる日本人 犬を食べる韓国人』『韓国酒場紀行』『マッコルリの旅』『韓国の美味しい町』『韓国の「昭和」を歩く』『韓国・下町人情紀行』『本当はどうなの? 今の韓国』、編著に『北朝鮮の楽しい歩き方』など。NHKBSプレミアム『世界入りにくい居酒屋』釜山編コーディネート担当。株式会社キーワード所属www.k-word.co.jp/ 著者の近況はこちら→https://twitter.com/Manchuria7 |
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