ステファン・ダントンの茶国漫遊記
#02
本物の日本茶は匠がつくる−静岡・川根
ステファン・ダントン
山間の茶産地へ
日本茶の味わいに魅せられた私は、多くの産地の多様なお茶を飲んできた。
まるで実験するように。
茶葉の色や形状、香り、味を見比べ、嗅ぎ比べ、飲み比べた。心に響いた茶があれば、その産地を訪ねて生産の現場を見るのが私の方針だ。
2005年のある日に出合った静岡県川根産のお茶に私は感動した。その水色はシャルドネを思わせるゴールド、繊細かつ力強い香り、上品な旨味。
「まさに私が思い描くワイングラスで提供する日本茶のイメージにぴったりだ」
「このお茶を作っている人を紹介してもらえませんか?」
どんな場所でどんな人がどんな方法で作っているのか知りたくなった私は、静岡の農協に掛け合った。すると、「川根で代々茶農家を営んでいるTさんのところへ行くといい。きっと親切にいろんなことを教えてくれるよ」と教えてくれた。
地図を開いて場所を確認すると、川根は思いのほか東京から近い。早速、ノートとペンとちょっとした着替えをボストンバッグに詰めて車に乗り込んだ。
富士山を横目に東名を走る。静岡インターチェンジで国道1号線に乗り換える。都市から離れるに従って、徐々に周囲からビルが消え、建物と農地の比率が反転していく様子にワクワクする。
金谷で降りると大井川沿いの山間。樹々に囲まれた谷あいの斜面はみんな茶畑だ。曲がりくねった大井川の澄んだ緩やかな流れ、点在する素朴な木造家屋、きれいに刈り込まれた茶畑のあぜ道にときおり現れる人の影。
「なんだかフランスのワイン産地の風景のようだ」
私の育ったリヨンはワインでも有名だから近郊には葡萄畑も多い。親戚は農園を営んでいるから葡萄畑は見慣れていた。その記憶の風景と目の前にある茶畑の風景がリンクした。
このときのひらめきは正しかった。その後、葡萄と茶の生産の仕方の共通性が大きいこともわかったし、だからこそワインの販売方法を日本茶に当てはめて考えるヒントにもなったが、そのことはまたいずれお話ししたい。
Tさんとの出会い
大井川を横目に曲がりくねった山道を登ってたどり着いたTさんの農園は標高600m。天空の茶畑とも呼ばれている。
初めて会ったTさんは、金髪で青い目の私に少しだけ戸惑った様子だったけれど、温かく出迎えてくれた。笑い皺で縁取られた柔らかいけれど厳しさのある目、作業用のシャツから見える皺を重ねた手はたくましく、職人のものだった。
Tさんの家の縁側でお茶をいただく。「茶畑を目の前にしながら、生産した本人が淹れたお茶を飲めるなんて格別です」、と口にする私に、Tさんはただふわっと笑った。
言葉の少ないTさんに、私はいろんなことをたずねた。話は1日では終わらなかった。それから何度も会いにいくうちに、少しずつ打ち解けてたくさんの話をしてくれるようになったのが嬉しかった。
写真上/大井川、中上/急斜面の茶畑、中下/フランスの葡萄畑、下/川根の茶畑から
川根茶の作られ方を知る
70代を過ぎたTさんを中心に家族で経営する農園は何世代にも渡って受け継がれているそうだ。川根にはこうした農家が何件もあって、それぞれ家族単位で伝えられた技術で茶葉の生産をしている。
標高600mの山間地に展開する茶畑の朝は美しい。立ち上る水蒸気がたなびく雲のように茶畑を覆う。連なる緑の起伏に日が差して輝く様子も感動的だ。
見ているだけならば、こんな感想を持つだけですむが、茶農家は、この斜面地で茶樹の世話をし、収穫するという。
「斜面での作業は大変でしょう?」と私がたずねると、Tさんは「ずっとしてきたことだけどね。茶摘みなんかは、以前はすべて手摘みだったから大変だったけど、今は2人で操作するカッターを使っているから楽になったよ」と淡々と答える。
茶摘みだけではなく、日々の手入れだって、斜面地の狭い細いあぜをぬっての作業が大変でないわけはない。
そんな高地の斜面地だからこそ生まれた川根茶の特徴があるという。
「茶樹は水はけのよい斜面地に深く根をはれないだろう。厳しい環境で育つとタンニン分の多い茶葉ができる。それが川根茶独特のコクを生むんだよ」
とTさんはいう。
「川根茶のゴールドに澄んだ美しい水色はどのように生まれるんだろう」という疑問には、「川根茶の旨味をいかす浅蒸し製法でこのデリケートな水色になるんだよ」、とTさん。
川根では、茶葉を収穫するとその日のうちに蒸す。この蒸し時間の長短で水色や味わいが変化する。川根のお茶は20秒ほどのごく短い時間蒸すことでお茶本来の香りとデリケートな水色を実現しているのだ。
その後乾燥させた茶葉を丸く揉みながら葉っぱと茎を選別し、再度乾燥機に入れることで荒茶ができあがるのだという。
これを私のような町の茶商が仕入れ、火入れなどの再加工をしてそれぞれ特徴のある製茶に仕上げ店頭で売るのだ。
各農家が作る荒茶はそれぞれに特徴がある。家族単位で受け継いできた技術がある。現在では機械化された工程も多いが、茶樹の世話、葉の選別、蒸し・乾燥の時間や温度の微妙な調整などは、農家の手の感触を頼りにするところが大きい。山間地であぜが狭いために手持ちの刈り取り機を使って2人がかりで刈り取る。茶の葉を毎日観察してケアをしながら、摘みとり時期をデリケートに決定する。どれだけ蒸すか揉むか、それらは家ごとに伝えられている技術だが、職人の勘に任されている。
「文字にされない伝統だ」
機械の手入れをするTさん
茶葉を蒸す
手揉みの様子
茶葉を摘む
茶葉の様子を確かめる
茶畑の遠景にたなびく雲
Tさんに茶作りの話を聞く
茶畑と農家の技術を継続するには
茶農家を訪ね、話を聞くうちに、日本の農業あるいは伝統産業全体と共通する問題が川根にもあることがわかった。
後継者不足だ。
「山間地での重労働である茶農家を継承する若者が少ないのだ」とTさんはいう。
茶樹は植えてから収穫できるまで5年かかるが、その後70年間継続して収穫できる。それが放棄されるケースも多くなっているのが残念でならない。家族単位で受け継いできた農家の知識と技術は文書化されていないから、人が途絶えたらそこでおしまい。
私は町の茶商として考えた。
もちろん川根茶の魅力を伝えてたくさん売ることで、生産者のモチベーションを上げる小さな助けになることはできる。
「いや、もっと川根茶の魅力を伝える手段があるはずだ」
そして、ひらめいたのがアグリツーリズムだった。生産地の自然を楽しみ、農産物の生産方法を農家に聞き、現地で取れた食材を使った食事をする。こうした一連の活動で、単なる観光でも単なる買い物でもなく、農地と都会、農家と消費者の相互理解をしながら楽しむ活動はフランスでは盛んだ。私の親戚がプロヴァンスで農園を経営していて、この方法で地域全体が活性化していることがヒントになった。
「これを川根に当てはめたらどうだろう」
そう思った私は、都会の人や外国人を川根に呼んで茶摘みや茶作りの体験をしてもらうツアーの計画を温め始めた。それが実現したのは、もう少し先のことではあったが。
川根ツアーへ
*この連載は毎月第1・第3月曜日(月2回)の更新連載となります。次回もお楽しみに!
写真/ステファン・ダントン 編集協力/田村広子、スタジオポルト
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ステファン・ダントン 1964年フランス・リヨン生まれ。リセ・テクニック・ホテリア・グルノーブル卒業。ソムリエ。1992年来日。日本茶に魅せられ、全国各地の茶産地を巡る。2005年日本茶専門店「おちゃらか」開業。目・鼻・口で愉しめるフレーバー茶を提案し、日本茶を世界のソフトドリンクにすべく奮闘中。2014年日本橋コレド室町店オープン。2015年シンガポールに「ocharaka international」設立。2017年路面店オープン予定。著書に『フレーバー茶で暮らしを変える』(文化出版局)。「おちゃらか」http://www.ocharaka.co.jp/ |