風まかせのカヌー旅
31 タロイモ畑でうずもれて
パラオ→ングルー→ウォレアイ→イフルック→エラトー→ラモトレック→サタワル→サイパン→グアム
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文と写真・林和代
やせっぽちで、いつもヘンリーナに言い負かされている、いかにも弱そうな夫のアワス。そんな彼が、その力と技を披露する時がやって来た。
家の近くにある、大きな大きなパンの木。太陽を浴びようと目一杯広がった枝には、緑色に熟したおいしそうなパンの実がたわわに成っている。
そのたもとにたどり着いた彼は、長いロープを腕を使って輪にまとめると、10メートル以上はある細長い棒の先端に引っ掛けて持ち上げ、ちょうど高さ10メートルほどにある太い枝に器用に引っ掛けた。
そして二本取りにしたロープをぐいぐいっと引いた彼は、まるで宙を泳ぐようにスイスイと登って、あっという間に太い枝までたどり着いた。体操選手並みの力技だ。
そして今度は枝に立ち上がると、長い棒の下を持ち、もっと高い場所に成る実を落とし始めた。
ドスン、ドスン。実が落ちるたびに大きな音がする。
少し離れた場所にいるヘンリーナは、もっとこっちにいい実がある、などと大声で指示を出しながら、アワスが落とした実の数だけ、シュロのような葉を一片ずつちぎっていく。
あとで実を集める時、拾い忘れがないようにするためだ。
やがてヘンリーナのOKの合図が出ると、アワスはロープを伝ってひゅるひゅると降りて来た。あとは女性陣が実を拾い集め、手押し車で持ち帰る。
写真右:アワスはどこだ?
島の第二の主食パンの実は、こうして男女がペアを組んで収穫する、島では珍しい仕事である。
基本的に、男の仕事場はもっぱら海とカヌー小屋。そして女の園は……タロイモ畑である。
タロイモ畑の作業は、とてつもない重労働。暑い、重い、汚いの三重苦である。
朝から日暮れまで、炎天下で何時間も泥にまみれで作業を続ける。
島のママ、ネウィーマンは、作業開始前にその辺のヤシの大きな葉を切り取り、泥に差し込んで日陰を作っていた。自分が作業場所を変えるときは、葉も移す。このヤシの葉シェードは効果抜群だが、私のように雑草刈り専門の人間は、チョロチョロ移動するため、残念ながらあまり役に立たない。
イモの収穫も力仕事。タロイモの根元に鉄の棒を差し込んでぐいっと掘り起こし、大きく育った根の芋をナイフで切り取り、また泥に植える。これだけでまた自動的に芋がなってくれるのだから、ありがたい主食なのだが、掘り起こしは、かなりの力仕事。収穫後の皮むきも大量なので無限に思える。 それに何より、ヤシの葉をその場で編んで作ったバスケットに芋を満タンに詰め、家まで約20分、湿地を歩くのは、拷問である。
大人の女は普通バスケットを2つ担ぐが、私はバスケット1つ、しかも中身は半分にしてもらったけれど、途中で何度もへたり込んだ。
でも、最も恐ろしいことは、別にある。
タロイモ畑の脇には水路のようなものがあり、そこで芋を洗って皮もむく。水が冷たくてキモチイイ。
朝から夕方までの長時間労働もようやく終わりに近づいた頃。
畑の中にナイフを置き忘れたことに気づいた私は、取ってこようと畑に入った。するといきなりズボズボ……。私の両足は、みるみる泥の中に沈んでいった。
踏んではならぬと注意されていた、畝と畝の隙間の「沼」みたいなところにはまってしまったのだ。
暴れる程に沈んでいく私。気がつけば胸の下までずっぽり埋まっていた。
その漫画っぽい埋まり具合が我ながらおかしくて、私は涙を流して笑った。
それに、泥の中はひんやりして、ちょっと気持ち良かった。
ネウィーマンは呆れ顔で助け出しに来てくれた。そして、彼女の腕にすがって抜け出そうとした瞬間、ありえない痛みが右太ももの裏側に走った。
わけがわからぬまま、痛い、痛いと喚いていると、ネウィーマンが慌てて私を引っ張り上げ、背後に回ったトレイシアが、太ももあたりをはたき始めた。すると急に痛みがやんだ。
ぜいぜい言いながら、メタ?(何なの?)と尋ねると、ネウィーマンが言った。
「ウケルよ」
それは小さな、本当に小さなアリだった。こんなものに噛まれてあれほどに痛いとは!
ウケル。これこそがタロイモ畑の最強の敵である。これ以降私はタロイモ畑で働くときは必ず、長袖、長ズボンに長靴下という完全防備で挑むようになった。
とはいえ、楽しい思い出もある。
あるとき、ずーっと遠く、背の高い芋の葉っぱが連なるずっと向こうの方から声がした。姿は見えないが、どこかでタロイモ掘りをしている女たちが私にニ〜モ! と呼びかけてきたのだ。
「ニモ」は、ちょっとシュールでお下品なサタワルの下ネタソングである。
最初、私は意味もわからぬまま島の女たちによって強制的に憶えさせられ、なんども歌わされた。
そのたびに皆が爆笑した。しかし、男性の前では決して歌ってはいけないと言われ、英語が通じる女子に意味を尋ねると、こんなものだった。
ちなみに「ニモ」は歌の主人公の女性の、夫の名前である。
ニモ!
私ね、タコ捕りをしようと思って浅瀬に来たの
仕事の邪魔だから、作業を始める前に
女の大事なところを外して
そこのサンゴの上に乗せておいたの
でも今見たら無くなってたのよ
波にさらわれちゃったのかしら?
それとも魚に食べられちゃったのかしら?
ねえ、どこ行っちゃったか知らない?
ニモ!
確かに男性の前でちと歌いづらい。
タロイモ畑は女の園。男はほとんど出入りしないため、こんな歌が大きな声で歌われる。
遠くの女たちの呼びかけは、これを歌えという催促だと承知していた私は、半ばやけくそになって大声で歌った。緑濃いタロイモ畑にその歌声が響き渡ると、姿は見えぬ女たちからどっと歓声が上がった。
過酷な重労働を歌って笑ってしのぐ。それがサタワル流なのだろう。
遠くに3人の女性が見えるが、実は他にも数名が葉っぱの下で作業していて、時折、下品な冗談と爆笑が飛び交う。まさに女の園。
休憩中はちょっとしたピクニック気分。
もちろん、休憩時間もある。私の大好きなパンの実のフィアフィー(発酵させた果肉に砂糖と水を混ぜた飲み物)や、ココナツシュガー入りの水を飲んだり、ネウィーマンが家で隠し持っていたビスケットを食べたり。その辺の倒木の上で横になると、背中が伸びてすごく気持ちが良くてついうたた寝をしてしまったこともあった。
そして、一番大好きだったのは、作業後のひと時。
ネウィーマンと私とトレイシアの3人はいつも、家に帰り着く直前に芋を置いて海に入った。
全身泥だらけの私はトレイシアと一緒に何度も頭のてっぺんまで海に潜って泥を落とした。
そして海から上がると、森の中にある湧き水で海水を洗い流し、ネウィーマンお手製のココナツオイルを全身に塗った。すると、限界まで疲れた私にも、不思議と力が蘇ってくるような気がしたものだ。
ものすごく過酷だけれど、なんだか懐かしいタロイモ畑。
ヘンリーナに、今度はいつタロイモ畑に行くのと尋ねると、来週かな、と答えた。
残念ながら、今回は行けそうにない。
サタワルの出航は、明日に迫っていた。
うっかり忘れそうだったが、我々は、5月22日からグアムで開催される太平洋芸術祭、フェストパックのオープニングセレモニーに参加すべく航海している。
つまり5月21日までにグアムに着かねばならないという締め切りがあるのだ。
次の目的地サイパンへはちと距離が長く、風が良ければ1週間。サイパンからグアムは2日で着く。
そして今日は4月30日。締め切りまで丸々3週間もある。
あと2、3日はサタワルにいたいですーと、キャプテンに談判してみたが却下された。
なぜなら、上記スケジュールはあくまで「風がよければ」という仮定に基づいているから。
風が止まったり、何かアクシデントが起これば、平気で2、3週間かかってしまう。
更に言えば、この区間は途中で立ち寄れる島もない。
逆に、サイパンまでついてしまえば、グアムへは近い。
だから我がキャプテンは明日、島を出る決定を下したのだ。
サタワル滞在は残す所、1日となった。
今でこそじんわりと貨幣経済が入り込んできているサタワルだが、それでも依然として、島の最大の財産といえば、通年採れる主食を産するタロイモ畑だ。
畑には場所ごとに名前がついていて、所有者がビシッと決まっている。
だから、あの女がこの前、うちの畑から芋を盗んだ、なんて話もよく耳にする。
母系社会のサタワルで、更には女の園であるタロイモ畑は、当然ながら母系による女性が代々受け継いで行く。亡くなってからの相続はもちろん、生前贈与的に娘に与えられることもある。
パンの木は各クランの長が、ヤシの木は男性が所有していると聞くが、やはり最重要な土地、タロ芋畑を女が所有しているため、島は女のもの、というのが一般的な概念になっている。
男が婿入りする習慣も、このことと関係していると思われる。
要は、島に男の財産はほぼないに等しいのだ。
あえていうなら、男の財産はカヌー小屋とカヌー。だからカヌーで別の島を訪れた男の中には、そのまま居ついてしまい、サタワルに戻らない、なんてこともしばしば起こる。
家の外では、男がいると女は腰を曲げ、あるいは地面を這って歩かねばならない、などという、一見すると男尊女卑的な習慣が今も残るが、実のところ、母系社会はやっぱり女が強いのだ。
だって、島は女のもの、海は男のものと言うが、所詮、海を所有することはできないのだから。
*本連載は月2回(第1&第3週火曜日)配信予定です。次回もお楽しみに!
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林和代(はやし かずよ) 1963年、東京生まれ。ライター。アジアと太平洋の南の島を主なテリトリーとして執筆。この10年は、ミクロネシアの伝統航海カヌーを追いかけている。著書に『1日1000円で遊べる南の島』(双葉社)。 |