風まかせのカヌー旅
#21
伝統的な帆は、風前の灯火なのです
パラオ→ングルー→ウォレアイ→イフルック→エラトー→ラモトレック→サタワル→サイパン→グアム
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文と写真・林和代
パンダナスの木 和名はタコノキ。枝振りや高さがちょうどいいので、色々なものが吊るされがちである。
臨時で立ち寄ったエラトーを一泊でおいとました我々は、翌朝にはあっさりラモトレックに到着した。
ほんの数日前は、3日間、エラトーから一歩も進めなかったのに、風が変わればこんなものである。
水面までせり上がって、外洋からの波を受け止めているサンゴ礁の壁、リーフ。その切れ目である水路を抜けて、穏やかなラグーン(礁湖)に入り、ゆっくり浜辺に近づくと、セサリオが号令をかけた。
「全員座れ!」
……?
普通、カヌーが離島で停止する場面では、男子はロープワークに忙しく、私とエリーは巻きスカートのラバラバを着たり、島で必要な物をかき集めたり、せわしなく動くのが常なのだが。
意味がわからぬまま座り込んで辺りを見回すと、近くにいたミヤーノが、座りながら器用にロープを束ねつつ、教えてくれた。
「ラモトレックでは、上陸許可をもらうまで、敬意を示す意味で、みんな座ってなきゃいけないんだ」
「え、なんで?」
他の島でも、酋長の許可を得てから上陸するのは基本だが、立っていてはいけないなんて、初めてだ。
「前にも言ったろ? ラモトレックがハル(カヌーの船体)、サタワルがアウトリガー(カヌーの浮き)、エラトーがプラットフォーム(アウトリガーの反対側に翼のようにせり出す荷物置き場)なんだって」
おーあれか。確かに聞いたことがある。
これは、3つの島の立ち位置をカヌーのパーツに例えた比喩で、要するにラモトレックが最も重要、すなわち身分が高いことを表している。
3島にはそれぞれ酋長が数人ずついるが、それらすべてを束ねる一番エライ酋長、ハイチーフがラモトレックにいるのだ。(文末の離島情報コラムを参照)
とにかく、ラモトレックはサタワルとエラトーよりも身分が高いから、立ってちゃいけないらしい。
そういうことなら従うけれど、座ったままでラバラバを履くのはなかなか難儀なのであった。
上陸してひと休みしていると、一人の酋長(普通の酋長)がやってきたのでご挨拶。素敵なラバラバですね、とお誉めいただいたが、返事もそこそこに私は、気になっていたことを尋ねてみた。
「今この島で、伝統的なパンダナスの帆を作っていると聞いたのですが、その作業を見学できますか?」
すぐに快諾してくれた酋長が案内してくれたのは、20畳はありそうなコンクリートの平屋。
中では、乾燥させたパンダナスが一面に広げられ、4人の女性がまばらに座り、黙々と編んでいた。
編み物に似た作業だが、道具は使わない。全ては指で行われる。
ひと目ひと目はいたってシンプル。幅1センチほどの紐を十字に、互い違いに交差させていくだけ。
プチッ、プチッ。ひと目を編むたび、爪が擦れて小さい音がする。
以前、サタワルでパンダナス編みを習った時、この音が鳴り始めると、もうできるようになったね、と言われたことを思い出し、なんとも懐かしい気分になった。
それにしてもとても大きい。増し目や減らし目もかなり多いが、どこにも紙に書いた設計図はない。
女性たちの頭の中に、それは全て記憶されているのだろうか。
パンダナスを編む女性たち。
かつて、ミクロネシアのカヌーの帆は、すべてパンダナスだった。
しかし、西洋と接触して以来、それはいち早く帆布に取って代わった。
パンダナスの帆は重い。特に、波や雨で濡れると、水を含んで何倍にも重くなる。
そもそもミクロネシアのカヌーの特徴は、帆を支える棒=ブームを船上でえいやあと持ち上げ、前後を入れ替えられること。このおかげで方向転換がとても楽なのだが、その代わり、帆が装着されたブームはとても重い。それを狭い船上で持ち上げて前後を入れ替えるのは、危険を伴う作業である。
彼らにとって軽い帆は、この上なくありがたいものだったに違いない。
他のパーツは何一つ昔と変わらないけれど、帆だけはあっさり近代的なものにとって変わったのは、きっとそういう切実な事情からだと思われる。
そんなわけで、パンダナスの帆は次第に利用頻度が減り、今日では作られることもなくなっていた。
しかし今回、我々が目指すフェストパック、グアムで行われる太平洋芸術祭に、ラモトレックのカヌーも参加することになり、それに向けて伝統的な帆を作っているということだった。
「ここで作っているのは、帆のパーツ。女性たちがこれを編み終えた後、カヌー小屋に運んで、今度は男性たちがパーツを縫い合わせて帆を完成させるんです。ちょうどこれからやるので、案内しましょう」
そうして出向いたカヌー小屋は、一面にパンダナスの絨毯が敷き詰められ、とても美しかった。
10人ほどの男性たちが周囲に座って見物しているが、作業をしているのは一人だけ。
細いロープを大きな針に通して、丁寧にひと針ずつ縫い合わせていく。
写真上は縫い合わせ作業中の男性。下は縫い合わせ部分のアップ。とても美しい。 写真上/Photo by Osamu Kousuge
小屋の片隅では、一人の男性が座り込んで、ロープそのものを製作中。
ヤシの外皮の細い繊維をバラし、太ももを台にして手のひらでクルクルっと撚る。
これを根気よく、何度もなんども繰り返し、必要な長さ、太さのロープにする。
帆をつなぐのに使うロープは、直径1.5ミリほどの細いものだが、長さは相当必要だと思われる。
縫うのも撚るのもの、根気がいる作業ばかりである。
何もせず座って見ているだけの人々も、実は交代要員なのだろう。
上がヤシの繊維でロープを撚る男性。下が完成したロープ。カヌーで使う様々なロープは全て、こうしてヤシの繊維をよって作る。太いロープが必要な時は、カヌー小屋の天井から細いロープの束を吊るし、ひとまとめにして男性数人で力を合わせて撚る。写真上/Photo by Osamu Kousuge
ふと、座って作業を見つめている男性と目があった。
見たことはない顔だけれど、なんとなくピンときた。
あちらもそんな風だった。
私は彼に近づくと、尋ねた。
「あなたは、アリさんですか?」
「君は、カッツだね?」
私たちは、しかとハグを交わし、喋り始めた。
彼はセサリオの親戚であり、伝説のナビゲーターの息子で、名高い優秀なナビゲーターである。
更には、アリの古い友人で、アリのノンフィクション映画を作ったアメリカ人と私が親しくなったため、私たちは、互いの話をいろいろと聞いていたのだ。
「アリ、あなたもフェストパックに行くんですね?」
「うん。今回ラモトレックからは3隻参加するんだ」
「3隻も!? 」
「他に、サタワルから2隻、プルワトとホークから1隻ずつ。ミクロネシア連邦からは合計7隻行く」
「それは楽しみ。で、今回は、パンダナスの帆でずっと航海するんですか?」
「いや、グアムでのセレモニーの時だけ使ってあとはフェストパックに贈呈する。航海は普通の帆を使うよ」 そこへ、縫っていた男性がアリに何かを質問し、アリが何かを説明した。
どうやら、縫い合わせる設計図はアリの頭の中にあり、彼の指導のもとで縫っているらしい。
「あなたはご存知なんですね? パンダナスの帆の作り方を」
「縫い合わせ方は大体ね。でも、今回は危なかったんだ。パンダナスの帆のパーツは女性たちが編むんだが、その作り方を知ってる女性が一人しか残ってなかったんだ。その老女に3ヶ月ぐらい前から女性たちが習い始めて、なんとか皆ができるようになった先週、その老女は亡くなった。ギリギリだったよ」
一人の老人の死とともに、大事な知識も消えて行く。これが離島の現状である。
私が、作業の邪魔になるのでおいとますると伝えると、アリはグアムでゆっくり話そうと言ってくれた。
彼には聞きたいことが山ほどある。実は彼、有名な魔法使いの一族でもあるのだ。
きっとものすごいことを知っているに違いない。グアムに着いたら是非とも詳しいお話を伺わねば。
こうして私の野望がまた一つ膨らんだのであった。
左が我がキャプテン、セサリオ。右がアリ。アリは、セサリオの父親であり航海術の先生でもあったマウと共に少年時代を過ごし、共にアリの父上から航海術を習った。マウ亡き今、セサリオにとってアリは父親にも似た、頼りになる存在なのである。
ラモトレックとエラトー、サタワルは距離的にも言語的にも近い。
現在の行政区分的には特にないが、伝統的にこの3島は一つの地域として括られている。
その地域の代表がハイチーフ。
どの島にも酋長がいて様々なことを決定するが、ハイチーフが異を唱えれば、すべてがツルの一声でひっくり返る。それほど強い権力を持っている。
他の酋長と同様に、その地位は特定の酋長クラン(氏族)の中で、母系を原則として受け継がれて行く。
しかし、実はこのハイチーフ、ほんの3、4数年前に途絶えてしまった。
最後のハイチーフは、ネファユップという女性だった。
この辺りの離島は母系社会なので、母系で地位が受け継がれるのは絶対である。ただ、習慣として酋長は基本男性だが、これは絶対ではない。
ネファユップの前の酋長の死後、酋長クランに彼女しか正当な資格がある人がいなかったため、初めて女性のハイチーフが誕生したと聞く。
その彼女も、母親を同じくする兄弟がおらず、彼女自身も子を持たぬまま亡くなったため、その地位が空白となってしまった。
将来、ラモトレックの長老たちが誰かを据えることも考えられるが、今のところ途絶えたままである。
最後のハイチーフ、ネファユップ。何度か会ったことがあるが、とても温和で、笑顔がキュートなおばあちゃんだった。彼女の右腕には刺青がある。先に亡くなった夫の名と自分の名をカタカナで彫ったのだそうだ。日本統治時代だったのだろうが、どうしてカタカナと尋ねたら、カッコよかったからよ、と笑顔で教えてくれた。
*本連載は月2回(第1&第3週火曜日)配信予定です。次回もお楽しみに!
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林和代(はやし かずよ) 1963年、東京生まれ。ライター。アジアと太平洋の南の島を主なテリトリーとして執筆。この10年は、ミクロネシアの伝統航海カヌーを追いかけている。著書に『1日1000円で遊べる南の島』(双葉社)。 |