料理評論家・山本益博&美穂子「夫婦で行く1泊2食の旅」
#58
第56回 「東京・下町篇」
文と写真・山本益博
浅草、上野、根岸、根津、南千住、人形町
「美味しいものを食べるのではなく、ものを美味しく食べること」
私が生まれ育ったのは、正確に言うと台東区永住町(現在の元浅草)で、落語家の古今亭志ん生、作家の池波正太郎、それに永六輔ゆかりの、典型的な東京の下町です。
浅草「助六」にて
日曜日になると、家族で外食、出かけるのは、もっぱら浅草で洋食の「ヨシカミ」かとんかつの「河金」でした。たまに連れて行ってもらえたすし屋が、創業慶応2年の「弁天山美家古寿司」でした。浅草で最も古いすし屋の1軒で、ここの四代目の親方にすしの食べっぷりが気に入られ、十代の後半、浅草の老舗はじめ、東京の洋食や中華の名店に誘ってもらい、「美味しいものを食べるのではなく、ものを美味しく食べること」を教わったのでした。「味覚」だけでなく、「食べ方」の特訓を受けたのですね。
浅草「弁天山鐘撞き堂」
慶応2年創業「弁天山美家古寿司」
そばは辛いつゆで有名な「並木藪蕎麦」鰻は肝吸いがわずか50円の「初小川」でした。
親方は「並木藪」では、「そばは喰うとか啜るとか言わない、手繰るっていうの」とか、「東京っ子は、天ぷらそばや鴨南蛮など温かいそばは注文しない、冷たいもりそばを手繰るんだ」と少々やせ我慢の台詞を言うのでした。後年、「並木藪」に一人で出かけた折、禁を破って「鴨南蛮」を注文し、あまりの美味しさにびっくりしたものでした。今でも、私の「鴨南蛮」の一番は「並木藪」です。
「並木藪蕎麦」のもりそば
「並木藪蕎麦」
「どぜう(どじょう)」は「飯田屋」へ連れていかれましたが、私の好みは「駒形どぜう」。あの、籐敷の大広間の雰囲気は下町浅草ならではで、どじょうは夏の風物詩、独特の空気が漂っています。冬には通称「蹴とばし」、吉原の馬肉の「桜なべ中江」は、お酉様の晩、真夜中に連れて行ってもらいました。
「駒形どぜう」のまるなべ
「駒形どぜう」の店内
「駒形どぜう」浅草本店
20代になって、一人で出かけるようになって知ったのが、上野の洋食「ぽん多」です。上野にはとんかつ御三家と呼ばれる「双葉」「蓬莱屋」「ぽん多」があり、どちらも子供が食べられる値段のとんかつ、カツレツ、ひれかつではありませんでした。なかでも「ぽん多」は明治38年創業の老舗で、令和になっても「カツレツ」は東京最高レベルです。「タンシチュー」も名物ですが、忘れてはならないのがフライもので、「きす」「あなご」とりわけ「はしら」のフライは傑作です。
先年「双葉」がなくなりましたが、御三家のほかにも「平兵衛」というとんかつ専門店も忘れることができない名店でした。
「ぽん多」のタンシチュー
「ぽん多」のはしら
「ぽん多」のしながき
根岸の「香味屋」も忘れてはなりません。洋食というより、西洋料理。コンソメ、ステーキ、ムニエル、グラタンなど、フランス料理の下町版で、いまはジューシーなメンチカツで評判をとっています。
「香味屋」のメンチカツ
根岸を取り上げるのならば、ついでに根津の「釜竹」のうどんを紹介しましょうか。
10年ほど前に大阪・羽曳野市からやってきたうどん専門店で、釜揚げうどんが人気ですが、私は、細打ちの冷たいざるうどん一本鎗。日本一のうどんと言って間違いありません。
現在、ロンドンにいる娘の絵理が帰国すると、必ず、家族で出かける店がこの「釜竹」です。
「釜竹」のざるうどん
あとは、日比谷線の入谷駅から5分ほどの南千住の鰻の「尾花」。大串の蒲焼が名物です。
「尾花」蒲焼
「尾花」
最後は、人形町に7月1日開店したばかりの「天ぷらやぐち」。開店早々に家内と出かけました。江東区福住のてんぷらの名店「みかわ是山居」出身の職人さんが、昼は天丼のみですが、夜はリーズナブルな値段で、見事なてんぷらを揚げています。
「天ぷらやぐち」昼の穴子海老天丼
「天ぷらやぐち」の大葉包み揚げ
「天ぷらやぐち」の稚鮎
「天ぷらやぐち」のご主人矢口さん
次回は、赤湯です。
*この連載は毎月25日に更新です。
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山本益博(やまもと ますひろ) 1948年、東京・浅草生まれ。早稲田大学第ニ文学部卒業。卒論が『さよなら名人藝―桂文楽の世界』として出版され、評論家としてスタート。幾度も渡仏し三つ星レストランを食べ歩き、「おいしい物を食べるより、物をおいしく食べる」をモットーに、料理中心の評論活動に入る。82年、東京の飲食店格付けガイド(『東京味のグランプリ』『グルマン』)を上梓し、料理界に大きな影響を与えた。長年にわたる功績が認められ、2001年、フランス政府より農事功労勲章シュヴァリエを受勲。2014年には農事功労章オフィシエを受勲。「至福のすし『すきやばし次郎の職人芸術』」「イチロー勝利への10ヶ条」「立川談志を聴け」など著作多数。 最新刊は「東京とんかつ会議」(ぴあ刊)。
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