風まかせのカヌー旅
#15
イフルック ローカルメディスン
パラオ→ングルー→ウォレアイ→イフルック→エラトー→ラモトレック→サタワル→サイパン→グアム
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文と写真・林和代
「イフルックに行くなら、絶対にお守りを持って行かなくちゃ」
そういって、他の島の人々がにわかに畏れる島、イフルック。
”強力な魔法使い”がたくさんいるので、万一ブラックマジックをかけられてもはね返せるよう、出かける方も十分なお守りの魔法をかけねばならぬ。
そんな話を聞いたときは、どれほど恐ろしげな島かと思ったが、行ってみれば穏やかで美しい島だった。
セサリオが酋長に挨拶をすませると、私たちはたくさんの花かんむりや首飾りで迎えられ、浜辺の村でひと休みさせてもらった。
ここはノーマンの故郷である。
私たちが上陸するやいなや、彼を囲んだ彼のおばさんたちは、頭をぎゅうっと抱きしめ、大きな体をやさしく撫で、6年ぶりに島に戻った彼を熱く歓迎した。
彼女たちにされるがままのノーマンは、とても嬉しそうだった。
ノーマンファミリーは、大切な家畜である豚一匹を私たちに提供してくれた。
村の中に設えた青空竃には大きな鍋が置かれ、たくさんの豚肉が時間をかけて調理された。
やがて、たっぷりの豚肉と、ココナツミルクで煮た調理用のバナナ、タロ芋、英語でスイートタロと呼ばれる甘みの強い里芋、パンの実のココナツミルク煮など伝統的な離島のごちそうが、目にも鮮やかな緑色のバナナの葉の上にたっぷり盛られ、一人に一皿提供された。
[Photo by Aylie Baker]
私が手づかみでごちそうにかぶりついていると、背後でノーマンのおばさんがなにやら作業をはじめた。
まな板の上に何種類かの葉を置き、パウンディング・ストーン(叩く石)で何度もすり潰す。
やがてその葉から汁がたっぷり出て来ると、ヤシの木からとった茶色い網状のものに包む。
そして、あらかじめ穴をあけてあったヤシの実のジュースの中に、葉の汁をぎゅうっと絞り出した。
そしてその包みをもう一度ココナツジュースに浸してから、裸のノーマンの胸や首元、耳やおでこにそっと押しあてると、彼女は呪文を唱え始めた。
その声は、囁きと言っていいほど低く、小さく、お経のような抑揚があった。
きっとこれが離島の伝統的な治療、ローカルメディスンだろう。
ノーマンは、ウォレアイに向かう途中、海に落ちてから、少し様子がおかしくなった。
そんな彼を心配したセサリオは、ウォレアイでローカルメディスンを彼にしてくれるよう頼んだ。
その伝統的な治療は、このイフルックでも続けて行われた。
ここから先は、後にノーマンから聞いた話を紹介しよう。
私たちがウォレアイに着いた日の午後、ノーマンがカヌー小屋で座っていると、
「ノーマン、ノーマン」
彼の名を呼ぶ女の声がした。しかし、あたりを見回しても誰もいない。
しばらくすると、また聞こえた。
「ノーマン、ノーマン。ここだよ。こっちにおいで」
不思議に思ったノーマンが立ち上がってあたりを探してみると、カヌー小屋の裏に隠れるように、親族のおばあさんが座っていた。
彼女は言った。
「ノーマン、頼みを聞いてくれないかい。カヌー小屋に座っている若者に頼んで、ココナツの実を一つ取ってもらっておくれ」
ノーマンは言われた通り、若者に実を取ってもらい、外皮をむいて穴をあけ、彼女に差し出した。
おばあさんは、持っていたバッグからすり潰した葉っぱを包んだものを取り出すと、ココナツジュースの中に絞って彼に差し出し、これを飲めと言った。
ノーマンはもちろん、これがローカルメディスンだと分かっていた。
「いらないよ。俺は大丈夫だから、飲む必要はない」
「そんな事言うんじゃない。お前はこれが必要なんだよ」
「いらないってば」
ノーマンが拒否すると、彼女はこう言った。
「ウォレアイに着く前、お前はカヌーから海に落ちただろう? 強い風に襲われて」
まるで見ていたかのように話す老女に、ノーマンはたじろいだ。
「お前は小さい頃、親や家族の言うことを聞かず、勝手に悪い事ばかりしていた。その頃から、お前はこの海の悪霊がもたらす病気を持っていたんだ。でもずっと、表に現れなかった。海に落ちた時、それが表に出て来たんだよ」
そういわれてみると、急に自分が病気なんだと思えて来た。感覚が以前と違う気がする。どこかぼんやりと、鈍くなっているような。
こうして納得した彼は、薬入りのココナツジュースを飲んだ。
ウォレアイに滞在中は朝夕1回ずつ飲み、我々がイフルックに移動すると、すでにウォレアイから無線で連絡を受けていたノーマンのおばさんは、私たちが到着するや彼を呼びよせ、早速治療の続きを再開した。
彼女は、目の前に座ったノーマンに口を開けさせると、いきなり人指し指を喉に突っ込んだ。
そうすることで、彼の病を診断、必要な薬草を確認したようだ。
指を抜いた彼女は、すぐに薬に使う葉を取ってくるよう女性たちに指示を出した。
そうして集めた葉をつぶし、その汁を絞り入れたココナツジュースを彼に飲ませた。
朝と午後一回ずつ、その治療は行われた。
初日の夕方、おばさんに指を入れられた時、彼は泣いた。
わけもなく、涙が止まらなくなった。
二日目の午後、おばさんがまた指を入れると、彼は吐いた。
おばさん曰く、それは良くないものが出て来てる証で、よいことらしい。
翌日の朝、3回目、また指を入れたおばさんは言った。
「大丈夫、もうなくなってる」
喉の奥に溜まっていた“よくないもの”は、もう消えたらしい。
「ノーマン。これからの航海では、海に落ちたときのことを考えないようにしなさい。もし思い出したら、すぐになにかの仕事に集中して、他の事を考えるように。いつまでもこの事を考え続けると、”それ”はまたお前の中に入って来るから」
そうアドバイスを受けて、彼のローカルメディスンは終了した。
”それ”って、なに?
ものすごく気になるが、海の悪霊らしいと言う事しか分からなかった。ノーマンも知らないようだった。
ちなみに本人によれば、治療後、多少気分は良くなったものの、大した変化は感じなかったらしい。
それでも私には、こわばっていた彼の表情が少し柔らいだように見えた。
だからきっと、海の悪霊退治は成功したんじゃないかと思う。
ミクロネシアの多くの島には、まだ酋長がいる。
ミクロネシア連邦の首都がある島、ポンペイでは「酋長の目を直に見ると、目がつぶれる」といわれるほど、強力な霊力があると信じられている。
ただ、大きな島ではいわゆる政教分離が行われ、政治家は政治を、酋長は主に伝統的、宗教的な行事を主に執り行う。
しかし、今回マイスが立ち寄る離島には酋長しかいないので、政治も伝統的儀式もみな酋長が執り行う。
例えば、よそ者の入島を許可したり、誰かが亡くなった場合の葬儀にまつわる段取りをつけたりする。
なかでも最も頻繁に行われる仕事の一つに「ヤシ酒作りの規制」がある。
ヤシ酒は離島男性が最も愛するもののひとつ。だが、酔っぱらいが暴れたり、トラブルを起こすと、酋長たちが相談して島ごとヤシ酒作りを禁止する。
そして人々を観察し、もう大丈夫だと判断したところでヤシ酒作りを復活させる。
そんな権限を持っている。とはいえ、酋長だけで大きな決断をする事はほとんどなく、たいていは長老たちと相談し、内々に合意を取った上で、酋長が島全体に発表する「なんとなく合議制」がとられる場合が多い。
ちなみに酋長は、選挙ではなく世襲で、家系(?)によって決まる。
各島にはクラン(氏族)がいくつかあり、そのうち3〜5の決まったクランだけが酋長を輩出する。
例えばサタワル島には8つのクランがある。そのうち3つが酋長を出すハイクランで、残りの5つは言わば平民のロークランとされる。だからサタワルには3人の酋長がいる。
同様に、ラモトレックにも3人、イフルックには5人の酋長がいる。
*本連載は月2回(第1週&第3週火曜日)配信予定です。次回もお楽しみに!
*第12回『Festival of pacific arts』公式HPはこちら→https://festpac.visitguam.com/
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林和代(はやし かずよ) 1963年、東京生まれ。ライター。アジアと太平洋の南の島を主なテリトリーとして執筆。この10年は、ミクロネシアの伝統航海カヌーを追いかけている。著書に『1日1000円で遊べる南の島』(双葉社)。 |