韓国の旅と酒場とグルメ横丁
#109
「韓国ロス」のみなさんへ〈5〉
過去20余年の取材旅行で撮った映像を見ながら往時を振り返る特集の5回目。まずは、コンビニで売っている弁当のパッケージ写真から。
コンビニ弁当のアイコン 2013年2月撮影
韓国のコンビニで売っている弁当やおにぎり、サンドイッチが美味しくなってきたのは、ここ十年くらいのことではないだろうか。それ以前はできるだけ避けたい食べもののひとつだった。
私が留学していた90年代後半、日本のセブンイレブンやファミリーマートで売っている弁当類は総じて美味しく感じた。とくに米の質には格段の差があった。当時の韓国のおにぎりは米がバサバサで、ラーメンの残り汁にでも投入しないと食べられたものではなかった。
写真は「クンミン・オンマ」(国民の母)と呼ばれる女優のひとり、キム・ヘジャだ。日本では『パラサイト 半地下の家族』で米国アカデミー賞を受賞したポン・ジュノ監督作品『母なる証明』で演じたウォンビンの母親役の印象が強いはずだ。
この弁当のパッケージ写真はその3年後くらいに撮られたものだろう。『母なる証明』で演じた役柄からすると、愛情が濃過ぎて弁当のアイコンにはふさわしくないように感じられるかもしれないが、韓国ではテレビドラマの良妻賢母キャラクターがあまりにも有名なので、妥当な人選といえる。
しかし、この写真のキム・ヘジャは中流から上流家庭のお母さんという感じがして、3000ウォンの弁当(今なら4000ウォン以上するが)には似つかわしくない。
韓国には国民の母と呼ばれる女優がほかにもいる。有名なユン・ヨジョンもそのひとりだ。ホン・サンス監督の『ハハハ』でのキム・サンギョンの母親役は、韓国の世話焼きオンマそのものだったが、本人役を演じた半ドキュメンタリー映画『女優たち』では、「国民の母と呼ばれたくない」とはっきりコメントしている。コンビニの弁当のアイコンのオファーが来てもおそらく断るのではないだろうか。いや、『バッカス・レディ』という映画ではシニア相手の娼婦を演じているので、キャスティング自体ありえないかもしれない。そもそも彼女はふくよかさに欠けるので食べ物と結びつきにくい。『ハウスメイド』のベテラン家政婦役のようにワイングラスを揺すっているほうがぴったりくる。
国民の母の極めつけはナ・ムニだと思う。名前を聞いてピンとこなくても、世界各国でリメイクされた映画『怪しい彼女』のおばあさん役といえばすぐ顔が思い浮かぶだろう。ソル・ギョング主演の映画『熱血男児』で息子と息子を殺しに来た男との板挟みで苦悩する母親役も印象的だった。口うるさいが、ふくよかで、情にもろい。汎アジア的な母親像ではないだろうか。なにより、いい意味で「漬物くさい」のが魅力である。彼女がアイコンになった弁当が売り出されたら、私は迷わず買うだろう。
失われた風景 2010年7月撮影
この写真は今からちょうど十年前、ソウルの地下鉄1号線東廟アプ駅の北側で撮ったものだ。新しい高層ビルの手前に生活感たっぷりのシュポ(小さな食料雑貨店)がある。その左は哲学館(占い屋)、そのまた左は仏具店だ。平日の昼下がり、シュポの右手の簡易テーブルでは男性ふたりがマッコリを飲んでいる。
未確認だが、このシュポがこの場所に現存している可能性はほぼないだろう。なんといってもここはソウル旧市街の中心エリア。日本の旅行者にもなじみ深い東大門市場からわずか一駅のところなのである。
日本の韓国リピーターから「デジタルとアナログがまだらになっているところがソウルの魅力」と、よく言われるが、この十年間でアナログな部分はだいぶ駆逐されてしまった。
みなさんがもし、ソウル中心部で幸運にもこんな風景に出合えたら、迷わず写真を撮ってもらいたい。記念にジュースの一本も買ってほしい。そして、もしテーブルがあったら、缶詰や袋菓子をつまみにビールやマッコリを飲んでもらいたい。
三密、じつは三蜜 2010年8月撮影
日本では自粛時代の心得として「三密」を避けるべしとの指導があったと聞く。三つの密とは(換気の悪い)密閉、(人が多く集まる)密室、(人と間近でふれあう)密接のこと。皮肉なことに、この三要素は私が愛する大衆酒場の魅力そのものだった。
地方、とくに釜山のような港町に行くと、古いコンテナを再利用している例をよく見かける。上の写真は十年前に釜山郊外で出合った海鮮居酒屋だ。薄いピンク色に塗装されているのでわかりにくいが、この建物はコンテナをリサイクルしたものだ。天井は低いし、狭苦しいし、いいことはひとつもなさそうだが、不思議と落ち着く空間である。一種の母子カプセルなのかもしれない。
居心地のよい三密空間であることに加え、茹でダコ一匹に全羅道のような多彩なつきだしが添えられることでこの店は人気を博し、今では向かい側のビルに店舗を構えるようになっている。
上の写真は、韓国の西海岸に面した忠清南道・瑞山バスターミナル脇にある飲み屋街だ。こちらは赤と青にペイントされているが、コンテナであることは一目瞭然。そして、下の写真を見ていただければ、三密が三蜜であることがおわかりいただけると思う。
幸せな三蜜時代の再開を望みたい。
(つづく)
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紀行作家。1967年、韓国江原道の山奥生まれ、ソウル育ち。世宗大学院・観光経営学修士課程修了後、日本に留学。現在はソウルの下町在住。韓国テウォン大学・講師。著書に『うまい、安い、あったかい 韓国の人情食堂』『港町、ほろ酔い散歩 釜山の人情食堂』『馬を食べる日本人 犬を食べる韓国人』『韓国酒場紀行』『マッコルリの旅』『韓国の美味しい町』『韓国の「昭和」を歩く』『韓国・下町人情紀行』『本当はどうなの? 今の韓国』、編著に『北朝鮮の楽しい歩き方』など。NHKBSプレミアム『世界入りにくい居酒屋』釜山編コーディネート担当。株式会社キーワード所属www.k-word.co.jp/ 著者の近況はこちら→https://twitter.com/Manchuria7 |
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