三等旅行記
17 巴里の第一頁
文・神谷仁
「私の下宿は鳩と猫の巣だ」
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<下駄で歩いた巴里>
さて巴里の第一頁だが、ーー初めの一週間はめつちやくちやに眠つてしまつた。第一巴里だなんて、どんなにカラリとした町だらう……そんな風に空想して来たのだが、夜明けだか、夕暮だか、見当がつかない程、冬の巴里は乳色にたそがれて眠るに適してゐた。
「巴里に眠りに来たのだらう」と云ふ人もあつたらしいが、兎に角金なしだ。周章(あわ)てゝは事を仕損じる、で私は眠つたふりをして、本当は巴里での生活を考へてゐたのだ。
だが、あまり眠り続けると、頭が非常に不健康になる。えゝめんだうくさい、「いくたびか死なむとしては死なりざりし、わが来しかたのをかしく悲し」啄木の歌のせいでもないだらうが、いざ日本を遠く離れると、妙に涙つぽくもなつて来る。
私の下宿は鳩と猫の巣だと説明したら、妙にロマンチツクに聞えるだらうが、巴里の猫程気味の悪いものはない。毛糸玉のやうにふくれあがつて、夜、コツコツ帰つて来ると、暗がりの天井から背中へおつこちて来る。此下宿屋には野良猫が七匹も巣をくつてゐるし、犬が二匹もゐる。 鳩は、これは食用にするのだらう。私の窓下の庭に、二匹ばかり金網の中に飼はれて、朝になるとクルクル……優しく啼いてくれる。
凸型、これが私の部屋の姿だ。おそろしくやゝこしくて、少し稼いだら四角な部屋へ越したいのだが、春まで動けないだらう。
初め部屋を見て、妙に呆んやりした顔をしてゐたら、「三百五十フラン」─(約三十二円)─だとお上さんが云つてゐる。「高いわねえ」と云ふフランス語が見当たらないので、案内方と顔をしかめてみせたら、三百フランにまけてくれた。何しろ自炊が出来るやうに、半坪ばかりの台所がある。初め私はこの台所を電話室と間違へてしまつて、巴里はハイカラなところだと感心して扉を開けたら、大きなガス台があり、三段ばかり棚が吊つてあつた。三百フランは(約二十四円)勿論家具つきだが、おつそろしくチヤチなもので、洋服ダンスは今にもひつくりかへりそうに木口がふんぞりかへつてゐるし、二ツある椅子と来たら、背が高くて、足がどうしてもぶらんこしてしまふ。だが、時々笑ひころげるにいゝ椅子だ。此椅子から楽しい仕事が出来ればなんぞ野心を持たぬ事だ。笑ひころげて笑ひころげて死んでしまう時は、此椅子にかぎる、外に楽屋裏から引つぱり出したかの様なガタガタの円テーブル、こいつは少し猫背で、墜落いる姿で、書き物をしなければならぬ。
さて、一番私の神経をキヤキヤさせるものは七面に張つてある壁紙だ。まるで安宿みたいに紅色の花模様で、何かあはたゞしくなやましい。木屑の浮いた日本の優しい壁の色こそなつかしくなつてくる。朝、眼を覚ますと紅色の洪水、眼をとじると瞼の裏まで紅くそまる。こゝで病気にでもなつて文無しになつたら悲惨だ。
巴里に来て二週間目、私はめつちやくちやに街を歩いた。街を歩きながら、街を当度なく歩いてゐる人間の不幸さを知つた。
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< 解説 >
ついに旅の目的地であるフランスはパリに降り立った芙美子。それは1931年11月23日の早朝のことであった。
彼女がパリに到着してまず行ったのは、宿泊先を決めることと、滞在中のお金の使い方を決めることだった。
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一ケ月の生活の設計をたててみた。
部屋代一ケ月三百法。
食費自炊二百五十法。
郵便料百法。
風呂と床屋代四十法。
電気ガス三十法。
雑費百法。
(『巴里の日記』(東峰書房・昭和22年)より。)
*余談であるが、こちらは現在の「ボン・マルシェ」の外観。その歴史は古く、始まりは19世紀からで、世界初の百貨店である。優雅で常にアートの香りがする大人のデパートだ。
*現在の「ボン・マルシェ」の店内。ここに来たら、食品、ファッション、本、文具まで、世界中からセレクトされた上質なものが揃うため、多くの文化人や芸術家にも愛されてきた。
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当時のレートは1法(フラン)0.08円。1円が12.5フランだった。彼女は銀行に4350フランほど預けてパリへやってきたとのことだが、満州事変のために日本円は暴落中であり、滞在はとかくお金がかかるため本人的には出来るだけ節約しながら滞在していたようだ。芙美子はその様子を、「巴里の小遣い帳」として詳細な家計簿をつけており、なににどのくらいお金を遣ったかを記録に残している。
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*この連載は毎週日曜日の更新となります。次回更新は12/4(日)です。お楽しみに。
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林 芙美子 1903年、福岡県門司市生まれ。女学校卒業後、上京。事務員、女工、カフェーの女給など様々な職業を転々としつつ作家を志す。1930年、市井に生きる若い女性の生活を綴った『放浪記』を出版。一躍ベストセラー作家に。鮮烈な筆致で男女の機微を描いた作品は多くの人々に愛された。1957年に死去。代表作は他に『晩菊』、『浮雲』など。 |