越えて国境、迷ってアジア
#94
台湾海峡一周〈10〉馬祖諸島~基隆
文と写真・室橋裕和
台湾・金門島から中国に渡り、福建省の海峡沿いをぐるりと巡ってきたこの旅もラストスパート。最後は船で台湾海峡を横断して、台湾本島に帰ろう。
頼もしき「臺馬之星号」に乗船
港からの旅立ちは、空港よりもさらにぐっと昂るのはなぜだろう。
飛行機よりも乗る機会が少ないぶん勝手がよくわかっていないことが焦りや不安を呼び、それがほどよい旅のスパイスになっているようにも思う。アドレナリンがにじむのを感じるのだ。それに大海原をゆくという単純なロマンもある。船旅はいつも心地よい興奮を伴う。
前日に買っておいたチケットを持って、指定された8時に南竿のフェリーターミナルに行ってみる。中国・福州からの船が着いたところと同じ港だ。こんな辺鄙な島だし、閑散としているだろう……とタカをくくっていたのだが、すでに旅客と思しき人々が行列をなしているのである。チェックインカウンターはもう大混雑だ。僕もあわてて並んだ。どうも連日の悪天候で飛行機の運休が続いており、船便に切り替える人がたくさんいるようなのだ。
じりじりとした思いで牛歩のごとき列に待ち続け、ようやく乗船手続きを終え、飛行機の搭乗券みたいなチケットをもらってターミナルを小走りに抜けると、思っていたよりずっと大きな「臺馬之星号」の雄姿が視界に飛び込んできた。
船の前方にぱくりと開いた入口から、腹の中に入っていく。僕が買ったのは経済艙つまりエコノミークラス。狭い通路が走る船内を、ホテルの部屋みたいな1等船室や、大きなファミリールームをやりすごし、指定された1-17艙位まで行ってみると、そこは2段ベッドが入り組んで並ぶいわばドミトリー。30人くらいは入れるだろうか。ほかのお客もすでにちらほらと入ってきていて、なんとなく目礼を交わす。
下段のベッドに荷物を引っ張り込んでみる。カーテンと個人用の照明までついていて、なかなかいいじゃないか。電源はないが7時間ほどの航海だ。スマホの充電ももつだろう。
落ち着く場所が決まると、もういてもたってもいられなくなる。探検だ。船内をあちこち見て回りたい。
まだ荷物を抱えた乗船中のお客が入ってくるところを逆流するように歩いていく。トイレはきれいだ。KTVと看板が出ている部屋はカラオケらしい、1時間250元(約900円)と料金が書かれている。そして船の中央には広々としたスペースがあり、売店を囲むようにテーブルが並んでいる。簡単な軽食や、媽祖諸島のみやげ物も売っている。いいな、あとでここでランチにしよう。
食堂のわきの重い扉を開けて、鉄の階段を駆け上れば、大きな甲板に出た。風が吹き抜ける。バスケくらいはゆうゆうできそうな広さだ。そばには南竿の港と、街並みとが近くに見える。そこに、汽笛が轟いた。出航だ。
南竿港から「臺馬之星号」に乗り込む。火曜以外の毎日運航
エコノミークラスはこんな感じ。ベッドひとつにロッカーがつく。1000台湾元(約3600円)
甲板から南竿を見やる。これで媽祖の島々ともお別れだ
大陸から台湾本島まで、海峡を横断する
「臺馬之星号」は静かに離岸した。乗客の多くが甲板に出てきて、欄干をつかみ、少しずつ小さくなっていく媽祖の島々を見やる。国や文化が違っても、こういう場面で感じる旅情はきっと同じなのだろう。島影が見えなくなると、ネットがつながらなくなった。いよいよ台湾海峡の真っ只中に乗り出すのだ。
2時間ほどたつと荒波を受けてか、けっこう揺れ出した。船内を歩いているところに、どかんと来ると、足元がふらつく。船酔いしたのか横になっている人も多い。トイレからは苦しげなうめき声が聞こえてきたりもする。台湾海峡波高し、なのである。
僕はさらに船内をうろつき、揺れが激しくなったらベッドに戻って本を読み、収まったら甲板に出て……なんて繰り返しているとあっという間に時間は過ぎていく。食堂では、ちまきとお茶を買って甲板で食べた。
それから部屋でうとうとしてしまって、目が覚めるとまわりの乗客たちが荷造りをしていた。窓を見てみれば、もう陸地が目の前にまで迫っていた。台湾本島だ。ちょうど港に入るところで、コの字型をしたドッグの中に「臺馬之星号」がゆっくりと進んでいく。基隆の街が手に取るようにわかる。16時30分、接岸。これで台湾海峡は僕の制圧下に入った。
売店ではカップ麺、パンやお菓子、ちまきなどが売っていた
甲板に出てはしゃぐ船客はほとんど台湾人だったと思う
大陸側と変わらない夜市の味に思う
まず感じたのは、ねっとりと絡みつくような湿気だった。基隆は媽祖と比べると、明らかに蒸し暑いのだ。冷たい霧雨が降っていた媽祖とはずいぶんと気候が違う。すぐに汗でシャツが濡れてくる。
そして古びてはいるが立ち並ぶビルの森を、つい見あげてしまう。店が多い。車が渋滞している。バイクの流れが洪水のようだ。静かで寂れた離島から来た身からすると、基隆は大都会なのである。ちょっと緊張してしまう。
その都市のど真ん中、中心に抱かれているのが、「臺馬之星号」も停泊しているこの港なのだ。まわりには市場がいくつもあり、賑やかな夜市もあって、基隆はまさに港から発展してきたのだと実感する。
ここからかつては沖縄・石垣島までの船も出ていた。バックパッカーたちに親しまれたルートでもあったけれど、日本の運航会社が経営破綻して以降、定期船は出ていない。いまはクルーズ船がこの基隆と沖縄を行き来している(ただしコロナウイルス禍なので運休していることもある。要確認)。ここは大陸から台湾を経て日本列島へと至る中継点、海の交差点のような街なのだ。
港をよく見晴らせるホテルに荷を置いて、夜市を歩いてみた。島とはまったく別世界のような賑やかさの中にも、共通しているものがけっこうある。牡蠣のオムレツや、沙茶麺など、海峡の旅で食べ続けてきた料理がいくつも並んでいるのだ。海峡を挟んだ「東岸」に来たわけだけど、「西岸」の厦門や福州でもよく見たものが目につく。
政治体制は異なっても、共通の土台がある。本来はひとつの文化圏なのだ。それでもいまは間に国境線が引かれ、僕たちはパスポートを持って行き来しなくてはならない。海峡の人々は数十年間ずっと、両岸の関係性がどうあるべきか、悩み続けている。国境の難しさも面白さも、この海峡には横たわっている。
ホテルから眺める基隆の街。港を中心に繁華街が広がる
台湾の夜市は心地よいざわめきに満ちている。歩いているだけでもけっこうお腹いっぱいになる
基隆は夜市がとにかく充実していた。夜が待ち遠しくなる街だ
*国境の場所は、こちらの地図をご参照ください。→「越えて国境、迷ってアジア」
*本連載は月2回(第2週&第4週水曜日)配信予定です。次回もお楽しみに!
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発行:双葉社 定価:本体1600円+税
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室橋裕和(むろはし ひろかず) 1974年生まれ。週刊誌記者を経てタイに移住。現地発日本語情報誌『Gダイアリー』『アジアの雑誌』デスクを務め、10年に渡りタイ及び周辺国を取材する。帰国後はアジア専門のライター、編集者として活動。「アジアに生きる日本人」「日本に生きるアジア人」をテーマとしている。おもな著書は『日本の異国』(晶文社)、『海外暮らし最強ナビ・アジア編』(辰巳出版)、『おとなの青春旅行』(講談社現代新書)。
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