風まかせのカヌー旅
#30
サタワルの山田一家
パラオ→ングルー→ウォレアイ→イフルック→エラトー→ラモトレック→サタワル→サイパン→グアム
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文と写真・林和代
「カッツ!! イット!(おいで)」
サタワルのメインストリートで呼び止められて振り返ると、共同かまどの片隅に座って花冠を編んでいるおばちゃんが、一重の目を三日月みたいに細めて微笑んでいた。
懐かしいその笑顔に思わず駆け寄ってハグをしながら私は思った。えーっと、どっちだっけ?
彼女には妹がいる。二人の名前はニマイソウとニソウマイ。顔の区別はつくのだが、名前がどっちだか、いつもわからなくなる。
彼女は私の手を握りしめたまま、満面の笑みをたたえつつ、サタワル語でゆっくり話しかけて来た。
「モゴ ウィル(バナナ食べなさい)」
「ワーエリケリク イヤーマット(ありがとう。お腹いっぱいです)」
「オポ ナ イア?(どこ行くの?)」
「レマノン(レマノン村です)」
私は彼女の足元にしゃがみ込んで、英語を解さぬ彼女とサタワルの基本的な挨拶をひと通りこなした。
彼女とは、私が初めてサタワルに来た時から顔見知りだった。
とても働き者で、いつ見てもラバラバを織ったり、パンダナスのマットレスを編んだり、腰蓑を作ったり、必ず何か手仕事をしていた記憶がある。
作りかけていた花冠を手早く完成させた彼女は、私の頭にポンと乗せた。
5本の糸が複雑に入り組んだ、最も高度な技を要する、とても美しい花冠だ
続いて彼女は、娘さんに家の中から何かをとって来させると、それも私に差し出した。
それは、きれいに折りたたまれたラバラバだった。
新品。しかも、見たことがない、複雑な模様が入った、いかにも上等な品だった。
ラバラバにはクラン(氏族)ごとに固有の伝統的なデザインがあると聞いたことがある。
これもそうかもしれない。
「イギリガッチ!(すっごくステキ!) ワーキニ エリケリク!(ほんとにありがとう!)」
私がそう言って彼女にまた抱きつくと、彼女は歌うような抑揚で言った。
「マーウェル カッツ」
これは、私の可愛いお嬢さん、と言ったような意味合いの言葉で、再会や別れの場面などで年配の女性が目下の者への愛情を表現するときによく耳にする。
私は歌みたいなこのフレーズが大好きで、言われると胸がきゅうっとなる。
私がこれまで彼女にしてあげたことといえば、写真をプリントしてあげたぐらい。あとは何もないのになぜこうも温かく迎えてくれるのか、わからないけどとても嬉しい。
いただいたラバラバ。
右端が、ラバラバをくれたニマイソウ&ニソウマイ姉妹の姉。ちなみに他の2名の女性のような顔立ちが、基本的なサタワル顔である。
そんなにも優しくしてくれる彼女の名前が未だに判然としないのは、我ながら考えものだと思う。
しかし、彼女の顔と「所属」は初めて出会った時、一発で覚えた。
なぜなら彼女は「山田一家」だから。
2006年、私が初めてサタワルに行く直前、ヤップで船を待つ間に出会ったサタワル青年がいた。
ひいじいちゃんが山田という日本人なんだと語った彼の名はコナン。私が遭遇した山田一家第一号だ。
彼の目は、他のサタワル人と違って日本や中国を思わせる、細くてシャープな印象だった。
出会った頃のコナン。ロン毛で鼻と耳にピアス。刺青だらけの、やんちゃ君だった。
その数日後、サタワルに向かう途中、船がラモトレックに立ち寄った時に数時間上陸すると、一目でコナンと同じ系統、すなわち山田一家だとわかる顔つきの男性2名に出会った。
そのうちの一人が案内してくれたのは、お墓。漢字で「山田音次郎之墓」と書かれていた。
第二次大戦が終わるまで、ミクロネシアは日本が統治していた。コプラ(ヤシの実の白い脂部分)を扱う日本人商人が離島にも出入りしていたという。そんな中の一人、山田音二郎さんはラモトレックの女性と結婚して住み着き、たくさんの子をもうけ、ラモトレックで亡くなったそうだ。
[Photo by Osamu Kousuge]
ラモトレックにある山田音二郎さんのお墓。離島に石はないので、この墓石はきっとどこかから運んできたのだろう。今も山田一家がきれいにお掃除してきちんと管理している。
その翌日、サタワルに着くと、今度は同じ顔の女性たちに出会った。
それがニマイソウとニソウマイの姉妹だった。
別々に出会ったが、それでもはっきりと山田家の血が顔に表れていたのですぐに覚えた。
その直後、最初に出会った青年コナンとほぼ同じ顔の青年を発見。
彼はコナンの兄、センティーノだった。
のちにその兄弟が、ニソウマイ&ニマイソウ姉妹の妹の方の息子たちだと知り、激しく納得。
その時、真剣に彼女たちの名を覚えようとしなかったのは、「山田姉妹」とインプットしてしまったから、というのが、私のささやかな言い訳である。
ニマイソウ&ニソウマイ姉妹の妹。おちゃめキャラ。
山田一家は私のお気に入りであるが、実際、彼らと長く時間を過ごしたことはあまりない。
ただ一つだけ、特別な思い出がある。
2011年。私がマイスでサタワルにやって来た時、島のママ、ネウィーマンは病で伏せっていて、たくさんの女性たちが毎晩彼女の家に集まり、朝まで共に過ごしたことは第28話で書いた。
そんなある晩のこと。深夜12時を回った頃だったと思う。
裏の戸口に座っていたニマイソウ、ニソウマイ姉妹の妹の方(以下、妹と記す)が私を手招きした。
混み合う女性たちの間をすり抜けて隣に座ると、彼女はしわがれた声でこう囁いた。
「オポ ユン スバ?(タバコ、吸う?)」
彼女はにっこり笑って自分のバスケットから近くの無人島で取れたタバコの葉を取り出すと、英字新聞を四角く切り取って、器用にタバコを巻いてくれた。
そして、二人して外に向かって座り直し、タバコを吸った。
家の中にはソーラーパネルで蓄電した微かな明かりがあったが、外は真っ暗、そして静かだった。
香りの良い天然タバコを満喫していると、反対側の戸口に誰かが小走りでやってくる足音が聞こえた。
家中の皆が耳を澄ます。
その誰かは、小さな、しかし、緊迫した声で戸口付近にいた誰かに何かを告げた。
途端に家中がざわついた。
言葉は何も理解できなかったが、何かよくないことが起こったような気がした。
と、私の隣にいた妹はタバコを消すと、ゆっくりと立ち上がっただ。
私がメタ?(何?)と問いかけると彼女は、それはもうにっこり微笑んで、エソール(何でもないわ)と言うと、静かに家を出て行った。
しばらくざわつきは収まらなかった。
私が英語を喋るおばさんににじり寄り、何があったのか尋ねると、彼女はこう言った。
「彼女の息子がナイフで刺されたみたい」
「え!? 息子って……コナン?」
「いえ、兄のセンティーノ。ドリンキングサークルで飲んでて、悪酔いした男にやられたみたい。昨日入った船で来た男、長年島に帰ってこなかったのに」
「で、大丈夫なの?」
「さあ。今、カリストゥス(医者)が島にいないからマージー(女性保健師)が手当てしてるって」
やんちゃなコナンと比べると、ちょっと品があって繊細な印象のセンティーノ。長く喋ったことはないけれど、いつも優しく微笑んでくれる。その笑顔が脳裏に浮かんだ時、これまでサタワルで感じたことのない、ザラついた何かで皮膚を撫でられたような、嫌な感じがした。
翌朝、診療所に行くと、そのテラス的な部分、屋根付きでコンクリート敷だが壁はない場所に彼はいた。椅子に腰掛け、点滴に繋がれたセンティーノは、お腹を包帯でぐるぐるに巻かれていた。
彼の母である妹はもちろん、家族の女性5、6人が付き添って、ゴザを敷いて座り込んでいる。周囲には食べ物、ココナツなど、たくさんの荷物。
サタワル流の入院なんだと思う。ほぼ外だけど。
「まだちょっと痛いけど、大丈夫だよ。心配しないで」
具合を尋ねた私に英語でそう答えたセンティーノの笑顔は、いつも通り優しくて、昨夜私に、何でもないわ、と言って微笑んだ彼の母の笑顔とそっくりだった。
[Photo by Osamu Kousuge]
写真左の青年がセンティーノ。
実は今回のマイスの旅でラモトレックに立ち寄った時、センティーノとコナン兄弟に出くわした。
何でもセンティーノは昨年、ラモトレックの女性と結婚して婿入り、コナンも一緒にくっついて移住したのだそうだ。
あの夜のことは何も話さなかったが、彼はすこぶる元気そうだった。
そして彼は別れ際、こう言った。
「俺もラモトレックのカヌーでフェストパックに行くんだ。だから、カッツ、グアムでまた会おう!」
その笑顔もまた、姉妹にそっくりの「山田スマイル」だった。
聞くところによると、酔っ払いによる喧嘩はよくあるが、サタワルで殺人事件は何十年も起こっていないという。
少なくとも私が見聞きしたのは、素手やココナツ、懐中電灯などその辺にあるもので誰かを殴った、程度の話である。ただし、島に警察はなく、公的な記録があるわけでもないので、定かではない。
第一次大戦後、国際連盟によってグアムを除くミクロネシア一帯は日本の統治下になり、パラオのコロールに南洋庁が置かれた。
日本人向けの学校とは別に、島民用の公学校が置かれ、日本語教育も行われた。
多くの日本人がパラオやサイパンに住み着いたが、サタワルなど離島にはコプラを集める商人が出入りする程度だったと言われている。
そんなある一時期、とある日本人男性のコプラ商人がサタワル島に住み着いた。
その男は「とても悪いやつ」で、島民に対しかなりの横暴を働いたため、島民によって殺害された、という。
それが「何十年も前」に起こった殺人事件だと聞いている。
ちなみに、その「最後の殺人事件」は、当時サタワルに7年間も住み着いていた日本人の彫刻家で民俗学者でもある土方久功(ひじかた・ひさかつ)によって報告(通報?)されたとされている。
*本連載は月2回(第1&第3週火曜日)配信予定です。次回もお楽しみに!
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林和代(はやし かずよ) 1963年、東京生まれ。ライター。アジアと太平洋の南の島を主なテリトリーとして執筆。この10年は、ミクロネシアの伝統航海カヌーを追いかけている。著書に『1日1000円で遊べる南の島』(双葉社)。 |