ブルー・ジャーニー

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#104

アルゼンチン〜チリ はるかなる国々〈23〉

文と写真・時見宗和 

Text & Photo by Munekazu TOKIMI

「チリの森を知らない者はこの惑星を知らない」

 ──チリの大地の美しい眺めを一望できる見晴台があった。それは一種の岐路のようなものであり、少なくともあのときの僕にとってはそうであった。(2月15日 ゲバラ記)

 

 赤は独立のときに流された血を、白はアンデスの雪を、星は国の統一への願いを現すチリの国旗。だが現実は理想から離れる一方だった。国は左右に分裂し、血は流れつづけた。

 ネルーダはアメリカ合衆国の経済的支配からの独立を訴えて立ち上がり、ゲバラとグラナードは激しい貧富の差──人口の4分の1はまったく収入がなかった──を目の当たりにすることになる。

 

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 4300キロの全長に対して、東西の幅の平均は170キロ。もっとも狭いところは東京〜小田原間ほどの76キロ。太平洋とアンデス山脈にはさまれて、南北に細長く伸びるチリ共和国は、さまざまな形容詞を持つ。「常軌を逸した地形」「剣の鞘」「帯のごとき」「アルゼンチンの西端を飾る縁飾り」。

 地球をはさんで日本のほぼ反対側に位置し、同時に太平洋を隔てて日本の隣国でもあるチリ。北にはダーウィンが「完全な、純粋な砂漠」と呼んだアタカマ砂漠が広がり、首都サンティアゴ・デ・チレから南は絵の具で塗ったように豊かな黒土地帯。「私の祖国の極西部の地方で、私は生活と土地と詩と雨にめざめた」。ネルーダの故郷テムコに降りつづく雨をくぐり抜け、さらに南下すると、無数の湖沼地帯が連続し、南極の寸前でようやく行き止まりになる。

 

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 アンデス山脈中に引かれた国境を越えてチリに入ったゲバラとグラナードは太平洋に向かってポデローサⅡ号を走らせ、バルディビアに到着。アルゼンチン領事館に行ったが、油と埃で汚れたバイク用のつなぎ服は相手にされなかった。「領事とはなんとお上品で、まちがいがなく、公正な人物なことか!」

 ここバルディビアのモンテ・ベルデ地区の集落。かつて炉のそばに立った小さな子どもが、床に積もった灰に足跡──5本の指とかかと、薄いサンダルのような履物の輪郭──を残した。足跡は約1万2000年後の1997年に発掘され、南北アメリカ大陸でもっとも古い足跡として、バルディビアのアウストラル大学に保管されることになった。

 

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 約2万5千年前から1万年前の氷河期、ユーラシア大陸と北アメリカ大陸はベーリング陸橋と呼ばれる幅1000キロもの陸地でつながっていた。地球上の多くの水分が氷のなかに閉じこめられたためにベーリング海の水面が低下、海底が干上がって生まれた陸地だった。

 マンモスを追いかけたのか、ある日、モンゴロイドの一団がシベリアを旅立った。

 丘と平地が連なるベーリング陸橋を歩きつづけ、やがてアラスカに到着。約1万3000年〜1万3500年前のことだった。

 北米大陸に到達したモンゴロイドたちは、カナダの巨大な氷床のあいだにできた無氷回廊をたどり、子孫を増やし、定住と分散を繰り返しながら、南下。極北のエスキモーとなり、南東アラスカのクリンギット族やハイダ族となり、中部でナヴァホ族やホピ族となり、パナマ海峡に到達。さらに南下をつづけ、ピクンチェ族、クンコ族、マプーチェ族、アラウコ族になり、バルディビアに足跡を残し、マゼラン海峡に到達。約1000年かけて南北アメリカ大陸縦断の旅を終えた。

 

2304

 

 1492年、クリストファー・コロンブスがバハマ諸島のサン・サルバドル島に到着。後を追って、ヨーロッパ大陸から人びとが次々に新大陸へ押し寄せた。

 北米大陸に向かった人びとの多くは、家族を連れた移住者だった。南米大陸をめざした人びとの目当ては金銀だった。目的はちがったが、先住民を根絶やしにしようとしたという点では同じだった。

 南北アメリカ大陸には馬がいなかった。ガラス、火薬、車もなかった。天然痘、破傷風、性病、チフス、黄熱病を知らなかった。

 ベーリング陸橋が海中に没して以降、まったく別個に時を刻み、築き上げられた文明と文化は約1万年後に出会い、一方が徹底的に破壊され、略奪された。

 約20万のスペイン人が2500万から3000万にのぼるインディオを征服。少なくとも2000万人のインディオが殺害された。

 

2305

 

 夕方、バルディビアを出たふたりは、その日の寝場所を探した。

「突然、ヘッドライトが故障してしまって」

 2軒目は大農場で反応は冷たかった。

「じつはぼくたちは医者で」

 状況は一気に好転し、納屋の片隅から客室にグレードアップ。おいしい食事をごちそうになったお礼に、ふたりは冒険談をたっぷり披露した。

 

 ──つくづく、チリ人の人情の厚さは、この隣国への旅を大変快適なものにしてくれる事柄のうちの一つだ。そして僕らの方は、僕ら「独特の」やり方を最大限駆使して、それをありがたく頂戴していた。(2月17日 ゲバラ記)

 

 翌日、雨のなか、40キロ進んだところでパンク。通りかかった小型トラックにバイクごと乗せてもらい、ネルーダの故郷、テムコにたどりついた。ブエノスアイレスを出てから約2800キロ、1939年式のノートン、ポデローサⅡ号はくたびれはてていた。

 

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 ──チリの森を知らない者はこの惑星を知らない。あの奥地、あのぬかるみ、あの静寂から、私は歩き回り、世界のために歌を歌いに出てきたのだ。(『ネルーダ回想録』パブロ・ネルーダ)

 1904年7月12日、チリのパㇽラルで生まれたパブロ・ネルーダ(本名ネフタリ・リカルド・レイエス・バソアルト。パブロ・ネルーダは16歳のときに採用したペンネーム)は、2歳のときにテムコに転居、サンティアゴ大学に入学する17歳まで過ごした。ネルーダの詩に数多く登場する森と雨の原風景はテムコにある。

「テムコでアラウカニア最大の戦闘が行われた。金を探求するスペイン人に対して、彼らほど強靱に抵抗したインディオ族はいなかった。チリ政府はずっと、この固有の言語、伝統、文化をもつ種族のことをひた隠しにし、彼らにそのルカ(アラウコ語で「家」)に引きこもって生活するように強要していた」。ネルーダは町の周辺に住むアラウコ族を崇拝していた。「アラウコ族以上に立派な種族はそういない。透明、純粋、そして爆発的な彼らのエネルギーのなかに、もはやわれわれが失ってしまった多くのものを知らされるだろう」

 

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 アラウコの先祖たちは

 きらびやかな羽根飾りのついた冠なんかもっていなかった

 婚礼の花に埋もれて 金の糸も紡がなかった

 おれの祖先は石と木だったのだ

 手に負えない荒地に根をおろして

 槍のかたちの葉をもった

 兜をかぶった木だったのだ

 おれの先祖よ

 おまえたちが蹄の音を聞くが早いか

 山のてっぺんに立つが早いか

 アラウコ族の血が その軀を駆けめぐったことだろう

 その石の祖先は影となってしまった(『大いなる歌』より)

 

 スペイン人に滅ぼされたアラウコ族は、ネルーダの詩に救い出された。

 

(つづく)

 

*本連載は月2回配信(第2週&第4週火曜日)予定です。次回もお楽しみに。

 

 

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時見宗和(ときみ むねかず)

作家。1955年、神奈川県生まれ。スキー専門誌『月刊スキージャーナル』の編集長を経て独立。主なテーマは人、スポーツ、日常の横木をほんの少し超える旅。著書に『渡部三郎——見はてぬ夢』『神のシュプール』『ただ、自分のために——荻原健司孤高の軌跡』『オールアウト 1996年度早稲田大学ラグビー蹴球部中竹組』『[増補改訂版]オールアウト 1996年度早稲田大学ラグビー 蹴球部中竹組』『オールアウト 楕円の奇蹟、情熱の軌跡 』『魂の在処(共著・中山雅史)』『ジュビロ磐田、挑戦の血統(サックスブルー)』、共著に『日本ラグビー凱歌の先へ(編著・日本ラグビー狂会)』他。執筆活動のかたわら、高校ラグビーの指導に携わる。

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編著・日本ラグビー狂会

     
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