風まかせのカヌー旅
#18
水が溜まると沈むのです
パラオ→ングルー→ウォレアイ→イフルック→エラトー→ラモトレック→サタワル→サイパン→グアム
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文と写真・林和代
イフルックを出航した午後3時。
空は見事に晴れ渡っていた。
6時ー12時のシフトで働く私、ミヤーノ、ムライス、オサムにとっては休憩時間だったけれど、出港直後はそうも言っていられないので全員で働いていた。
やがてにわかに空模様が怪しくなり、午後6時、もう一方のシフトの面々がバンクで睡眠し始める頃には、盛大な嵐に突入した。
豪雨は断続的に続き、風は真正面から猛烈に吹き付けてきた。
特にうねりが高く、まさにジェットコースター状態。イフルックで頂いたたくさんのココナツが転げまわり、波の音が恐ろしげに響き、巨大な水しぶきがなんども上から降り注いだ。
しばらくは帆を降ろして漂流していたが、嵐がちょっと弱まったので再び帆をあげると、バケツをぶら下げたミヤーノが、船首に向かいながら私に声をかけた。
「アンマット! 」
そうね。そうね。そろそろ見たほうがいいわね。
私は、懐中電灯と、大きなプラスチック・ボトルを斜め半分にカットしたものを手に、彼に続いた。
アンマットとはサタワル語で、水をかき出す、という意味である。
マイスは双胴船。平行に並んだ、細長い2本のカヌーを板で繋いでできている。
船体の深さは3メートルほど。
船体の一番上、デッキと同じ高さに我々の寝床=ハンモックがあり、その下はハッチと呼ばれる空間になっている。
頑丈なハッチの上蓋を開けると中には棚板があって、そこに米などの食料や荷物がしまわれている。
で、棚のさらに下、船底はただの空間だが、海が荒れるとここに水が溜まる。
特に、ポート側(左側)船首のハッチは、なぜか溜まりやすいのだ。
[PHOTO by Osamu Kousuge] 出港前のパラオで、準備中のマイスで撮影。ディランが潜り込んでいるのがハッチ。彼は棚板の上に座っているが、底はずっと深い。
航行中は、棚板に食料が、ハッチの上にもいろんなものが置かれているので、水汲みをする時、それらを全部出し入れするのがとっても面倒くさい。もちろん必須作業ではあるけれど。
ちなみに黄色い棒のあたりにハンモック、その上にテントが被せられ、我らの寝床となる。
ミヤーノはまずテントのジッパーを開け、中にしまわれた色々なモノを取り出して、重たいハッチの蓋を開けると、狭くて暗い穴の中に潜り込んだ。
懐中電灯を彼に手渡し、どう? と尋ねると、
「あー、たくさん溜まってるよ!」
船底の狭い空間でアクロバティックな態勢をとったミヤーノは、私に懐中電灯を戻すと、半切りペットボトルをつかんで水を何度も掻き出し、バケツにどんどん溜めていった。
私はライトで船底を照らしつつ、いっぱいになったバケツをエイっと持ち上げ、デッキに水を流す。
これを6回繰り返し、ようやくハッチが空になった。
かなり溜まっていた。危ない、危ない。
実はこの3年前、我がマイスはハッチに溜まった水を放置したのが原因で、半分沈没していたのだ。
あれは、ングルーに向けパラオを出発して7日目のことだった。
ポート側(左側)の後ろから2番目のハッチに水がたまり、気が付いた時にはハッチの上まであふれ、あっという間にポート側全体が水没。水面より下に沈むことはなかったが、2本のカヌーのうち1本が水没した結果、船体は大きく傾き航行不能に。
結局、衛星電話で救助要請をし、韓国の貨物船とアメリカの沿岸警備隊にレスキューされた。
結果的にけが人は出なかったし、翌日マイスも無事見つけて取り戻せたので大事には至らなかったが、その反省から、我々は今回、ハッチに溜まる水に神経質になっていた。
まあ、沈没せずとも神経質になるべき事柄である。
ただ、正直なところ、デッキからは見えないハッチの中は忘れがちなのだ。
でも、ディランとオサム、ノーマン以外は全員その沈没航海に参加していた。
だからその教訓はまだ強烈に残っていたのである。
2013年、3月4日。我がマイス沈没の図。半沈没と同時に夜が明け、海はべた凪。女性3名は、トレイの都合もあるので積んでいた小舟に乗り移り、マイスとロープで繋がれていた。小舟には、水、ドライフルーツ、タバコもあったし、やることもないので女性陣は爪を切ったり耳掃除をしたり歌ったり、かなり陽気に過ごした。しかも、沈没から4時間後の午前10時には、最初の救助、韓国のヒュンダイの貨物船が姿を現したので、事態の割にはあまり怖くなかった。
排水を終えたミヤーノは、1時間舵を取り続けていたムライスと交代しながら、排水パイプの不具合について話し合っていた。
さて。今夜は寒いし、コーヒーでも入れましょうか。
私はギャリーボックスの中のコンロにやかんを掛け、揺れても動かぬよう、他の鍋釜を周囲において固定し、火をつけた。
マイスのクルーはよくコーヒーを飲む。
もちろんインスタント。たっぷりの砂糖とたっぷりのクリームパウダー入りが主流で、ブラックなどという大人っぽい志向の人は皆無である。
ミクロネシアに限らず、南の島ではどこでも圧倒的に甘いミルクコーヒーが好まれる。
とは言え、それぞれに好みの配合もある。
コーヒー係の私、クルーの好みは暗記済みだ。
プラスチックのスプーンで、コーヒー1杯、砂糖1.5杯、ミルク1杯。これはミヤーノ用。
ムライスはコーヒー1.5杯。砂糖2杯、ミルク2杯とかなり濃いめ&甘め。
まずは舵取り中のミヤーノにカップを渡し、続いて船尾にいるムライスに運んだ。
そして手渡そうとしたその瞬間、大きなうねりがマイスをぐいーっと持ち上げ、その揺れで私がよろめくと、熱々のコーヒーがムライスの腕にざぶんとかかった。
きゃ〜! ごめんなさい〜〜〜!
慌てて謝る私に、ムライスはわざとらしい大きな声で言った。
「あー!? カッツ! 俺を煮る気か!?」
暗闇の中で舵取りしていたミヤーノが、クスクス笑った。
翌朝、風は依然として強いけれど、あたりが明るくなると、左手にエラトーの島影が見えた。
エラトーは、ラモトレックの手前にある小さな島だが、今回は立ち寄る予定はない。
でも、ここまでくればラモトレックはもうすぐだ。今日中には着けるだろう。
とは言え、風はまさに逆風、目的地の方角、東から吹いていた。
これでは東へは進めないので、我々は南へ北へ、何度もなんどもジグザクにタック(方向転換)を繰り返した。
しかし、夕方になってもエラトーは相変わらず私のたちの左手にいた。
……全然進んでない。
夜はゲリラ豪雨に襲われるたびに帆を降ろし、漂流。
雨が止んだら帆をあげてタック。
これを繰り返し、夜が明けると……エラトーはまだそこにあった。
そして恐ろしいことに、これが三晩続いた。
夜が明けるたび、エラトーは分厚い雲から差し込む朝日を浴びながら、お前ら、まだそこにいるんかい、と鼻で笑っているかのようだった。
ミクロネシアに限らず、太平洋のほとんどの島では、高血圧、糖尿病、痛風がとても多い。
脂質異常、いわゆるメタボも相当な割合で、それによる心疾患も大変多い。
中でも、医療設備がほとんど整わぬ離島では、これらの病気が大事に発展する確率が非常に高い。
例えば、糖尿病の人は日本にも多いが、そのために手足を切断する人は少ない。しかし離島では、糖尿で足を切断することが頻繁に起こる。
運動不足とか、医療知識の欠如など、原因はいろいろあるけれど、最大の要因は食生活。
タロイモ、パンの実、ココナツ、魚やウミガメ、貝類など、離島本来の食事=ローカルフードだけを食べていた時代には、肥満の人はほとんどいなかったという。
今も昔も野菜の摂取は極端に少ないが、ローカルフードは奇跡的にビタミンなどのバランスも取れていたと聞く。
しかし現在は、脂質の多い輸入食品を多く摂取するようになった。
ツナ、鯖、コンビーフ、スパムなどの缶詰、サッポロ一番をはじめとするインスタントラーメン(袋麺)、米など。
米にラーメンを乗せるという炭水化物オン炭水化物という食べ方も完全に習慣化している。
精製した砂糖の使用量も多い。かつてはヤシから作るココナツシュガーのみだったが、今はほとんど作られていない。
離島のごく普通のご飯といえば、タロイモ、パンの実と白飯が主食、おかずは何かの缶詰。というのが基本になっている。
その上、糖尿病になってもヤシ酒がやめられない男性が多い。
そのため、多くの優秀なナビゲーターたちが、足を切断して航海できなくなったり、あるいは若くして亡くなり、それが航海術伝承の大きな阻害要因になっている。
以下、ミクロネシア連邦の医療調査報告。参考URL.
新潟医療福祉学会学術集会で示された、「小さな国の大きな人々 -ミクロネシア 連邦の肥満問題と食生活習慣改善」
*http://nirr.lib.niigata-u.ac.jp/bitstream/10623/45047/1/064_w1301.pdf
*本連載は月2回(第1週&第3週火曜日)配信予定です。次回もお楽しみに!
*第12回『Festival of pacific arts』公式HPはこちら→https://festpac.visitguam.com/
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林和代(はやし かずよ) 1963年、東京生まれ。ライター。アジアと太平洋の南の島を主なテリトリーとして執筆。この10年は、ミクロネシアの伝統航海カヌーを追いかけている。著書に『1日1000円で遊べる南の島』(双葉社)。 |