アジアは今日も薄曇り
#23
沖縄の離島、路線バスの旅〈13〉与那国島(2)
文と写真・下川裕治
与那国島と台湾
与那国島から台湾が見える。それは年に数回ある程度だった。つまりほとんど見えないわけだ。しかし見えたときの台湾は大きい。まるで大陸のようだった。
与那国島から見える台湾の写真は与那国町役場の応接室に掲げてあった。その写真を撮っていると、担当者は、
「データも貸し出しできますよ」
といった。考えてみれば、当然のことだった。メールで受けとれば、与那国町役場に足を運ぶ必要もなかった。とすると、往復フェリーを使うことができる。運賃が片道1万円強という飛行機に乗る必要もなかった。
データをパソコンにとり込んでいると、役場の担当者が説明してくれる。
「この写真は久部良の丘の上から撮ったんです。台風がくる直前、台湾が見えることが多いんです。風の影響でしょうか。ただ翌日から島に閉じ込められますけど」
自分の目で台湾を見ようと思ったら、与那国島に3日は滞在しなくてはいけないかもしれない。沖縄は離島に限らず、台風に見舞われると、フェリーや飛行機は完全に停まってしまう。台風が去るまでの2日間ほど、完全な孤島になってしまうのだ。風が強いと家から出ることもできない。それを覚悟しないと、台湾を見ることができないということか。
はじめて与那国島から見える台湾を写真で見たときからひとつの疑問があった。
「台湾から与那国島はどう見えるのだろうか」
台湾に行ったとき、訪ねてみた。与那国島からいちばん近い台湾の街は、東海岸の蘇澳(スーアオ)だ。直線距離にして110キロほどだ。台北からもそう遠くない。
蘇澳には漁船がびっしりと停泊している港があった。しかし船員や近くで働いているのは、フィリピン人やインドネシア人ばかりだった。しかたなく近くの丘にのぼった。おそらくこの方向……と海に目を凝らした。なにも見えない。同行していたカメラマンに望遠レンズでのぞいてもらった。なにも見えなかった。
しかたなく港に戻った。船主らしい台湾人がいた。台湾在住の知人に通訳を頼んで、与那国島について訊いてみた。
「すぐだよ。この船で5時間ぐらいかな。見える? ここからじゃ見えない。見えたっていう話も聞いたことがない」
そういうものなのだろうか。
大きな島から小さな島は見えない……。
蘇澳の港で考え込んでしまった。
台湾の蘇澳。台北から海鮮料理を食べにくる人が多い
台湾の写真を撮った久部良に向かった。その日の天気では、台湾は難しそうだった。午後になって雲が多くなってきた。
与那国町役場からタクシーに乗った。この旅は路線バスが筋なのだが、すでに全路線を乗り終えていた。次のバスに乗るには、2時間以上待たなくてはならなかった。乗ったのは最西端観光という会社のタクシーだった。与那国町役場の周辺に道にあるマンホールのふたにも最西端という刻印。与那国島には最西端という文字がそこかしこでみつかる。
久部良は与那国島のなかの西端である。そこにある「日本最後の夕日が見える丘」にのぼって、台湾の方向を眺めてみることにした。
そこから久部良港がよく見えた。
いまはひっそりとした集落だが、太平洋戦争が終わってから6年ほどの間、この久部良がにぎわったことがあった。戦前は5000人にも満たなかった与那国島の人口は1万5000人とも2万人ともいわれる数に膨れあがったといわれる。増えた人口の大半は、この久部良に集まっていた。戦場になった沖縄本島は悲惨な状況だった。日本本土も疲弊していた。街には復員兵があふれ、闇市が人々の生活を支える時代である。その時期に、この久部良は空前の好景気に包まれていた。地元では、この時代をケーキ時代という。
当時の久部良には、発電所が3つもあった。夜も昼間のように明るかったという。戦後、沖縄本島で送電が開始されるのが1949年である。それも那覇や糸満だけで、1日5時間の制限送電だったという。久部良のケーキ時代は1946年から51年あたりまでだ。沖縄本島よりはるかに豊かだった。久部良は「第二の香港」、「東洋のハワイ」とまで呼ばれたという。集落には飲食店がひしめき、芝居小屋や映画館もあった。
敗戦直後、与那国島になぜ、降って湧いたような豊かさに包まれたのだろうか。
理由は密輸だった。
戦争の被害が比較的少なかった台湾から、米や砂糖、薬などが運び込まれた。積み出し港は台湾の蘇澳である。それらはいったん久部良で陸揚げされ、さらに糸満を通って、大阪や神戸に運ばれ、闇市を支えることになる。
この時代はケーキ時代ともいわれるが、ある人は、「沖縄がいちばん荒れていた頃」ともいう。荒れていた? その話は次回に。
日本最後の夕日が見える丘。このあたりから見える夕日は、どれも最後だと思うのですが
台湾が見えるとしたらこの方向。日本で最後に見える夕日をどうぞ
(次回に続きます)
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著者:下川裕治(しもかわ ゆうじ) 1954年、長野県松本市生まれ。ノンフィクション、旅行作家。慶応大学卒業後、新聞社勤務を経て『12万円で世界を歩く』でデビュー。著書に『鈍行列車のアジア旅』『不思議列車がアジアを走る』『一両列車のゆるり旅』『東南アジア全鉄道制覇の旅 タイ・ミャンマー迷走編』『東南アジア全鉄道制覇の旅 インドネシア・マレーシア・ベトナム・カンボジア編』『週末ちょっとディープなタイ旅』『週末ちょっとディープなベトナム旅』『鉄路2万7千キロ 世界の「超」長距離列車を乗りつぶす』など、アジアと旅に関する紀行ノンフィクション多数。『南の島の甲子園 八重山商工の夏』で2006年度ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。WEB連載は、「たそがれ色のオデッセイ」(毎週日曜日に書いてるブログ)、「クリックディープ旅」、「どこへと訊かれて」(人々が通りすぎる世界の空港や駅物)「タビノート」(LCCを軸にした世界の飛行機搭乗記)。 |