旅とメイハネと音楽と
#85
西アフリカ・コートジボワール取材記〈1〉
文と写真・サラーム海上
アビジャン舞台芸術祭『MASA』に誘われた
「来年の3月にアフリカに来ないか? アフリカ中の新しい音楽やダンスのアーティストが出演するフェスティバルの主催者に君のことを紹介しておくから」
昨年10月下旬に訪れたノルウェー・オスロの音楽祭「OSLO WORLD」で音楽プログラムだけでなく、レクチャーやディベートと朝から晩まで6日間ずっと一緒だったロシア人の同業者のサシャから最終日にそう誘われた。サシャはロシア人らしく人懐っこい顔つきと熊のような巨体の男性。年は聞いていないが、僕と同じくらい、50代前半くらいに見える。若い頃にモスクワを離れ、ドイツ、フランスでの生活を経て、15年ほど前から西アフリカを拠点にし、現在は住所不定のままイギリスBBCやその他のヨーロッパのテレビやラジオ局のためにアフリカ文化のコーディネーターをしている。
オスロで6日間一緒に過ごした西アフリカ住所不定のロシア人音楽ジャーナリストのサシャと
Oslo World では音楽プログラムのほか、毎日、世界中から集まった60名以上の音楽関係者とディベートやレクチャーが開かれた
アフリカかぁ……アフリカ音楽はもちろん大好きだし、これまで北アフリカのモロッコやエジプトやチュニジアは何度も訪れてはいた。しかし、サハラ砂漠以南のいわば本当のアフリカはまだ訪れたことがなかった。それに正直言うと、行こうと考えたこともなかった。入国のためのビザを取るのすら大変そうだし、未舗装の道をオンボロバスで何時間も移動するのも嫌だし、何よりも、僕が音楽と同じくらい大好きな美味い飯がなさそうだし……。う~、この場で何と返事をしたらいいのか……。
「もちろん、行きたいよ……。でも一体、アフリカのどこ?」
「コートジボワールのアビジャンだよ。二年に一度のアビジャン舞台芸術祭『MASA』が2020年の3月に開催されるんだよ。主催者のヤクバ・コナテは僕の古い友人だし、ヨーロッパやアメリカからはジャーナリストが沢山来るんだけど、日本からの音楽ジャーナリストが来てくれたら彼も喜ぶよ」
コートジボワール! フランス語で「象牙海岸」を意味するこの西アフリカの国について、僕が知っている事は片手で数えられるほど。最大の都市アビジャンには西アフリカ諸国や内陸国の生産品を世界に輸出する西アフリカ最大級のアビジャン港があること、コートジボワールは世界一のカカオ産出国で、コーヒーや天然ゴム、更に原油も産出すること、「西アフリカの優等生」と言われる経済成長国であることなどだ。しかし、音楽となると僕はこの国についてほとんど知らない。
アフリカ大陸で音楽が盛んな国と言うと、西アフリカではマリやセネガル、ナイジェリアにガーナ。中央アフリカならコンゴ。南なら南アフリカやジンバブエ。東ならエチオピア、ケニア、タンザニアの名前がすぐに挙がる。僕がコートジボワールの音楽で知っていることと言えば、近年「クペ・デカレ」と言うヒップホップ系のダンス音楽が若者の間で大流行しているのと、1980年代初頭からフランス語圏で活躍してきたレゲエ歌手アルファ・ブロンディがコートジボワール人であること、この2つくらいだ……。
「MASAにはアフリカ全土のアーティストが集まるんだ。世界中で知られているような大御所は少ないけれど、MASAに出演して、その後ワールドワイドにデビューするアーティストも多いんだ。つまり、未来のアフリカ音楽のアーティストが観られるんだよ。それにアフリカ旅行は思っているほど大変じゃないよ。清潔度はちょっと前のカンボジアやミャンマーやラオス、インドの田舎と同じくらい。言葉もフランス語が話せるサラームなら全然問題ないよ。今回を逃すと次回は2022年と随分先になってしまうから、ぜひ考えてくれよ」
未来のアフリカ音楽を堪能出来る二年に一度のチャンス? そう言われると、今まで考えたこともなかった西アフリカへの取材旅行がリアルに思えてきた。
10月末のオスロ、毎朝摂氏零度近く、真冬が始まった
オスロと言えばこれ! ムンクの「叫び」。幾つものバージョンがあり、こちらはムンク美術館所蔵のもの
もうひとつオスロ名物といえば、早朝にオスロ湾に浮かぶサウナボートで温まり、フィヨルドにそのままダイブ! 水温は摂氏四度!
一方、二週間後、11月下旬のイスラエル。テルアビブのビーチでは泳いでいる人も目立った。冬から夏に逆戻り
11月初旬にオスロから帰国し、二週間後に今度はイスラエルでの一週間の出張をこなし、11月下旬に東京の自宅に落ち着いた。師走に入り、それまで溜まっていた仕事を片付けた頃、サシャから「MASAに来る気になったか?」と連絡が来た。
そこでMASAについて調べてみた。MASAとは「アビジャンの舞台芸術見本市 Marche des Arts du Spectacle d'Abidjan」の略で、今回が第11回。2020年3月7日から14日まで、8日間に渡って開催される。プログラムは音楽だけでなく、ダンス、演劇、スラムと呼ばれるポエトリー・リーディング、コメディー、ワークショップなど多岐にわたり、アフリカ大陸及び世界49カ国から約190組のアーティストが出演する。
出演予定の音楽アーティストをチェックしたが、僕が知っているのは来日公演も行ったことがあるマリ人のコラ奏者バラケ・シソコとフランス人のチェロ奏者ヴァンサン・セガールのデュオだけだった。しかし、逆に僕が知らない新しいアーティストをそんなに沢山まとめて観られるなら楽しみだ。一日に一組でも、8日間で8組、それだけ新たな発見があれば僕には十分な成果だ。
MASAのウェブサイト www.masa.ci
マリの吟遊詩人でコラ奏者のバラケ・シソコとフランス人の奇才チェロ奏者ヴァンサン・セガールのデュオ
僕が勝手に思っているアフリカ料理のイメージ。2006年に六本木のアフリカ料理店で撮影した、ガーナのシチュー「バンク」ととうもろこしのお餅「フフ」。悪くはないがココナッツオイルと辛さで胃がもたれた。
「行くことに決めたよ!」
「良い判断だ。主催者のヤクバに伝えておくからプレス申請を進めてくれ。メリークリスマス、そして、良いお年を!」
「サシャも良いお年を。美味い日本酒を持っていくからアビジャンで乾杯しよう!」
そう答えたものの、いつもの中東やアジア、ヨーロッパへの出張と比べると、アフリカ渡航は最初のハードルが猛烈に高かった。
まずコートジボワールに入国するには事前にビザを申請せねばならない。調べると、数年前からインターネット上で申請出来るE-Visa形式となっていた。以前は代々木にある在日コートジボワール大使館を訪問時間の予約をした上で、観光ビザ申請と受け取りのため二度訪れる必要があったそうだ。
様々な必要書類を揃えた上で、E-Visaのサイトからそれらをアップロードし、クレジットカードで75ユーロを支払うと、数日後にE-Visa承認書がメールで届く。それをプリントアウトし、到着したアビジャンの空港でビザのオフィスに持ち込むと、その場でE-Visaを発行してくれるらしい。昔と比べると随分と楽になったそうだ。しかし、そもそもE-Visaを申請するためには用意せねばならない書類がいくつもあるのだ。鶏が先か、卵が先か……?
まずはパスポートの個人情報ページのスキャンデータ、これはどこの国に行くにも必要なので、クラウドストレージに常備してある。次にMASAに発行してもらうレコメンデーションレターと現地で宿泊するホテルの予約証明書。既に年の暮れも押し迫り、クリスマス直前になっていたが、取り急ぎMASAのウェブサイトからプレス申請した。しかし、クリスマス休暇、年が明けて新年の休暇を終えても、全く返事が来なかった。そこでFacebook上のMASAのページから確認のメッセージを送ると、「貴方の申請は通っています。今週中に必要書類を送ります」とすぐにフランス語で返事が来た。実際に届いたのはそれから二週間後の1月下旬になったが、受け入れてくれることがわかったので、次に出来る用意を進めよう。
今度は貯めていたANAのマイルを11万マイル使って羽田~上海~アジスアベバ~アビジャンのエチオピア航空ビジネスクラスの無料特典航空券を予約した。通常、西アフリカに行くにはパリやベルギーなどヨーロッパの都市を経由するのが一般的だが、南回りのエチオピア航空を使うと、往路は24時間かからずにアビジャンに到着するのだ。この頃、既に武漢ではコロナウィルスが蔓延していたが、乗り換えで上海の空港を使うだけなら問題はないはず……この判断が後にさらなる一手間を増やしてしまった。
次は西アフリカ諸国の多くの国のビザに必要な黄熱病予防接種証明書、いわゆる「イエローカード」。これも難関だった。東京と横浜には黄熱ワクチンを打ってくれる検疫所と病院が四箇所しかない。しかも1月中旬に電話すると、「予約が一杯で、早くて一ヶ月後の2月中旬です」との返事。四箇所電話して、一番早い2月18日という日程を提示してくれた東京検疫所を予約した。
2月18日にお台場テレコムセンターにある東京検疫所に行き、接種の際に渡航先を伝えると「コートジボワールはアフリカ髄膜炎ベルトと言われる危険地域に一部入っています。黄熱病だけでは心配です。この後、髄膜炎、A型肝炎、風疹、T-Dap(破傷風、ジフテリア、百日咳の混合ワクチン)の予防接種も受けて下さい」と説得され、近くのクリニックで追加4本の予防接種を受けた。医療保険外なので合計で7万4千円もかかった。チャリーン! アフリカは遠いなあ……。
最後に銀行口座の英文残額証明書、これはM銀行の西荻窪支店に行き窓口で申請すれば30分ほどで用意してもらえた。しかし、これもA4プリント一枚でなんと880円もする。チャリーン! 日本の銀行ったら色々とボリ過ぎだよ。こんな簡単なフォーマット、捏造だって簡単に出来る時代なのに……。
こうしてコートジボワールのE-Visa申請に必要な書類が全て揃った。サイトから書類をアップロードし、E-Visa料金の75ユーロを支払う。チャリーン! おかげで二日後にはE-Visa承認書が届いた。
よし、後は当日の長い長いフライトに耐えるだけだ!と思っていたら、まだまだ事件は続いた。2月下旬、コロナウィルスの影響で羽田から上海行きのフライトが減便になったのだ。当然、僕が予約していた便もキャンセルとなっていた。中国でのコロナウィルスの急速な広がりを鑑みて、上海経由からソウル経由に変更してもらったものの、今度はリベリアなどのアフリカのいくつかの国が韓国と中国からの飛行機で到着した旅客を二週間隔離する措置を取り始めた。コートジボワールがいつ同じ措置を始めてもおかしくはない。もはや中国や韓国経由のエチオピア航空便は諦めるしかない。
出発の6日前の3月1日になって予約していたマイル特典ビジネスクラス航空券をキャンセルし、新たにパリ経由エールフランス便を買い直した。するとエコノミークラスなのに17万2千円もした……。チャリーン! 本当にアフリカは泣けてくるほど遠いんだぁ……。
2月18日、検疫所とクリニックから帰宅。手元に74,080円の領収書とやたらと恐ろしい説明書が残った
2月27日、E-Visa承認書とそれを取得するために必要だった書類。念の為全てコートジボワールまで持っていく!
エールフランス機内誌掲載の西アフリカ地図。日本からはとにかく遠い……
豚リブ肉のBBQ、オレンジマーマレードソース
今回の料理は昨年8月にワルシャワの共産主義回顧レストラン『赤い豚』でいただいた、ポークバックリブのBBQを、甘じょっぱいオレンジマーマレードソースを使って再現したもの。
ポークバックリブはソースに一晩漬け込んで焼くだけでも十分に美味しいが、僕は肉から骨がクルリと取れるくらいのホロホロの食感が好き。130度の低温オーブンで数時間焼く方法もあるが、今回は蒸し機能付きのオーブンレンジで45分蒸すことにした。
バックリブはウェブ通販で簡単に手に入るのでぜひ!
■ポークバックリブのBBQオレンジマーマレードソース
【材料:2人分】
*肉
ポークバックリブ:1枚(500g前後)
塩:小さじ1
胡椒:小さじ1/2
*ソース
オレンジマーマレード:1/2カップ
醤油:大さじ4
にんにくのすりおろし:1かけ分
白ワイン:大さじ2
胡椒:少々
*付け合せ
フライドポテト
ゆで卵
ミニトマトときゅうりなどのグリーンサラダ
コールスロー(あれば)
【作り方】
1.バックリブは裏側の膜をビリっと剥がしてから、塩、胡椒をすり込み、数時間~一晩冷蔵庫で保管する。
2.ボウルにオレンジマーマレード、醤油、にんにくのすりおろし、白ワイン、胡椒を入れよく混ぜ合わせる。
3.蒸し器またはオーブンレンジの蒸し機能を使って、バックリブを蒸す。肉が骨から落ちないほどまで約45分蒸す。
4.オーブンを200度に温め、その間にバックリブの両面に2のソースを刷毛を使ってたっぷり塗る。
5.バックリブを焼き網に乗せて200度で20分焼き、残りのソースをもう一度両面に塗って、さらに10分焼く。
6.肉を骨に沿って切り分け、付け合せとともにお皿に盛り付けて出来上がり。
ポークバックリブのBBQオレンジマーマレードソース
(コートジボワール編、次回に続きます)
*この連載の一部をまとめた単行本を、今夏に刊行予定です。お楽しみに!
*著者の最新情報やイベント情報はこちら→「サラームの家」http://www.chez-salam.com/
*本連載は月2回配信(第1週&第3週火曜)予定です。〈title portrait by SHOICHIRO MORI™〉
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サラーム海上(サラーム うながみ) 1967年生まれ、群馬県高崎市出身。音楽評論家、DJ、講師、料理研究家。明治大学政経学部卒業。中東やインドを定期的に旅し、現地の音楽シーンや周辺カルチャーのフィールドワークをし続けている。著書に『おいしい中東 オリエントグルメ旅』『イスタンブルで朝食を オリエントグルメ旅』『MEYHANE TABLE 家メイハネで中東料理パーティー』『プラネット・インディア インド・エキゾ音楽紀行』『エキゾ音楽超特急 完全版』『21世紀中東音楽ジャーナル』他。最新刊『MEYHANE TABLE More! 人がつながる中東料理』好評発売中。『Zine『SouQ』発行。WEBサイト「サラームの家」www.chez-salam.com |