越えて国境、迷ってアジア
#34
タイ・シーチェンマイ~ラオス・ビエンチャン
文と写真・室橋裕和
メコン河を挟んだふたつの街、シーチェンマイとビエンチャン。この20年でかたや急速な成長を遂げたが、かたや昔のままの姿を保ち続けている。ラオスからタイへ、メコン河国境を越えて、両岸の街を訪ねてみた。
そこはアジアでいちばん静かな首都
「どう見ても、向こうのほうが明るいよなあ……」
メコン河を挟んだ対岸は、タイのシーチェンマイという田舎町だ。暗闇の中にところどころネオンが点り、高さはないがビルや家屋を浮かび上がらせている。この夜更けにも、きっといろいろな店が開いていて、人々は買い物をしたり食事をしたり、あるいはメコン河越しにこちらを眺めているのかもしれない。小さい町ではあるけれど、それなりの活気を、対岸からは感じた。
「それに引きかえ……」
僕は背後を振り返ってみる。暗黒だった。まだ夜8時なんである。しかし街は暗く静まり返り、屋台ひとつない。ときたまトゥクトゥクがさみしく走り去っていく。まるでゴーストタウンだ。ここは僻地の村ではない。いちおう、一国の首都なのである。
「アジアでいちばん静かな首都」
その当時、ラオス・ビエンチャンは、そう呼ばれていた。20年ほど前のことである。
初めて訪れた当初、
「ここは本当に首都なんだろうか?」
本気でそんな疑問を持った。街には舗装路も信号もない。ほとんど車は走っていない。低層の家や商店が並んではいるが人気はなく、シーンとしていた。首都なのだから、例えば外務省とか首相官邸とか、その手の建物のひとつやふたつ……と探してみても、ヤシや火炎樹が優雅に茂る街路には、小さな民家が続くばかり。
食事をしようにも、小さな食堂や屋台が集まる一角があるだけだった。そこも夜7時を過ぎると店は次々に閉まり、もう食べるところはなくなってしまう。水も買えない。
あぜんとしてメコン河の河川敷に出てきて、対岸のタイを見やったとき「あっちには人がいっぱいいる……」と目を見張ったのだ。タイの単なる地方都市にすぎないシーチェンマイよりも、ビエンチャンはずっと、小さかった。
ビエンチャンでいちばんでっかいランドマーク、パトゥーサイ。公園として整備されたのは近年のこと
ビエンチャンからメコン河とタイ側を望む。乾期なので水量は少なめ
時代は流れ、メコンの両岸は逆転した
それから20年。
インドシナ半島で、とくに劇的に変貌した街は、カンボジアのシェムリアップと、ここビエンチャンだろうと思う。
シェムリアップはアンコールワット観光の拠点の街として、治安の回復とともに栄え、ほとんど原型をとどめないまでに開発された。
ビエンチャンもラオスの開放政策と経済発展に伴って、どんどん姿を変えていった。いまでは大型のショッピングモールがいくつかできて夜遅くまで賑わうようになった。野良犬しかいなかった土煙の道が、日本車で渋滞するようになったのだから驚く。あの静かだが清廉としていたビエンチャンのいまの問題のひとつは、排気ガスだ。
ただの野っぱらに過ぎなかったメコン河沿いの河川敷は、整地されて屋台がずらりと並ぶナイトマーケットになった。そこから眺めるシーチェンマイの灯は……メコン河に消え入りそうなくらい、わずかばかりなのだった。
20年前は、あのささやかなネオンですら、なんだか頼もしく思えたものだ。あの時代からシーチェンマイは、たぶんなにも変わっていない。大きく変わったのは手前のビエンチャンなのだ。ビエンチャンがきらめくネオンに包まれるようになったいま、シーチェンマイがやけに小さく見えるようになってしまったのだ。
では、向こうからはどう見えるんだろう。ふいに興味がわいてきた。20年間、ビエンチャンから見続けていた街に、行ってみることにした。
ビエンチャンにて、メコン河沿いのナイトマーケットを散策していたOLさん
国境のメコン河を越えて、ぐるりとまわって対岸の街へ
その昔、ビエンチャンとシーチェンマイの間には、ラオス人とタイ人だけが乗れる渡し舟が出ていたように思うのだ。しかしいまやそんなボートは陰もなく、のっぺりとした大河が両国を分かつ。国境越えは、ビエンチャンから東に18キロほど離れた、タイ=ラオス第1友好橋を通ることになっている。
トゥクトゥクをつかまえて、メコン河を南に見ながら走っていく。国際会議に使われた巨大な迎賓館やら、ラオス初の高層ホテルもまた、新しい時代の象徴だ。タイや中国が開発する経済特区を通り、ビアラオの醸造所を過ぎ、友好橋に差しかかる。
トゥクトゥクはここまでだ。ラオスを出国して、橋を越えるバスに乗り、10分足らずのドライブでメコン河を越えると、そこはタイだ。頭上の積乱雲も、道端で売っている焼き鳥にも変わりはないが、右車線は左車線になった。
近くのバスターミナルでシーチェンマイ行きを探してみる。ひときわおんぼろでエアコンもないバスが、ルーイに行く途中でシーチェンマイに寄るという。
1時間ののち、ガタピシ音を伴って発車したバスは、極めつけのローカル路線だった。数百メートル走っては道端で手を上げているおばあちゃんのために停まり、また数十メートル走っては買い物袋を抱えたおじさんを自宅の前で降ろす。学校があればひとつひとつ停車して、子供たちを乗せ、また降ろして。そうして少しずつゆっくりゆっくりと、今度はメコン河を北に眺めながら走っていく。
これなら泳いだほうが早かったかもしれない……そんなことを考えて、まどろんでいると、シーチェンマイに到着した。
タイ=ラオス第1友好橋は、両国を結ぶ最大のインフラとなっている
マンゴーやヤシの木がある、広々とした、そして古びた木造の一軒家が並んでいた。お寺や雑貨屋、年代もののゲストハウスも建っているが、歩く人は少ない。アイス売りの自転車が往き過ぎる。
「昔のビエンチャンみたいだ……」
昼下がりのシーチェンマイは、静寂に包まれていた。目の前を流れるメコン河の、ゆるやかな胎動のような音だけが低く届く。
その向こう側には、今朝方までいたビエンチャンがよく見えた。まだまだ小さな、高い建物も数えるほどの街だけど、それでも十分にこちら側を圧するほどに広がっている。きっと20年の間に、生きもののように成長したのだろう。
夜になると、河沿いの遊歩道にはいくつか屋台が出る。国境の河とラオスとを眺めながら、一杯飲むことができる。
20年前、あのあたりの暗黒の中には、途方に暮れる僕がいた。しかしいま、ビエンチャン側にはたくさんのネオンが瞬き、河の流れに反射して、なかなか幻想的だ。クラブからだろう、なにやら騒々しい音楽も、国境を越えて届いてくる。
「変わったなあ……」
ビエンチャンはまだまだ小さいが、それでもずいぶんと賑やかになったことが、河のこちら側からでもよく見てとれた。一方でシーチェンマイは、経済的にはむしろラオスを圧倒しているタイにありながら、メコンの風情をたっぷりと残している。
インドシナでも、変わっていくもの、残るもの。そんなことを考えながら飲む氷入りのビールは、ことさらに旨かった。
メコン河に沿って古い家並が続くシーチェンマイ。静かな日々を過ごすにはおすすめの町だ
メコン国境酒場。ビエンチャンの灯を見ながら、タイ料理とビールを心ゆくまで
*好評発売中!
発行:双葉社 定価:本体1600円+税
*国境の場所は、こちらの地図をご参照ください。→「越えて国境、迷ってアジア」
*本連載は月2回(第2週&第4週水曜日)配信予定です。次回もお楽しみに!
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室橋裕和(むろはし ひろかず) 週刊誌記者を経てタイ・バンコクに10年在住。現地発の日本語雑誌『Gダイアリー』『アジアの雑誌』デスクを担当、アジア諸国を取材する日々を過ごす。現在は拠点を東京に戻し、アジア専門のライター・編集者として活動中。改訂を重ねて刊行を続けている究極の個人旅行ガイド『バックパッカーズ読本』にはシリーズ第一弾から参加。 |