旅とメイハネと音楽と
#50
ユダヤ教新年の祝日「ローシュ・ハシャーナー」の晩餐
文と写真・サラーム海上
エルサレムの知人家族とユダヤ教暦の新年を祝う
2017年9月に行った二週間のイスラエル取材は音楽も料理も充実していたため、気がつくと、Tabilistaで10回も記事を書くことが出来た。そんなイスラエル編の最後はユダヤ教新年の祝日「ローシュ・ハシャーナー」の晩餐で締めよう。
ローシュ・ハシャーナーはユダヤ教暦で第七の月の1日から10日間続く。西暦で言うと9月または10月の新月の日の日没とともに始まる。その晩に家族が一同に会し、ワインを注ぎ、キドゥーシュというお祈りの言葉を唱え、ショファールという角笛を吹き鳴らして、新年を祝う。翌日にかけて安息日となり、一切の労働が禁じられる。その後の10日間は1年の罪を悔い改める期間で、最終日は「ヨム・キプル(大贖罪日)」と呼ばれ、敬虔なユダヤ教徒は断食を行う。
2017年のローシュ・ハシャーナーは僕のイスラエル滞在残り3日、9月20日の日没から始まった。この期間は全ての商店が閉まり、町が静まり返り、バスや電車など公共交通手段も最低三日間は休むと聞いていた。かつての日本の新春三が日、またはヨーロッパの地方都市の週末のような状況か? いや、ヨーロッパの週末は店が閉まるだけで、さすがに公共交通は閉ざされないからそれ以上だ。
ローシュ・ハシャーナーの二日目で静まり返ったエルサレム郊外。
帰国するまでどうやってやりすごそうかと思っていたら、エルサレム市役所の国際交流部で働く友人フランソワーズから誘いのメールが届いた。
「ローシュ・ハシャーナーの期間はウチに泊まりに来なさいよ。ウチの家族と一緒に新年を祝いましょう。知ってのとおり私達夫婦は全く敬虔なユダヤ教徒ではないけれど、私の妹の夫のジョーはモロッコ出身の敬虔なユダヤ教徒なのよ。彼がこの日のために特別な料理を作って、家族揃って料理をいただくのよ。それを取材したらいいじゃない?」
おお、そんなお誘い断れるワケが無い!ということで、この日は午前中のうちに乗合タクシーのシェルートに乗ってテルアビブからエルサレムに再び移動した。
エルサレムの新市街に入ると、お昼前にもかかわらず渋滞が始まっていて、新市街最大の市場街マフネイェフダ市場に近づくと、車が全く進まなくなった。窓から見ると、山高帽を被ったユダヤ教超正統派の人々まで、両手に買い物袋を抱えて、狭い道を行き来している。まるで大晦日のアメ横状態だ。
エルサレム新市街マフネイェフダ市場はアメ横状態
15分ほどで渋滞を抜け、バスターミナルに到着。市バスに乗り換え、旧市街の南、アブ・トール地域で降りると、フランソワーズの夫で精神科医のアモスさんが通りに立ち、僕を待っていてくれた。
「ようこそ我が家へ。ローシュ・ハシャーナーの間はのんびりするといい」
台所でスープを作っていたフランソワーズに挨拶し、アモスさんに家を案内してもらう。二人の家は集合住宅だが、1フロアを占有するいわゆるフラット形式。20畳ほどの広いリビングと12畳ほどのダイニング、奥には寝室がいくつか、その他、アモスさんがクリニックとして使っている部屋、さらに広いテラスがあり、テラスではアモスさんが無数の観葉植物や野菜、ハーブ、レモンなどを育てていた。僕はクリニックの部屋をあてがわれた。
「この部屋には患者のカルテがあってのお。医者としては守秘義務があるんじゃが、ヘブライ語で書かれていて、君には読めんじゃろうから、問題ないだろうよ、フォッフォッフォ…」
常に小さな声でちょっとブラックなユーモアを交えて話しかけてくるアモスさんはアシュケナージとセファルディーの血を引いている。外見にもヨーロッパ人の骨格と表情、中東人の褐色の肌、その両方が現れている。今でこそアシュケナージとセファルディーの異人種間結婚は珍しくないが、アモスさんが子供の頃は少なかったそうだ。
緑に囲まれたフランソワーズ&アモス夫妻のフラット入り口
フランソワーズ&アモス夫妻の広いテラス。観葉植物や野菜、ハーブ、レモンなどが生い茂っていた
寝室の横の小さなベランダに植えられた料理用ハーブを手に取るアモスさん
夜にはたっぷりの料理が待っているので、昼飯は軽くすます。薄切りのにんじんを柔らかく煮て、クミンで風味を付けたスープをメインに、近くの惣菜屋で買ってきたキッベ(ブルグルでくるんだひき肉団子、トルコのイチリ・キョフテと同じ)、ホモス、オーブンで焼いた茄子やパプリカのサラダをささっと並べただけ。こうしたカジュアルなイスラエル料理は実にヘルシーでイイ。
フランソワーズは使い勝手の良さそうな台所でにんじんのスープを作っていた
午後はテラスで過ごした後、夕暮れ前にアモスさんに連れられ、近くのハース・プロムナードに散歩に出た。ここはエルサレム旧市街を外から丸く囲むような形で東西に伸びた公園と散歩道。エルサレム旧市街から新市街、そしてオリーブ山やスコーパス山、さらにヨルダン川西岸地区との分離壁までが一望出来る。公園には常用樹に混じって、白い箒のような葉のススキに似た植物が生えていた。
「あれは秋の植物じゃ。ほんの一瞬だけ生えて、すぐに枯れてしまう。あれを見つけると季節が変わったと思うんだよ」
なるほど、昼間は30℃まで気温が上がるエルサレムだが、僕が滞在している間の間に季節が変わり、夕暮れになると半袖では少々涼しいくらいまでになった。秋の気配が着々と近づいている。
エルサレム旧市街からヨルダン川西岸まで一望出来るハース・プロムナード
秋を告げる植物。ススキに似ているが茎が一本だけ
いったん、家に戻ると、フランソワーズが台所で料理を作っていた。昼のうちから赤ワインとパプリカパウダーに漬け込んでおいた鴨肉をオーブンで焼いているのだ。しまった! 散歩に出たせいで料理を習いそこねた! まあ、おかげでアモスさんと打ち解けたのだが。そういうことは往々にして起こる。また次回があるさ!
部屋に戻り、シャワーを浴びていると、いつの間にか日が暮れていた。ユダヤ教の新たな一年が始まったということか。焼き上がった鴨肉を抱えて、徒歩10分の近所に暮らすフランソワーズの妹夫婦の家に向かう。
フランソワーズの家よりもさらに広い一軒家に通されると、フランソワーズの妹のマノンさん、マノンさんとジョーさんの長男のモシェ君、長女のマヤンさんが迎えてくれた。台所では一家の主のジョーさんがクスクスに腕をふるっていた。
「シャナ・トバ(あけましておめでとう!」
ジョーさんはモロッコのマラケシュ生まれ。マノンさんはスイスのフランス語圏の生まれなので、家庭内の会話は主にフランス語で、ヘブライ語は少し交じる程度だ。
この時間、イスラエルの全ての家庭でローシュ・ハシャーナーが祝われているはずだが、食卓を囲む言語はヘブライ語とは限らない。イディッシュ語、英語、フランス語、ロシア語、アラビア語、アムハラ語、スペイン語、トルコ語、クルド語、ウズベク語、ペルシャ語など、家庭によってそれぞれ異なる。きっと作る料理もそれぞれ異なるはずだ。次回は別の家庭のローシュ・ハシャーナーにも参加したいなあ。
ショファールという角笛を吹き鳴らすモシェ君
全員がテーブルに着くと、モシェ君がキドゥーシュというお祈りの言葉を唱え、平たいパンを手でちぎり、テーブルの全員に投げて配る。パンにも祝福を与えるのだ。
モシェ君がお祈りの言葉を唱えながらパンをちぎって投げ配る
テーブルの上に並んでいるサラダには、茹でたビーツ、茹でたにんじん、ポロネギのオリーブオイル煮、焼きなすのペーストなど見慣れたものもあるが、ザクロの実と白胡麻をキルシュで和えたものや冷凍庫で凍らせた黄色いデーツなど、初めて見るものもある。ローシュ・ハシャーナーの特別料理らしい。
テーブルの上にはにんじん、ビーツ、きゅうり、赤パプリカなどのサラダ類
冷凍させた黄色い生のデーツ。通常デーツは乾燥させたものが売られているが、生のデーツもあんこのアイスのようで美味い
ざくろと白ごまをキルシュで和えたもの。大人の味!
ポロネギのオリーブオイル煮。これはトルコ料理そのままだ
家長のジョーさんが全員にワインを注いで、座布団のような固いパンを切り分けて配り、やっと食事のスタートだ。美味そうだからって、いきなり食べてはいけない。一つ一つの料理にキドゥーシュを唱え、祝祷を行った上で、初めて口に出来るのだ。一応宗教儀礼だからねえ。
家長のジョーさんがワインを注いで回る
サラダに続いて運ばれてきたのは魚と肉。鮭の半身をバターとアーモンドたっぷりのせてオーブンで焼いたもの。これはジョーさんが作っていたが、モロッコ料理ではなく、ヨーロッパ系ユダヤ=アシュケナージの料理だろう。
フランソワーズが作った赤ワインとパプリカパウダーで半日マリネして焼いた鴨もアシュケナージの料理だろう。鴨にはワインが沁みていて美味かった!
鮭の半身にバターとアーモンド、タラゴンを散らしてオーブンで焼いたもの
鮭を切り分けるジョーさん
フランソワーズが作ってくれた鴨の赤ワインマリネ、オーブン焼き。味が沁みて美味い!
そして、メインディッシュはジョーさんが時間をかけて蒸した鶏と野菜のクスクス。僕がモロッコで習ったクスクスとほぼ同じで、スムールを長時間かけて柔らかく蒸してあり、スパイスは最小限、鶏と野菜のダシが中心の優しい味だ。ジョーさん曰く、モロッコ系ユダヤ料理のクスクスであって、通常のモロッコのクスクスとは異なるそうだが、僕には具体的な違いはわからなかった。
ジョーさんが作ってくれたモロッコ系ユダヤ教徒のクスクス。やさしい味
クスクスを手にしたジョーさん
こうして夜遅くまで、時にジョーさんが唱えるキドゥーシュやユダヤ教の歌、音楽教師のマノンさんが弾くピアノを聞きながら、美味しい料理とともにつかの間の一家団欒に加わらせてもらった。
料理は大量に余ったが、翌日は調理を含む一切の労働が禁止されているため、余るほど作っておくのが理にかなっている。
フランソワーズのお孫さんと一緒にピアノを弾くマノンさん
帰り道は日本の元旦の夜と同じように、おそろしく静かだった。僕たち以外誰も歩いていない道で、アモスさんがボソボソ声で話しかけてきた。
「ワシもフランソワーズも普段は宗教なんて重要とは思っていないけれど、ジョーと親戚になり、ローシュ・ハシャーナーを祝うようになった。でも、この機会に家族が揃うのは悪いことじゃないと思うんだよ。宗教嫌いは君も同じだろうけど、どう思うかね?」
ローシュ・ハシャーナーの二日目の昼間はフランソワーズ&アモス夫妻の長女夫婦も現れた。Shana Tova & Toda raba.
フランソワーズ&アモス夫妻とは帰国して一週間後に日本で再会。一緒に山中湖の温泉旅館を訪れた
イスラエルのにんじんスープ
さて今回はフランソワーズがお昼にチャチャっと作っていたシンプルなにんじんのスープを作ろう。野菜の甘みにクミンシードがモロッコ的な異国情緒を加えている。
イスラエルの野菜は砂漠気候で最小限の水で育つためか、どれも味が濃い。通常の日本のにんじんではしっかり味が出ないので、有機栽培の甘いにんじんを使おう。美味しいにんじんが手に入らない時は、1/3量をかぼちゃやさつまいもに換えても美味しい。
■にんじんのスープ
【材料:6人分】
にんじん(甘く味の濃いもの):大5本(皮をむき、火が通りやすいように5mmの薄切り)
にんにく:1かけ(みじん切り)
オリーブオイル:小さじ2
水:1.5リットル
コンソメ:1個
塩:小さじ1/2
クミンシード:小さじ1
胡椒:少々
香菜のみじん切り:2枝分
【作り方】
1.底の厚い鍋にオリーブオイルを熱し、薄くスライスしたにんじんとみじん切りのにんにくを入れ、油がまわり、軽く日が通るまで5分炒める。
スライスしたにんじんを炒める
2.水を加え、コンソメを溶かし入れてから、フタをして、にんじんが柔らかくなるまで時々かきまぜながら30分煮る。
3.クミンシードを加えてから、バーミキサーでにんじんの3/4を砕き、1/4を残し、塩胡椒で調味し、香菜のみじん切りをまぜ入れる。
にんじんが溶け出したら、クミンシードを加える。エキゾチックな香りがただよう
4.スープ皿に盛り付け、出来上がり。
フランソワーズ作のにんじんスープ
*2017年秋のイスラエル編はこれにて終了。次回からは2018年始の南インド編、お楽しみに!
*著者の最新情報やイベント情報はこちら→「サラームの家」http://www.chez-salam.com/
*本連載は月2回配信(第1週&第3週火曜)予定です。〈title portrait by SHOICHIRO MORI™〉
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サラーム海上(サラーム うながみ) 1967年生まれ、群馬県高崎市出身。音楽評論家、DJ、講師、料理研究家。明治大学政経学部卒業。中東やインドを定期的に旅し、現地の音楽シーンや周辺カルチャーのフィールドワークをし続けている。著書に『おいしい中東 オリエントグルメ旅』『イスタンブルで朝食を オリエントグルメ旅』『MEYHANE TABLE 家メイハネで中東料理パーティー』『プラネット・インディア インド・エキゾ音楽紀行』『エキゾ音楽超特急 完全版』『21世紀中東音楽ジャーナル』他。Zine『SouQ』発行。WEBサイト「サラームの家」www.chez-salam.com |