風まかせのカヌー旅
#42
マニャガハ島でサタワル・ヒーローのお墓参り
パラオ→ングルー→ウォレアイ→イフルック→エラトー→ラモトレック→サタワル→サイパン→グアム
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文と写真・林和代
船よりマニャガハを望む
サイパンに着いて以来、ハードなスケジュールが続いていた。
この日も、朝10時からの高校生向けの課外授業を終え、地元ファミリーが差し入れてくれた肉まみれのランチを平らげ、ようやくひと息ついたところで、また集合がかかった。
今度はクルー全員がマニャガハ島に連れて行かれるらしい。
議員さん主催なので参加はマストである。そこがきれいな島であることも知っている。
しかし……全然動きたくない。
暑いよー、だるいよー。
私は日本語で愚痴りつつ、灼熱のガラパンビーチをクルーと共にだらだらと船着場へ向かった。
マニャガハ島。
それは、サイパンの沖合にある小さな無人島で、マリンスポーツのメッカ。
宿泊施設はないが、シャワーや脱衣所、食堂など海の家的な施設はもちろん、バナナボートや パラセイリングなど、おなじみのマリンアクティビティの施設が揃う。
海がきれいなのでシュノーケリングの評判も上々。
サイパンの船着場からボートで約15分で渡れるお手軽さもあって人気の観光地だ。
マニャガハ島の船着場。
乗船前はぐったりしていた私だが、島に着くや、その美しさに一気にご機嫌モード。
白い砂の上をゆらゆらとたゆたう、透明度抜群の海をぼんやり眺めつつ、南国の森の小道をのんびりお散歩していると、不意に大きな木が現れた。
ぐにゃぐにゃと曲がりくねった木の幹と、怪しげに垂れ下がるいくつもの長い蔓。
バニヤンツリーだ。(和名:ベンガル菩提樹)
仏教的には輪廻を象徴する木だそうだが、見た目の印象では、精霊とか妖怪とか、そんなようなものがどっさり住み着いていそうな、怪しげで存在感抜群の木である。
現地では「タオタオモナ」と呼ばれる妖精さんが住んでおられると聞く。
そんな濃厚な気配の木の真ん前に、ちと古めかしいが、カラフルな銅像が立っていた。
その人物こそサタワルの偉人、アグルップ大酋長なのである。
1815年のこと。
カロリン諸島を大きな台風が襲った。
平坦なサンゴ礁の島々は壊滅的なダメージを受けた。
ヤシの木、パンの木がことごとく倒れ、タロイモ畑である湿地にも大量の水が入り込んだ。
酋長たちは、このまま島の暮らしを維持するのは無理と判断、民族大移住を決断した。
そして選ばれたのが、サタワルの大酋長であり、優秀なナビゲーターでもあったアグルップ。
彼はカヌー10隻を超える大船団を組み、一路サイパンを目指した。
当時、グアム、サイパンはスペインの統治下にあった。
スペイン人は、統治をしやすくするため、サイパンにもともと住んでいたチャモロ族をすべてグアムに移住させていた。
そのためサイパンは、空っぽだった。
船団を率いるアグルップ大酋長がスペインの総督に理由を話し、移住を願い出ると、許可された。
こうして、無人のサイパンに移住したカロリニアンは、アグルップ大酋長を中心に生活を一から築いていった。
ちなみに、「サイパン」とはカロリン語で「空っぽの島」という意味だそうである。
やがてスペイン統治が終わると、本来の住民であるチャモロもグアムから戻った。
そうなると、人口比率はチャモロが9割。カロリニアンは少数派となった。
互いに違う言葉を話す、別の民族同士。しかもそんな成り行きのため、急に仲良く、というわけにはいかなかった。
心理的には長い冷戦が続いたが、21世紀に入る頃にはようやく関係が改善、今ではチャモロとカロリニアンのカップルも多く誕生するようになった。
そんな歴史によってサタワル人の子孫が多く暮らすサイパンは、サタワル人にとって第二の故郷のような存在なのである。
で、そのアグルップ大酋長が最初に上陸したのがこのマニャガハ島とされており、彼の偉業をたたえる銅像とお墓も、ここにあるのだ。
だからこの島は、サタワル人をはじめとするカロリニアンの聖地でもある。
紹介パネルをディランに読み聞かせる父セサリオ
銅像についてる紹介パネル。説明文の内容は本文で紹介したようなものだが、注目は上のイラスト。大酋長がカヌーから降りて上陸し、スペインの総督(?)に出迎えられる様子が描かれている。南洋の時代劇風。
アグルップ大酋長の後ろ姿。頭にはパンの木の葉らしきものでできた冠、スーと呼ばれる赤いふんどし、手や足には身分が高いもののみが許されたという太平洋の伝統的な刺青、首には鯨の骨で作った首飾り。これが、当時のカロリニアンの一番立派な正装だったとか。そして左手には、スペイン人からもらった滞在許可証と帽子。似合うかな?
そういえば、かつてこんなことがあった。
2009年。サイパンで開催されたのフレームツリー・アートフェスティバルに参加すべくサタワルからカヌー2隻がやってきた時のこと。
開催日の一週間前に到着した彼らは、決してサイパン本土に渡らず、このマニャガハ島に上陸したきり、動かなかった。
訳を尋ねると、本来、カヌーは到着した島の酋長の許可を得て初めて上陸できるもの。サイパンにはもう酋長はいないが、開催日までは上陸してはならない、のだそうである。
マニャガハならいいのかと尋ねると、ここはチーフアグルップの島だから、とのお答えだった。
彼らにとってマニャガハは、ちょっとだけカロリニアンの土地、みたいな意識があるのかもしれない。
とはいえ、20名を超えるサタワル人がカヌーで来ているとなれば、サイパンのカロリニアンは面倒を見ないわけがない。
彼らのために、サイパン各地から毎日ボートで飲み物や食べ物がこのマニャガハに運び込まれた。
彼らに会うためサイパンにやって来ていた私も例に漏れず、毎日通っては食料を差し入れた。
ほんの30分で一周できてしまう小さなマニャガハ島。その片側では水着姿の中国人ファミリーがバナナボートに乗ったり、ハンバーガーを食べながらはしゃいでおり、もう片側ではふんどし姿のサタワル人が酔っ払っている。で、時たま散歩中の中国人が彼らと遭遇してビビる、という奇妙な状況だったことが、今も忘れられない。
そんな思い出をエリーに話して聞かせつつ、しばし銅像を眺めた私たちは、やがてその向かいに立つ、こじんまりとした白い十字架、アグルップ大酋長のお墓にお参りをした。
ミヤーノは、ちょっと高級な、真新しいキアキー(パンダナスのマットレス)をお供えしていた。
彼にとってもアグルップ大酋長は、ヒーローなのであった。
*本連載は月2回(第1&第3週火曜日)配信予定です。次回もお楽しみに!
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林和代(はやし かずよ) 1963年、東京生まれ。ライター。アジアと太平洋の南の島を主なテリトリーとして執筆。この10年は、ミクロネシアの伝統航海カヌーを追いかけている。著書に『1日1000円で遊べる南の島』(双葉社)。 |