東南アジア全鉄道走破の旅
#83
ミャンマー・ヤンゴン~ピー〈2〉
文・写真 下川裕治
ピーからヤンゴンまで、なにで戻るか
ピー駅前の食堂に入った。ソースをかけた卵焼き、小魚を辛く炒めたもの……をご飯に載せて口に運ぶ。ときどき酸味の効いたスープをひと口。ミャンマー料理のバリエーションは広い。
ふと視線をあげると、ピー駅が見える。
「さて、どうしようか」
未乗車区間は乗りつぶしたから、もう列車にこだわる必要はなかった。バスでヤンゴンン戻ってもよかった。
以前もピーからバスでヤンゴンに戻った。始発は朝の4時だった。それまでバスターミナルで待ち続けなくてはならない。
列車は10時半発だった。ヤンゴンから乗ってきた列車が折り返すことになる。
「どっちが眠れるだろうか」
思い悩む。バスと列車──。どちらはすいているだろうか。バスは空調が効いていて快適だが、だいたい満席になる。列車は早朝にヤンゴンに着く。夜行になるが、すいていれば体を横にすることができる。プラスチック製の椅子だが、寝るには支障はない。発車までの待ち時間も少ない。
列車はすいているような気がした。多くの人がバスを選ぶ気がした。空調のない車内はやはりつらい。
ピー駅。アルファベット表示ではこうなるが、ピーで意外にわかってもらえる
ピー駅の発券窓口に立った。ヤンゴンまでというと、なかに入れ、といわれた。
ミャンマーではよくあることだった。外国人料金があった時代のなごりだと思う。外国人用切符は、パスポート番号や名前がしっかり書きこまれる。一般の人が買う硬券といわれる小さな切符とは違う。
発券窓口でなかに入れ、といわれたとき、少し酒のにおいがした。そして駅事務所に入ると、職員全員から酒のにおいがした。
見ると、テーブルの脇にウイスキーの壜が置かれていた。夜になると、仕事をしながら酒を飲んでいいことになっているのだろうか。
酒のにおいがする駅員はこれがはじめてではない。ヤンゴン駅でもあった。午後1時ぐらいだった。もう飲んでいた。ミャンマー国鉄は酒浸り体質が浸透しているのかもしれなかった。きっと軍事政権時代からこうだった気がする。よく事故が起きなかったと思う。いや、起きていたのか。
ピーを発車した列車は72UPという番号が振られていた。UPはのぼり列車という意味だ。その発想は日本と似ている。
発車してしばらく、僕は暗い車窓に目を凝らしていた。以前、間違って降りてしまった駅を確認したかったのだ。ところが列車は、それらしき駅を素通りし、幹線との合流駅に着いてしまった。以前、乗った列車は各駅停車だった。ピー駅で確認すると、その列車はないようだった。代わりに日本からの中古車を使った列車が短い区間を走りはじめていた。つまり長距離列車はすべて急行になり、長距離の各駅停車は廃止していく傾向のようだった。当時もそうなっていれば、僕はなんの問題もなく、合流駅まで行けたはずだった。まあ、それをいまいっても仕方がないのだが。
ピー駅を発車したとき、車内はかなりすいていた。列車にして正解だった気がした。このままヤンゴンまで行ってくれれば、体を横にして眠ることができる。
ピー発ヤンゴン行きの夜行。本格的に混みあう前の車内を。こんな感じで進んでいたのだが
はじめから床に座った女性客。ミャンマーの女性は平気で列車の床で寝ます
しかしミャンマーの列車は甘くはなかった。合流駅から幹線に入った。僕は座席ふたつ分のスペースで寝ていたのだが、飛び交う人の声で目が覚めた。時計を見ると、夜の11時20分。次々に人が乗り込んできた。ホームにもかなりの人がいる。
列車は一応、座席指定になっていた。僕の隣には男性がやってきて座った。しかし乗客のなかには、席に座らず、通路に立つ人もいた。午前1時。また次の駅に停まった。ホームにはあふれんばかりの人が立っていた。
幹線だから、ピー始発以外の列車も走る。それらに分乗してヤンゴンに向かう人たち。どうも座席指定のない切符も売られているようだった。
車内は大変なことになってきた。ボックス席の間や通路にはござや布が敷かれ、そこに座ったり、体を横にする乗客が出てきた。デッキや洗面所にも人が座っている。
僕のボックスの床にも、小さい子供を連れたおばさんが布を敷き、そこにふたりで寝はじめた。僕は体を横にするどころか、足の置き場もなくなってしまったのだ。
午前3時、午前4時……。まだ乗客が乗り込んできた。もうぎゅうぎゅう詰め。トイレに行くことも難しくなってしまった。
バスにすべきだった、と唇を噛んでもしかたない。身動きがとれない車内で、ただじっとしているしかなかった。
朝の6時15分にヤンゴンに着いた。ほぼ徹夜の列車旅になってしまった。
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著者:下川裕治(しもかわ ゆうじ) 1954年、長野県松本市生まれ。ノンフィクション、旅行作家。慶応大学卒業後、新聞社勤務を経て『12万円で世界を歩く』でデビュー。著書に『鈍行列車のアジア旅』『不思議列車がアジアを走る』『一両列車のゆるり旅』『東南アジア全鉄道制覇の旅 タイ・ミャンマー迷走編』『東南アジア全鉄道制覇の旅 インドネシア・マレーシア・ベトナム・カンボジア編』『週末ちょっとディープなタイ旅』『週末ちょっとディープなベトナム旅』『鉄路2万7千キロ 世界の「超」長距離列車を乗りつぶす』など、アジアと旅に関する紀行ノンフィクション多数。『南の島の甲子園 八重山商工の夏』で2006年度ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。WEB連載は、「たそがれ色のオデッセイ」(毎週日曜日に書いてるブログ)、「クリックディープ旅」、「どこへと訊かれて」(人々が通りすぎる世界の空港や駅物)「タビノート」(LCCを軸にした世界の飛行機搭乗記)。 |