旅とメイハネと音楽と
#40
イスラエルのブハラ・ユダヤ料理銘店
文と写真・サラーム海上
安くて美味しい家庭料理が味わえる『ハナン・マルギラン』
2017年9月10日日曜、約10ヶ月ぶりにイスラエルを再訪することになった。今回はエルサレム旧市街の史跡を舞台に毎年8月末から9月中旬まで開催されるフェスティバル「メクデシェット(Mekudeshet)の取材が目的だ。
メクデシェットのプレス・ミーティングは翌日だったが、僕は例によって一日早く入国し、前年と同じくテルアビブ南部のマンションに住む友人夫婦ダン&ヤルデン宅に泊まらせてもらった。
成田を夜に出発し、深夜の香港で乗り換え、自宅を出てからちょうど24時間後の現地時間の朝7時にベン・グリオン空港に到着。入国審査、荷物の受け取り、キャッシング、現地の携帯SIMカード契約まで済ませ、朝8時すぎに空港からタクシーに乗ると、お馴染みの大渋滞が僕を迎えてくれた。こうして彼らの家に着いたのは朝9時すぎだった。
休日ではない日曜の早朝、ベン・グリオン空港からテルアビブへの道
イスラエルの休日は土曜。なのでその日はダンもヤルデンも仕事だった。そこで、ダンが経営する『Cafe San Remo』でコーヒーをいただいた後、午後は一人でテルアビブの中心地に出た。
レヴィンスキー市場の近くにイエメン系のレストランが幾つかあると聞き、訪れるつもりだったが、最初にディゼンゴフセンター内の行きつけのCDショップに行ってしまい、新作CDをたっぷり買ってしまった。今時CDを30枚以上もまとめて買うのは僕のようなケッタイな外国人くらいのものだ。CDショップのオヤジさんもお姉さんもニコニコ顔だ。
9月中旬のテルアビブは東京の夏並に気温が高いが、さすがに湿度は低く、どこまでも歩いて行きたくなる。しかし、買い込んだ荷物が多いので市場に寄らずにいったん、帰宅しよう。
ダン&ヤルデンのマンションのベランダから南にヤッフォ方面を見渡す
日曜午後(休日ではない)バスに乗り、テルアビブ中心部へ向かう
テルアビブ中心部のジューススタンド
午後5時前に帰宅し、シャワーを浴びていると、ヤルデンが飼い犬のアンジーを連れて帰宅した。
「サラーム、一年置かずにまた会えるなんて嬉しいわ。アンジーも喜んでるわよ。でも、私は明日から三週間、ヨーロッパとアメリカに出張に出るのよ。だから今夜会えて良かったわ。あ、私がいなくとも、この家は好きに使ってね。ところで今夜はローカルな料理をガッツリ食べたい?それともファインダイニングみたいな所がいい?」
「どんなローカル料理?」
「ブハラ・ユダヤ人の家庭料理よ!」
「おお、それはいい!」
ブハラ・ユダヤ人とは現在のウズベキスタンやタジキスタン周辺に暮らす、古典ペルシャ語とヘブライ語の混交した言語、ブハラ語を話すユダヤ人。旧約聖書に登場するイスラエルの失われた10支族まで遡るとも、13世紀頃にイランやアフガニスタンから中央アジアを訪れた交易商人の末裔とも言われている。中央アジアにおいて、ユダヤ教に基づいた独自の文化を持ち、近世のブハラ・アミール国時代の最盛期には2万人のブハラ・ユダヤ人が国内に暮らしていた。しかし、ソ連時代を経て、1980年代のペレストロイカと1990年代のソ連崩壊とウズベキスタンの独立により、民族主義が台頭してしまった。そのため、多くのブハラ・ユダヤ人がより良い生活を求めて生まれた土地を離れ、イスラエルやアメリカへ移住し、現在では中心都市ブハラに100人ほどが残っているだけと言う。
僕の友人のミュージシャンにもブハラ・ユダヤ系のイスラエル人がいる。日本でも人気のBoom Pamのウリや、自宅で家庭料理の炊き込みご飯「ポロ」を作ってくれたAleav Family(元Ha Salon)のアダお母さんたちだ。
ブハラ・ユダヤの料理は基本的にウズベキスタンの料理とほぼ同じだが、ユダヤ教の食事規定カシュルート(コシェルート)にのっとって作られる。例えば、ユダヤ教徒は安息日シャバットで、金曜の日没から土曜の午後まで一切の労働が禁止されているため、鍋をストーブの上に置いて放っておくだけの煮込み料理などが目立つ。
さてブハラ・ユダヤ人の料理とは一体何が出てくるのだろう? ダン&ヤルデンは僕と同じく食いしん坊だから、彼らがオススメの店なら美味いに決まっている!
夕暮れ時、帰宅したダンとともにヤルデンが運転する車に乗りこんだ。ヤルデンはキブツ・ガルヨト大通りを東に2kmほど進み、左に入った裏通りに車を停めた。
「見て、バオバブの木が植えられてるのよ。この辺りはアフリカ系の住民が多いから」
イスラエルは世界中のユダヤ教徒が集まって作られた国。移住元は約70カ国と言われている。国を追われ、着の身着のままで移住してきた人もいるが、多くの人々は自分たちが古くから慣れ親しんだ生活環境を新しい土地に持ち込んだ。ここではアフリカの植物だが、一週間後に訪れたエルサレムの公園にはヨーロッパの針葉樹が植林されているのを見た。もちろん大部分が枯れてしまっていたが……。
テルアビブの中心のような高層マンションではなく、低層の古い集合住宅と質素なシナゴーグ(ユダヤ教会)が並ぶ庶民の住宅街を抜け、表通りに戻るとブハラ家庭料理店『ハナン・マルギラン(Hanan Margilan)』があった。店内はベージュ色の壁と安っぽいシャンデリア、正面奥の壁にかけられた大型テレビからはウズベキスタンのテレビ放送が流れている。そこに飾り気の全くない四人がけのテーブルが6つ置かれ、右奥が広い厨房になっている。そして先客は70年代のソ連の写真集から抜け出してきたような色あせた服を着たロシア系やブハラ・ユダヤ系のくたびれたオヤジばかり。
「とにかく内装がヒドいでしょう!」とヤルデン。
「それでも料理が美味しいから僕達は随分前から通っているんだよ」とダン。
僕が知るかぎりこのダサダサな内装センスは、デリーのアフガニスタン人街の食堂や、ラホールのウイグル料理店、テヘランで訪れた中産階級向けファミリーレストランなどと共通する。この男臭い、それでいて運命の女性との出会いなどを夢見て、ゴテゴテのシャンデリアや花柄の壁紙や造花を飾ってしまうような不気味なセンス! 現在、スタートアップカントリーとしてイケイケの国、イスラエルにもこんなダサい店があったとは全く知らなかった。あ、英語での小声の会話はお店の人たちには全く通じていないので安心して下さいww。
テルアビブ南東部の庶民の住宅街で駐車
ハナン・マルギランの店頭から全く飾り気のない店内が見える
メニューはロシア語、ヘブライ語の順番で書かれていたが、女将さんが僕のために英語で書かれたメニューも持ってきてくれた。それを見ると、サモサが10シェケル(約300円)、アラビアン・サラダは17シェケル(520円)、メインディッシュも22~35シェケル(670~1070円)と外食が高いイスラエルにおいて全てが超安い!
ロシア語とヘブライ語で書かれたメニュー。今ではGoogle Translateのカメラを使えば日本語に翻訳出来ちゃうから、これでも問題ないんだよねえ
「安いだろう? でも何を頼んでも本当に美味いんだよ。料理のセレクトは僕に任せておいて」
ダンが女将さんにヘブライ語で何やら注文すると、数分もしないうちに広いテーブルが料理で埋め尽くされた。
まずはおなじみのアラビアン・サラダ。中東諸国ではおなじみのトマト、キュウリ、玉ねぎを刻んだだけのサラダだが、このお店は香菜が散らしてあるのが特徴だ。
アラビアン・サラダ。香菜が散らしてあるのが特徴
続いて野菜のピクルス。中東では砂糖を使わず、酢と塩だけで漬け込む。トマトやナスは切らずに丸ごと漬け込んでいるのが豪快だ! 丸茄子のピクルスはアラビア語ではマクドゥースと呼ばれる。レバノンでは軽く茹でた丸茄子に赤唐辛子と胡桃を挟み、塩漬けにしてから、後にオリーブオイルに漬け込むが、この店では丸茄子に刻んだ人参と塩漬け葡萄の葉を挟み、塩と酢だけで漬け込んでいた。
ピクルスの盛り合わせ。真ん中の黄色いのがトマト丸ごと!
中東らしい前菜がもう一品。焼き茄子のタヒーニソースだ。ペースト状にして混ぜ合わせたものはムタッバルまたはババガヌージュと呼ばれるが、イスラエルでは焼き茄子とタヒーニソースをあえて混ぜ合わさないで別々に盛り付けるのをよく見かける。
イスラエルらしい料理と言えば焼き茄子とタヒーニソースを盛り合わせたババガヌージュ
次々と料理が届く。ダンもヤルデンも嬉しそう!
ここまではイスラエルならどこでも見かける料理だが、ここから先、ブハラ・ユダヤ人の家庭料理が続いた。
まず小麦粉生地料理が三種類。メニューに書かれた順番どおりに記すなら「マンティ」から! マンティと言えば、読者にはおなじみトルコの小さな水餃子マントゥと同系統の餃子/焼売/小籠包系の料理だと想像出来るはず。ブハラ・ユダヤ料理のマンティは日本の餃子そっくりの形で大きさは二倍くらい。違いは油を敷いたフライパンで焼くのではなく、蒸してあること。中の具は羊の挽肉とみじん切りの玉ねぎで、手打ちならではの厚めの皮と羊の肉汁の相性が最高だ。こちらは1個7シェケル(210円)だ。
これがブハラ・ユダヤ料理のマンティ。ほぼ餃子じゃん! サラームのマントゥ調査はまだまだ続く……
続いては「サモサ」という名前のミートパイ。マンティと同じ具をパイ生地で四角く座布団状に包み、上にごまを散らし、オーブンで焼いてある。こちらは豆板醤そっくりの唐辛子のソースをつけていただく。
こちらはパイ生地でオーブン焼きのサモサ
三つ目は大型の揚げ餃子「シェブレキ」。この名前はトルコの揚げ餃子「チー・ボレッキ」が訛ったものだろう。これも具材は先の2つと同じだが、長方形の形と食感はどこかマクドナルドのベーコンポテトパイを思い出した。ロシアのピロシキのバリエーションとも言えそうだ。
そしてこちらは揚げ餃子のシェブレキ。マクドナルドのベーコンポテトパイを思い出す
どれも大きくてどっしりお腹にたまるが、それぞれに食感が異なり美味い! 一体誰が料理を作っているのだろう? 隙間から厨房を覗くと、女将さんによく似た顔のお婆ちゃんが厨房の壁にもかけられた別の大型テレビで、ロシアかウズベキスタンの放送を見ながら、手だけはマンティの生地を詰める作業をしていた。
「このお店は家族経営で、今の女将さんは三代目みたいだよ」とダン。
前菜類で既にお腹は埋まりつつあったが、まだまだブハラ・ユダヤ料理が知りたい! 続いてはウズベキスタンやタジキスタン、ウイグルなど、広く中央アジア一帯で愛されている炊き込みご飯「ポロ」が運ばれてきた。僕は2014年にはミュージシャンのアダお母さんに鶏肉のポロの作り方を習ったが、今回は牛肉とラム肉のポロだ。鶏肉のポロ同様に、たっぷりの人参を使い、オレンジ色に仕上げるのがキモらしい。ラムと牛肉の肉汁が人参の甘さ、そして隠し味のクミンシード、たっぷりの油と混じり合い、甘くてあとを引くような美味さだ。
牛肉とラム肉と人参のポロ。人参の甘さがくせになる!
ポロと同時に運ばれてきたのはメニューには載っていない家庭料理を特別に出してもらった。決まった名前はないけれど、強いて言えばロシア語でロールキャベツを意味する「ガルプツィ」と呼んでいるとのこと。赤パプリカやトマトとともにロールキャベツを長い時間をかけて煮込んでいるが、キャベツと中の挽肉は柔らかく、赤パプリカやトマトは皮だけが残っている。ちょうど安息日シャバットの翌日だ。これがシャバットのための煮込み料理だったのだろう。
時間をかけてコトコトと煮込んだ濃い味のロールキャベツ
少し遅れて運ばれてきたのは串焼きの盛り合わせ。左から牛のレバー、ラムの脂、ラムのシシケバブ、そして挽き肉を練ったケバブの四本だ。中央アジアは遊牧民文化。串焼き料理が不味いわけない! しかし、いくらなんでもお腹いっぱいだぁ~! これだけ頼むと、さすがに店の女将さんも呆れ顔をしてるし~。
串焼き四本盛り合わせ。中央アジア系の串焼き肉はどこで食べても最高だ!
もう打ち止めだ!と思っていたらブハラ・ユダヤ料理のダメ押しだ。最後の一品は「デュシュペラ」というワンタンスープ。ラム挽肉入りのワンタンにラム出汁の澄んだスープ、味付けは醤油! そして、上にたっぷりの香菜。これぞ中央アジア、ブハラ・ユダヤ料理ならではの西と東の出会いだ! これは美味い! 美味すぎる! 日本人なら醤油の味で完全にトリップしてしまい、満腹でも食べるのを止めることは出来ない! ダンもヤルデンも日本料理通だけに僕の食べたいものがわかってるなあ。
「テルアビブのベストフード」に選ばれたデュシュペラ。要はワンタンスープだ
「いや実は最近になって有名な料理研究家がこのデュシュペラを『テルアビブのベストフード』に選んだんだ。すると、このクールじゃないお店にスノッブなお客が開店前から並んでしまい、列が出来るというおかしな現象が起きているんだよ。以前からの常連が入れないくらいにね(笑)」とダン。
それでもこれだけ美味いなら、料理研究家もスノッブなお客も本当に美味いものがわかってるということだよ。いやはや、腹はちきれんばかりにブハラ・ユダヤ料理食べて、食後は消化のためにジャスミン茶を急須でいただくことにした。これも日本人にはうれしいなあ……。
さすがのダンも食べるペースが落ちてきた!
食後のジャスミン茶。茶器も中国の影響強し
会計を頼むと三人で145シェケル(4430円)。一人あたり1500円もしないのでビックリ! ビール一杯が1000円、ドネルケバブのサンドイッチも1000円近くするテルアビブで信じられない安さだ!
「そうでしょう。だから来る度に本当にこの値段でいいの?と申し訳なくなっちゃうのよ」とヤルデン。
ブハラ・ユダヤ料理の銘店「ハナン・マルギラン」。B級グルメと呼ぶのも良いが、それにしてはちょっと美味すぎる!
帰宅すると愛犬のアンジーがソファとクッションに顔を挟んだまま寝ていた
*イスラエル編、次回に続きます!
*著者の最新情報やイベント情報はこちら→「サラームの家」http://www.chez-salam.com/
*本連載は月2回配信(第1週&第3週火曜)予定です。次回もお楽しみに! 〈title portrait by SHOICHIRO MORI™〉
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サラーム海上(サラーム うながみ) 1967年生まれ、群馬県高崎市出身。音楽評論家、DJ、講師、料理研究家。明治大学政経学部卒業。中東やインドを定期的に旅し、現地の音楽シーンや周辺カルチャーのフィールドワークをし続けている。著書に『おいしい中東 オリエントグルメ旅』『イスタンブルで朝食を オリエントグルメ旅』『MEYHANE TABLE 家メイハネで中東料理パーティー』『プラネット・インディア インド・エキゾ音楽紀行』『エキゾ音楽超特急 完全版』『21世紀中東音楽ジャーナル』他。Zine『SouQ』発行。WEBサイト「サラームの家」www.chez-salam.com |