東南アジア全鉄道走破の旅
#82
ミャンマー・ヤンゴン~ピー〈1〉
文・写真 下川裕治
ヤンゴンからピーへ
午後1時、ピー行きの列車は定刻に発車した。ミャンマーの列車は、この発車時刻だけは律義に守る。
ピーまでの路線は厄介だった。ヤンゴンとパガンを結ぶ幹線から、8キロほどの短い支線がのび、その終点がピーだった。本線からの引き込み線の先にピーがあるような感覚だ。支線部分だけをピストン輸送する列車があれば、簡単に乗りつぶすことができるのだが、ミャンマー国鉄にはそういう発想はなかった。ヤンゴン駅から発車するピー行きの列車だけが、この支線部分を走る。それに乗らなければならない。駅員に訊くと、ピー行きの列車は1日1本だという。
ミャンマーの列車を乗りつぶす。当然、効率を考える。すでにヤンゴンからパガンまでン幹線は乗っていた。なんとか支線だけ乗ることができないだろうか。
一気にミャンマーの列車を制覇しようとしていたとき、夜になってピーに着いた。駅で訊くと、深夜にヤンゴン方面に向かう列車があるという。そこで幹線と合流する駅まで乗り、そこで降りてバスでヤンゴンに戻る方法を考えた。列車よりバスのほうが速かったからだ。
この作戦が墓穴を掘った。駅で訊くと、幹線との合流駅まではひと駅だという。そこでその区間の切符を買い、ひと駅目で降り、バスターミナルに向かった。バスでヤンゴンに帰ったのだ。
しかし気になっていた。降りた駅は小さく、とても合流する駅には思えなかったのだ。
ヤンゴンのホテルで、写真に記録された駅名を読んでもらった。駅名はミャンマー語だけだった。そしてミャンマー国鉄からもらった路線図を照合してみる。
「なんてことだ……」
僕は合流駅のひとつ手前の駅で降りてしまったのだ。切符を買ったとき、もっと確認すればよかった。ピーと合流駅の間には、駅がひとつあり、合流駅はピーから数えるとふたつ目の駅になると念を押せば、こんなことにはならなかった。
支線の一部が未乗車路線として残ってしまった。距離にすると5.6キロ程度だろうか。
ミャンマーの列車旅は、『東南アジア全鉄道制覇の旅 タイ・ミャンマー迷走編』に収録された。その時点で、ピーと合流駅を結ぶ支線の一部が未乗車区間として残っていた。
5.6キロほどの区間に乗るために、ヤンゴンからピーまで7時間以上乗らなくてはならない。それはあまりに非効率だ。しかし未乗車区間は、喉に刺さった魚の骨のように残っている。これは列車の乗りつぶし旅を体験した人でなければわからない感覚かもしれない。
ヤンゴンからピーまでは2000チャットだった。約172円。安いことはうれしいが、わざわざ5.6キロのために乗る路線である。もう少し高いほうが……とも思うのだが。
ピー行き列車の発車直前。ぎりぎりまで物売りが通路を歩く
ピー行き列車がヤンゴン駅を発車。ホームや線路の周りのゴミが劇的に消えてます
列車はヤンゴン市街を抜け、田園地帯を走っていた。もう2時間くらい乗ったかと時計を見ると、50分しかたっていなかった。ミャンマーの長距離列車に乗りまくっていたときの感覚が戻ってこない。まあ、戻ったところでどうということはないのだが。
車両は2等の座席車だった。プラスチック製の椅子で、通路を挟み、左右に4人がけのボックス席が続いていた。日本でいうと、昔の普通車。背もたれは倒れない。そして座席はプラスチックだから、クッションはまったくない。すぐに尻が痛くなる。つるつるとした椅子の上で、尻をときどき動かしながら座り続ける。
車内はほぼ満席だった。隣にはおばさんが座っているから、体を横にすることもできない。3時間、4時間……。しだいにつらくなってくる。
夕方の5時ごろだろうか。弁当を売りにきた。炒めたビーフンだった。500チャット、約43円。それを買い、ビーフンを啜った。なんだかしっくりとくる。車窓に目を移すと、濃い緑色の水田が、西日に輝いていた。
気分も楽になってきた。体がミャンマーの列車旅を思いだしはじめたのかもしれない。うっとりと風景を見てしまう。
天国とはいわないが、列車ハイのような感覚が蘇ってくる。長距離ランナーが、ある距離を超えると走ることが快感に変わるというランナーズハイ。それに近いものかと勝手想像してみる。
やがて日が暮れ、村の家々に灯がつきはじめた。気温は高いから、窓を開け放したままで走っているが、虫がほとんど飛び込んでこなかった。季節は3月。まだ虫も少ないのだろうか。
午後8時半。列車はピーに着いた。これで気にかかっていた5.6キロを乗りつぶした。
ビーフン弁当。これまでミャンマーで食べた弁当のなかでもかなりの高ランク
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*本連載は月2回(第2週&第4週木曜日)配信予定です。次回もお楽しみに!
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著者:下川裕治(しもかわ ゆうじ) 1954年、長野県松本市生まれ。ノンフィクション、旅行作家。慶応大学卒業後、新聞社勤務を経て『12万円で世界を歩く』でデビュー。著書に『鈍行列車のアジア旅』『不思議列車がアジアを走る』『一両列車のゆるり旅』『東南アジア全鉄道制覇の旅 タイ・ミャンマー迷走編』『東南アジア全鉄道制覇の旅 インドネシア・マレーシア・ベトナム・カンボジア編』『週末ちょっとディープなタイ旅』『週末ちょっとディープなベトナム旅』『鉄路2万7千キロ 世界の「超」長距離列車を乗りつぶす』など、アジアと旅に関する紀行ノンフィクション多数。『南の島の甲子園 八重山商工の夏』で2006年度ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。WEB連載は、「たそがれ色のオデッセイ」(毎週日曜日に書いてるブログ)、「クリックディープ旅」、「どこへと訊かれて」(人々が通りすぎる世界の空港や駅物)「タビノート」(LCCを軸にした世界の飛行機搭乗記)。 |