越えて国境、迷ってアジア

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#109

タイ=ミャンマー国境を北上せよ〈5〉日本とミャンマー、70年後といまの関係

文と写真・室橋裕和

 ミャンマー人にとって日本は、身近な先進国であるのかもしれない。昔もいまも両国はさまざまな形で関わってきたが、バゴーの街ではそれを表すような出会いがあった。

 

ミャンマー最大の聖地へ 

 まるで難民になったような気分だ。麓を出発したトラックの荷台に僕は揺られていた。
 50人以上が詰め込まれているのではないだろうか。荷台はミャンマー人でぎっしりだった。全員がもう、雨でずぶ濡れである。トラックは簡素な屋根こそあれ、サイドや後部はがら空きで、雨が容赦なく吹き込んでくるのだ。僕もまわりにならって、麓で売っていたペラペラのカッパを着こんでいたが、あまり意味はない。出発からものの5分で水浸しになった。そのままつづら折りの坂道を登っていくものだから、いくら南国だって寒くなってくる。
 やがてトラックは真っ白い霧に包まれた。なにも見えない。このキンプン山の標高は確か1100メートル、霧というより雲の中に突っ込んだのかもしれない。

 

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キンプン山の山頂には托鉢の僧たちがいた。標高1100メートル、冷たい雨の中でも素足だ

 

雨のゴールデン・ロック 

 苦行のような1時間が過ぎ、トラックはやっと山頂にたどり着いた。もう1メートル先も見えないような濃い霧だ。泳ぐように歩いていくと、ぬうっと顔を出してきたのは小豆色の袈裟をまとった僧たちの列。僕と同じトラックから降りてきた人々が、ひざまづいて手を合わせる。僧たちが持っているカゴに食べ物やお金を入れる人たちもいる。托鉢だ。この山頂そのものが寺院なのだ。
 だから食堂の並ぶ参道を歩いていった先で靴を脱ぎ、あとは裸足で歩いていく。濡れたタイルで滑りそうだ。
 そしてようやく、目的の巨岩が見えてきた。山のへりの崖の上に、危ういバランスで乗っかった黄金の岩、チャイッティーヨー・パヤーだ。いまにも転がり落ちそうに見えて、1000年以上もこの場所に鎮座し続けているという伝説が残る。岩の上にちょこんと建てられた仏塔にはブッダの遺髪が保管されており、その力でバランスが保たれているのだといわれる。
 敬虔なる仏教国ミャンマーでも指折りの聖地で、この雨の中でもたくさんの人々が巨岩に祈りを捧げ、経を唱える。とはいえそこは東南アジアのゆるやかさ、賑やかにスマホを構え、友達同士はしゃいで、なんだかピクニックのようでもある。聖地であると同時に、観光地なのだ。見ているとこちらも和まされる。

 

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ミャンマーでも指折りの観光スポットであり聖地チャイッティーヨー・パヤーだが残念ながら霧の中

 

バゴーで出会った軍票売りの少年 

 チャイッティーヨー・パヤーから乗り合いのタクシーで2時間ほど走ると、ミャンマー中部の中心都市バゴーに到着する。このあたりに多く住むモン族の言葉ではハンタワディーという名の古都で、歴史ある仏塔や寝釈迦がいくつもあって、ここも観光地の風情だ。
 だから僕もバイクタクシーを雇っていくつかの寺を見て回った。ちょうど日曜日ということもあり、着飾って境内を歩く家族連れが多い。女性の民族衣装であるロンジーが色鮮やかで、雨上がりの青空にもよく映える。黄金の仏塔を背景にすると、とりわけカラフルだ。ミャンマーは色彩豊かな国だなと実感する。
 そんな人々もなんだかアカ抜けていて、もう最大都市ヤンゴンが近いのだなと思ったりもする。ここバゴーで最南端からミャンマーの国土を半分ほど北上してきたわけだ。旅もいよいよ佳境か……と思っていると、物売りの少年が駆け寄ってきた。満面の笑みで差し出してきたのは、軍票だった。
「ジャパニーズ・アーミー!」
 見れば「JAPANESE GOVERMENT」「大日本帝国政府」と大きく書かれている。単位は当時の英領ビルマで使われていた「ルピー」で、1/2ルピー、1/4ルピーなんて珍しい額面もある。旧日本軍は戦時中、こんなものを占領下に置いたミャンマーに流通させ、軍事物資の支払いやら軍関連企業の給料にも使ったのだという。
 しかしあまりにも無計画に大量に発行したことで、ハイパーインフレを招いた。物価は100倍になり、経済は大混乱に陥ったが、日本軍は敗戦を迎え、その状況を放置して撤退していく。残されたのは困窮したミャンマー人と、紙切れになった軍票だ。それを保管し続け、土産物として売っている姿を、ミャンマーではときどき見かける。
「10枚10ドルでいいよ!」
 過去を知らないであろう、快活そうなボウヤであった。バシバシ写真を撮らせてもらったのでお礼に買おうかと思ったが、10ドルは高かろう。いま泊まっている安宿と同じ値段ではないか。そこで試しに5ドルと値切ってみると、ほんの数秒だけ悩んだのちに、ちょっと困った顔で頷くのであった。チョロすぎる。
 とはいえこの国に大迷惑をかけた人間たちの末裔として、少しだけ上乗せして少年に支払った。

 

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ノリノリで軍票を見せてくれる少年。せっかくなので買いました

 

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色とりどりの民族衣装と黄金の仏塔。これがミャンマーだと思う

 

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バゴーの象徴シュエモードー・パヤーは1200年前の創建といわれる

 

奈良県で働いていた元技能実習生 

 そんな寺のそばに、ちょっとした小屋というかプレハブのような店があった。手織物を売っているようだ。伝統的なものなのか、機織り機で作業をしているおばあちゃんもいる。へえ……と思って眺めていると、不意に日本語が飛んできた。
「日本人ですか?」
 20代半ばくらいの女の子だった。ショートカットと、くりくりした目が印象的だ。
「この前まで3年間、奈良県に住んでいました」
 たどたどしいが、しっかり伝わる日本語だ。聞けば技能実習生として、奈良の縫製工場で働いていたのだという。一般的に技能実習生は3年間の就労が許可されるが、その期間を終えて帰国したばかりなのだと話す。いまは実家の織物を手伝い、ときどきやってくる観光客の相手をする。
「でも、もう日本語ちょっと忘れちゃった」
 3年間を過ごした工場には、彼女のほかにミャンマー人が7人いたそうだ。毎日ずっと朝から晩まで働き詰めで、週末は疲れて寝てばかり。あまり思い出もないそうだが、
「京都と大阪は遊びに行ったよ」
 と懐かしそうに言って、スマホから写真を見せてくれた。
「奈良も京都もお寺いっぱい。バゴーと同じ」
 というが、この街からもやはり、相当数の若者が国外へと出稼ぎに行っているという。
「とくにこの村は多いの。男子は中学校を出たらほとんどタイに行っちゃう。いまは日本に行く人も増えてる。私も、また日本で働きたい。いま次に働くところ探してる」
 でも、給料かなり安かったんじゃないの? たいへんな思いはしなかった?
 そんなことを聞いてみたが、僕の日本語がわかっているのかいないのか、彼女はあいまいに笑って「次は東京に行きたい。大きな街を見たい」と言うだけだった。

 

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四面仏チャイプーン・パヤーにいた地元の子供たちに癒される

 

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バゴーの市場は雨期の大雨でえらいことになっていたが、誰も気にしている様子はない

 

 彼女は、僕を村のはずれの小さな食堂に案内してくれた。
「これがおいしいんだ」という汁ソバを一緒にすすり、「日本食は、しらすご飯と、餃子が好きだったよ」なんて会話を交わす。
 この村も昔は小さな家ばかりだったが、タイや日本に出稼ぎに行ったところから大きな家が建つようになったのだと話す。だから私も、また日本で働きたいけれど、もっと日本語を勉強しないとだめだなあ……。
 なんて笑って、彼女は汁ソバを奢ってくれたのだ。払うと言っても、頑として聞かない。苦労をしてきたはずの実習生にごちそうになってしまって申し訳なかったが、厚意に甘えることにした。
 いまも昔も、日本とミャンマーの関わりは深い。日本の国策が、ミャンマーの人々の生活や人生に大きな影響を与え続けている。その関係が歪なものではないように、と心底思う。

 

(続く)

 

*国境の場所は、こちらの地図をご参照ください。→「越えて国境、迷ってアジア」

 

*本連載は月2回(第2週&第4週水曜日)配信予定です。次回もお楽しみに!

 

 

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室橋裕和(むろはし ひろかず)

1974年生まれ。週刊誌記者を経てタイに移住。現地発日本語情報誌『Gダイアリー』『アジアの雑誌』デスクを務め、10年に渡りタイ及び周辺国を取材する。帰国後はアジア専門のライター、編集者として活動。「アジアに生きる日本人」「日本に生きるアジア人」をテーマとしている。おもな著書は『日本の異国』(晶文社)、『海外暮らし最強ナビ・アジア編』(辰巳出版)、『おとなの青春旅行』(講談社現代新書)。

 

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