ブルー・ジャーニー

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#107

アルゼンチン〜チリ はるかなる国々〈26〉

文と写真・時見宗和 

Text & Photo by Munekazu TOKIMI

「私が犠牲になることはけして無駄ではないと信じている」

 ラテンアメリカの“9.11”は、2001年のアメリカ同時多発テロ事件ではなく、1973年に起こったチリのアジェンデ政権に対する軍事クーデターを指す。

 その主戦場となったのが、憲法広場に面して建つモネダ宮殿。イタリア人ホアキン・トエスカが造幣局の建物として設計し、1805年に完成。1845年6月から大統領官邸として使われるようになり、1973年9月11日、空軍と陸軍の攻撃で炎に包まれた。

 

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 軍事クーデターから8年後の1981年に大規模な工事で復興された現在の建物は、大統領官邸の看板を掲げた要塞。地下室は分厚い防護壁で包まれ、隠し扉や秘密の抜け道や駐車場に抜ける緊急の脱出口などがはりめぐらされている。

 モネダ宮殿の西側に建つビルの壁に今も残る弾痕。陸軍将軍に忠誠を誓うクエルポ・デ・カラビネロ(警察隊)の視線を感じながら、カメラを取り出す。『戒厳令下チリ潜入記(ガルシア=マルケスの)』の読後感が頭をよぎり、手が定まらない。

 

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 アジェンデが大統領の座をめざしていた1960年代、チリの人口の半分が栄養失調で、40万の家族に住む家がなく、通う学校がない子どもは20万人を数えた。

 ラテアメリカの貧しさの最大の原因は大地の豊かさにあった。チリの場合は埋蔵量世界一の銅鉱床がそれだった。

 アメリカ合衆国経済は肺が空気を必要とするようにラテンアメリカの鉱物を必要としていた。ベトナム戦争には弾丸が必要で、弾丸は銅が必要だった。

 チリの銅は、実質的にアメリカ合衆国のものだった。アメリカ合衆国の3つの企業──ケネコット、アナコンダ、セーロ──がチリの莫大な生産量の85パーセントを独占し、チリの労働者を、自国の精錬所の賃金の8分の1で働かせた。

 1969年、アメリカ合衆国大統領、リチャード・ニクソンは演説のなかで予告した。

「20世紀末にアメリカ合衆国の1人あたりの所得はラテンアメリカのそれの15倍になるだろう」

 

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 ゲバラがアメリカ合衆国の中央情報局(CIA)に銃殺された翌年の1970年、アジェンデは大統領選挙で勝利した。4回目の立候補、世界初の国民投票によるマルクス主義者の当選だった。

 アジェンデ107万334票。与党のアレッサンドリ103万1051票。その差1.32パーセント。票の過半数を獲得できなかったために国会の承認を待つことになった。

「共産主義国は暴力革命によってしか生まれない」と主張していたアメリカ合衆国は衝撃を受け、チリの現職大統領フレイにメッセージを送った。

「アジェンデ政権下のチリにはボルトひとつ届くのを許されないだろうと知るべきである。ひとたびアジェンデが政権を握れば、われわれは、チリおよびチリ国民を、この上ない窮乏と貧困におとし入れるよう、全力をあげるだろう」

 さらにアメリカ合衆国はチリ陸軍を使ってアジェンデ政権の正式な誕生を阻止しようと画策。憲法の遵守と政治への非介入を公言していたチリ陸軍総司令官レネ・シュナイダーの拉致を計画し、3度目に成功。シュナイダーはこの時受けた銃撃により3日後に死亡した。

 この事件をきっかけにチリの民主的風土が一気に燃え上がり、フレイ率いるキリスト教民主党が──日本の自民党が共産党を支持して反アメリカ路線を取ることに等しい──アジェンデ支持を表明。CIAの妨害をはね返し、国会はアジェンデを大統領に選出。約1カ月後の11月3日、世界で初めて武力によらない平和的な手段による社会主義政権が誕生した。

 

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 翌年7月11日、銅国有化の憲法改正案が可決され、5大銅山──アナコンダ社(チェキカマタ、エクソティカ、エルサルバドル鉱山)、ケネコッタ社(エルテニエンテ銅山)、セーロ社(アンディーナ銅山)──の国有化が実現。

「いくらでも使ってもよい」アメリカ合衆国大統領ニクソンは補佐官のキッシンジャーに言った。「いかなる危険があろうとかまわない。さまざまなケースを想定した計画を作成してチリ経済をしめあげろ」

 アメリカ合衆国は経済封鎖を発動。チリ国内の富裕層や、資金を提供されたトラック運転手が物流を混乱させようとストライキを起こしたが、これも逆効果となった。

 国内の貧困層の団結はより強固なものとなり、1973年の総選挙で人民連合は大統領選よりさらに多くの得票数を獲得。ニクソン政権はアジェンデ政権を合法的に倒すことはできないと判断した。

 

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 1973年9月11日。

 午前6時。チリ海軍が反乱を起こし、サンティアゴの北西約120キロの港町、パルパライソの町を制圧。

 午前7時。空軍部隊がサンティアゴの工業地帯を制圧。同じ頃、アメリカ合衆国空軍機がチリ上空を巡航。さらにチリ国境に近いメンドーサ(アルゼンチン)のアメリカ合衆国空軍基地で偵察機、戦闘機が緊急体勢に入る。

 午前7時30分。異変を受けてアジェンデと政府幹部がモネダ宮殿に集結。

 午前7時55分。アジェンデ、執務室からラジオ・コルボラシオンを通じて国民への1回目の呼びかけ。「海軍の一部が反乱を起こした。サンティアゴにおいて軍の異常な動きはない。とくに労働者のみなさん、職場に就き、工場に行き、平静を保ち、注意深く行動してください」

 午前8時。陸軍が国防省を占拠。

 午前8時30分。地主層の放送局、ラジオ・アグリクルトゥラから“4軍軍事評議会”の声明が流れる。「共和国大統領はその官邸を軍ならびに国家警察隊に即刻引き渡さなければならない。これに従わない場合、陸と空から攻撃される」

 午前8時55分。モネダ宮殿の防護にあたっていた国家警察軍部隊がアジェンデを裏切り、撤退を開始。

 午前9時。反乱部隊の少佐2人がモネダ宮殿入り、アジェンデに辞任と国外退去を要求。アジェンデ、これを拒否。

 午前9時5分。アジェンデ、4回目の呼びかけ。「……私たちは押しつぶされるかもしれない。しかし明日は人民のもの、労働者のものである。私は祖国にとって尊い原理を守るために私の命を贖う……」。直後、ラジオ・ポルタレスの放送塔は爆撃で吹き飛ばされた。

 午前9時20分。共産党系の放送局、マガジェネスからアジェンデの最後となる呼びかけが流れる。「私は告げたい。多くのチリの人びとの誇り高い良心に私たちが差し出した種子はつみ取られることはないと、私は確信している。……私が犠牲になることはけして無駄ではないと信じている。少なくともそれは卑劣、不実、背信を告発するひとつの道徳的教訓となるであろう。……チリ万歳、人民万歳、労働者万歳!」

 午前10時。戦車がモネダ宮殿前で戦闘配置を完了。

 午前10時30分。軍部、11時から爆撃を開始すると通告。アジェンデに降伏を求める。

 午前11時30分。軍事評議会、戒厳令を宣言。同時刻、作戦の指揮をとるバエサ将軍の命令が下る。「モネダにいるもの、とくにアジェンデについてどのような痕跡も残すな。空と陸から、虫けらのように絶滅させろ」

 午前11時52分。空軍戦闘機、モネダ宮殿への攻撃を開始。20分間に20発のロケット弾が発射され、戦車も砲撃を開始。アジェンデ、降伏命令を拒否。

 午前12時45分。炎に包まれたモネダ宮殿に向かって突入部隊が突入体勢に入る。降伏を申し出た閣僚は、国外退去を命じられて飛行機に乗せられ、途中で突き落とされた。サッカー場は処刑場となり、この日以降、サンティアゴ市の中央を白波をたてて流れるマプーチョ川は拷問の跡を残す死体が浮かぶことで世界に知られるようになった。

 

(つづく)

 

*本連載は月2回配信(第2週&第4週火曜日)予定です。次回もお楽しみに。

 

 

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時見宗和(ときみ むねかず)

作家。1955年、神奈川県生まれ。スキー専門誌『月刊スキージャーナル』の編集長を経て独立。主なテーマは人、スポーツ、日常の横木をほんの少し超える旅。著書に『渡部三郎——見はてぬ夢』『神のシュプール』『ただ、自分のために——荻原健司孤高の軌跡』『オールアウト 1996年度早稲田大学ラグビー蹴球部中竹組』『[増補改訂版]オールアウト 1996年度早稲田大学ラグビー 蹴球部中竹組』『オールアウト 楕円の奇蹟、情熱の軌跡 』『魂の在処(共著・中山雅史)』『ジュビロ磐田、挑戦の血統(サックスブルー)』、共著に『日本ラグビー凱歌の先へ(編著・日本ラグビー狂会)』他。執筆活動のかたわら、高校ラグビーの指導に携わる。

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