越えて国境、迷ってアジア
#82
カンボジア・ストゥントレン~ラオス・デッド島
文と写真・室橋裕和
カンボジア北辺の村カンポン・スララウを発ち、目指すはラオス国境。メコン河に沿ってケモノ道のような悪路を突っ走り、小さな村をいくつも越えて、カンボジアを大横断していく。
カンボジア北部の街ストゥントレン
チャーターしたおんぼろのクルマが、ぐん、と跳ねた気がした。橋に差しかかったのだ。メコン河だった。でかい。茶褐色の水のかたまりが、ゆるやかにうねって南へと流れていく。まるで巨大生物のようだと思った。かつて龍にも例えられ、また龍が棲むともいわれるインドシナの母。そのふところに、数千もの小島を抱くエリアが次の目的地だ。
橋を渡りきる。ストゥントレンの街だ。低層の小さなビルが建てこみ街路をつくっている。メコンに面して拓かれたささやかな街だが、カンポン・スララウからやってきた身からすると大都市のようにも映る。クルマのクラクションや人波が新鮮だ。行き交う欧米人のバックパッカーたちに目を見張る。
彼らと同じように、僕もリュックを背負ってストゥントレンに来たことがあるのだ。もう20年以上も前のことになる。
「そうそう、この岸壁だ!」
運転手がクルマを停めて、ひと休止となる。
「あとは北に走るだけだ。国境までは1時間くらいかな」
助手席を陣取る運転手の相棒が言う。クルマから降りて、みんなで背伸びをした。
この岸壁から昔は、メコンを小舟でさかのぼってラオスに入ったのだ。メコンの中州、カンボジア側に浮かぶ島に、まさに小屋のような物置のようなイミグレがあったと思い出す。そこで出国をし、また小船で対岸に渡ると、ラオスなのだ。やはり簡素な木造のイミグレで入国スタンプをもらう。あの頃はラオスの入国にビザが必要な時代だった。それに道路がまったく未整備で地雷だらけだったので、やむなく水路が国境越えルートとなっていた。なかなか珍しかったと思う。
それがいまでは陸路なのだ。外国人は新しく建設された道路を通ってラオスに入ることになっている。小船が頼りなくよろよろと出航した岸壁はあまり変わっていないように思うが、まわりはきれいな公園になり、ゲストハウスが並ぶ。バックパッカーはこのあたりで乗り合いバンを見つけて、ラオスを目指すようだ。
ストゥントレンの船着場のそばに立つこの木は、20年前と変わっていないように見えた
静かな国境を越えて、ようやくラオスへ
焼畑の煙を左右に見ながら、確かに1時間ほど走ったころだった。深い森の中を走っていくと、唐突に視界が開けて、大きな広場に出た。ここで道は終わっている。その向こうに、オレンジ色の三角屋根の建物が見えた。イミグレーションだろう。広場のたもとの雑貨屋の前に乗りつけると、はるかカンポン・スララウからのドライブは終わった。けっこうな道のりだった。
運転手たちと握手を交わして、歩き出す。
いよいよラオスだ。武器のごとくパスポートを携えてペンを構え、いざイミグレーションへと踊りこんでみるのだが、がらんと静まり返っている。地元の人は小さなローカル国境を越えるのだろう。ここは国際輸送のための大型トラックだとか、外国人旅行者のための道であるらしいが、需要がないのか係員は眠りこけ、そこらを牛が散歩し、きわめてスローな空気が漂っている。建物だけは立派だが、それに見合った交通量はまったくないようだ。
てえことは……僕はアセッた。
係員を叩き起こしてカンボジアを出国し、ラオスに入ってやはりぼけぼけっとスマホを見ている係員にパスポートを叩きつける。無事に入国スタンプをせしめてラオスに入国したのだが、案の定であった。
「なんもない……」
バスもトゥクトゥクもバイクタクシーも、交通機関らしき姿がまったく見当たらない。まっすぐに、無人の道路が続いているだけだった。
こんな僻地のくせにイミグレのわきには生意気にも免税店なんぞがあったので入ってみた。これまた建物はモダンだが、中はホコリがたまり売りものは酒とタバコ程度。ひとりだけいた店員に聞いてみるが、
「バスなんかないよ。トゥクトゥクはたまにいるけど……」
国境まで来た客をここで降ろして、カラで帰るのもナンだしちょっと待ってみっか……という感じで客待ちをしていることがあるらしい。しかしすでに夕方、もうすぐ日も沈む。いまから国境越えをする旅行者が都合よく現れるだろうか。
「じゃあ、クルマかバイクを出してくれる人はいないかな」
「うーん、どうかなあ……」
汗がにじむ。交通のほとんどないエリアをムリヤリに旅してきたが、いよいよストップなのだろうか。まさかの徒歩行軍なのだろうか。
しかし、こと国境越えに関して僕のヒキは強い。
カンボジア側から、客を満載したミニバンがのろのろとやってきたのだ。ストゥントレンから発車した国際バスだろう。欧米人バックパッカーがみっちりと詰まっている。
駆け寄ってつかまえれば目的地は僕と同じメコン河岸の町ナカサンだ。
「パイ・ドゥアイ!(一緒に行く)」
そうタイ語で言うと通じたようで、あっさりと同乗が許可される。ガラリとドアを開けると身体の大きな連中でスシ詰めになっていたが、なんとかスペースをつくってくれる。助かった。
ようやく国境を離れ、ミニバンが走り出すと、エアコンもない車内だが風が吹きぬける。汗が乾き、引いていく。ひとつクリアしたな、という達成感に満たされる。
カンボジア側のイミグレーションには放牧されているのか牛が歩き回っていた
カンボジアのイミグレで遊んでいた。係員の子供だろうか
ラオス側のイミグレもやっぱり静か。交通量はとっても少ない
メコンの夕陽を浴びて進め!
30分足らずで着いたナカサンは、中洲の島々にボートが離発着するメコンの一大ターミナルだ。国境の静けさはどこへやら、商店が密集し、ゲストハウスや旅行会社が並び、欧米人や中国人の旅行者も多く、賑やかだ。
僕は一艘の小さなボートをつかまえて、デッド島へとこぎだした。カンポン・スララウを発って半日、やっとここまで来たのだ。カンポン・スララウからそのまま船で来れば目の前なのに、国際国境を通過しなくてはならない不自由な外国人は、ぐるりと大きく陸路で迂回するコースをたどってきたのだ。なかなかに遠かった。
そんな疲れも、メコンに浮かんでいると吹き飛んでいく。ちょうど太陽が沈むところだ。日本で見るよりもはるかに夕陽がでっかく見えるのはなぜだろう。白銀の熱球が、川面を輝かせて落ちていく。その太陽に向かってボートは川面を滑っていく。デッド島まで、もうすぐだ。
インドシナを旅する者であれば一度はメコンの夕陽を目撃せねばならない
(次回に続く!)
*国境の場所は、こちらの地図をご参照ください。→「越えて国境、迷ってアジア」
*本連載は月2回(第2週&第4週水曜日)配信予定です。次回もお楽しみに!
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室橋裕和(むろはし ひろかず) 1974年生まれ。週刊誌記者を経てタイに移住。現地発日本語情報誌『Gダイアリー』『アジアの雑誌』デスクを務め、10年に渡りタイ及び周辺国を取材する。帰国後はアジア専門のライター、編集者として活動。「アジアに生きる日本人」「日本に生きるアジア人」をテーマとしている。おもな著書は『日本の異国』(晶文社)、『海外暮らし最強ナビ・アジア編』(辰巳出版)、『おとなの青春旅行』(講談社現代新書)。
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