ブルー・ジャーニー

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#106

アルゼンチン〜チリ はるかなる国々〈25〉

文と写真・時見宗和 

Text & Photo by Munekazu TOKIMI

「アルベルトの頬に、彼の心模様を示す涙の筋が」

 ──最初のきついカーブで、ポデローサは完全にぴたりと根を下ろしてしまった。そこからロス・アンヘレスまでトラックで連れていってもらい、そこで消防士の詰め所にバイクを置かせてもらって、僕らはチリ軍の少尉の家で眠った。彼はどうやら僕らの国で受けた応対にすごく感謝しているらしく、ひたすら手厚くもてなしてくれた。その日、僕らにとって「モーターバイク付きのたかり屋」としての最後の日となった。次はもっと難しそうだ。「モーターバイク無しのたかり屋」になるんだから。(2月26日 ゲバラ記) 

 

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 3月1日、ブエノスアイレスを出発してから57日目、ゲバラとグラナードは家具運搬のトラックに乗ってチリの首都サンティアゴ・デ・チレに到着した。たび重なるパンク、ギアボックス、リア・ブレーキ、ハンド・ブレーキの破損、理由不明の挙動不審、ついには走行不能。ポデローサⅡ号は走っている時間よりも、工場もしくはトラックの荷台にいる時間のほうが長くなっていた。

 

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 標高520メートルの地に、東西約40キロ、南北約50キロに渡って広がる南米有数の都市、サンティアゴ・デ・チレ。

 人口の約3分の2がメスティーソ(先住民との混血)。漂う空気、流れる時間はゆったりとしていて温かく、パリにあこがれる白人の町、ブエノスアイレスとは居心地が大きく異なる。

 地中海性気候のために比較的温暖。標高520メートルだが、雪が降ることはほとんどない、1年のうち300日は頭上に青空が広がる。

 盆地に澱むスモッグが風に吹き払われると、アンデス山脈が姿を現す。

 標高の平均が4000メートルを超える山並みまでは約40キロ。ここが東京駅だとすれば、南西方向、横浜駅の少し向こうから白い巨人に見下ろされていることになる。

 

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 日本を中心に据えた世界地図ではわかりにくいが、南アメリカ大陸は北アメリカ大陸よりも西に位置していて、その分、ヨーロッパに近い。西海岸の町、サンティアゴの経度は、アメリカ合衆国東海岸のボストンとほぼ同じだ。

 コロンブスのアメリカ航路発見以後、西暦1500年を境に、南アメリカの歴史がナイフで切ったように分断されたのは、こうした位置関係によるところが大きい。

 西暦1500年以前は、ユーラシア大陸から干上がった海底をたどってやってきた先住民が文明・文化を創り上げた時代だった。先スペイン期あるいは先コロンブス期と歴史学では呼ばれている。

 

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 1500年以後、イベリア半島のふたつの国によって、南アメリカ大陸の文明と文化は踏み荒らされ、略奪された。

 1498年、コロンブスが南アメリカ大陸に初めて接触した翌年、早くも5つのスペインの探検隊が南アメリカ北部に上陸。ベネズエラ海岸で真珠を集め、現コロンビア沿岸で奴隷狩りを行い、インカ帝国の金の匂いをかぎつけ、一瞬にしてこの大帝国を征服。

 他方、1500年、アジアに向かう途中で偶然ブラジルを発見したポルトガルは、スペインと協定を結び、この地を植民地化した。

 サンティアゴ・デ・チレはスペインの征服者、ペドロ・デ・バルディアが、先住民族、マプーチェとの戦いの拠点として1541年に建設した町。雪融け水を乗せてアンデス山脈を駆け下り、白波を立てながら町の中央を流れるマプチョ川は、マプーチェとの戦いの防衛線に使われた。

 

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 チリのナショナルツリー、アローカリア・アラウカナ。裸子植物ナンヨウスギ科ナンヨウスギ属、マツやスギなどの針葉樹の仲間で、現在、19種類が南半球の限られた地域に生育。時空を超えた植物で、恐竜が栄えた中世代の化石にもそのすがたが刻みこまれている。

 スペイン人の侵略を拒み、約350年間戦いつづけたマプーチェ族は、アラウカナを神聖視し、アラウカニアと呼ばれた。

 

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 ──長々とバイクの部品を探して歩いたが見つからなかった。結局、バイクを手放すことにした。2つのサドルバッグをリュックサックに替えて、ほかのものは全部バイクに残した。埃と泥から保護するためにバイクをテントでくるむと、忠実な友の死体を被っているような気持ちだった。俺はこっそりポデローサ2号をやさしくなでてから立ち去った。悲しくてつらかった。(3月2日 グラナード記)

 ──ついにアルベルトの頬に、彼の心模様を示す涙の筋が、ふた筋刻まれる重大な日がやってきた。(3月2日 ゲバラ記)

 

 サンティアゴ・デ・チレは大統領選挙の熱に包まれていた。ペルー行きの準備に追われていたゲバラとグラナードは、サルバドール・アジェンデの演説に2度遭遇、立ち止まって聞き入った。

 チリ国立大学医学部を卒業、外科医となったアジェンデは医療の現場で貧困を目の当たりにし、チリ社会党の結成に参加。国の最大の財産である鉱物資源を独占しているアメリカ合衆国を批判する立場に立った。「低開発国が存在するのは帝国主義が存在するからです。そして帝国主義が存在するのは低開発国が存在するからです」

 アジェンデを支えた詩人、パブロ・ネルーダは言った。「わが人民の敵に立ちむかうわたしの歌は攻撃的であり、アラウカニアの石つぶてのように痛烈なのだ。(中略)さあ用心するがいい、わたしは引き金をひく!」

 

2507

 

 ポデローサⅡ号に別れを告げてから9年後、ウルグアイのモンテビデオ大学で開かれた反帝国主義デーの集会で、ゲバラとアジェンデは2年7カ月ぶりに再会した。

 ふたりともアメリカ合衆国にとって好ましからざる人物だった。キューバ革命を成功させたゲバラは国立銀行総裁となり、アジェンデは大統領の座まであと一歩のところに来ていた。

 集会のすべてのプログラムが終わり、いっしょに会場から出ようとするアジェンデをゲバラは制止し、言った。

「別々に出ましょう。一発の弾丸でふたりがやられることがないように」

 直後、待ち受けていたテロリストの銃撃で大学教授のひとりが、流れ弾で数人の一般人が死亡した。

 夕方、ゲバラは滞在していたホテルで、ブエノスアイレスから呼び寄せた母親のセルナをアジェンデに紹介し、3人で夕食の席についた。

「サルバドール、あのときの演説、ひとつは良かったけれど、もうひとつはあまりよくなかったですね」

 

(つづく)

 

*本連載は月2回配信(第2週&第4週火曜日)予定です。次回もお楽しみに。

 

 

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時見宗和(ときみ むねかず)

作家。1955年、神奈川県生まれ。スキー専門誌『月刊スキージャーナル』の編集長を経て独立。主なテーマは人、スポーツ、日常の横木をほんの少し超える旅。著書に『渡部三郎——見はてぬ夢』『神のシュプール』『ただ、自分のために——荻原健司孤高の軌跡』『オールアウト 1996年度早稲田大学ラグビー蹴球部中竹組』『[増補改訂版]オールアウト 1996年度早稲田大学ラグビー 蹴球部中竹組』『オールアウト 楕円の奇蹟、情熱の軌跡 』『魂の在処(共著・中山雅史)』『ジュビロ磐田、挑戦の血統(サックスブルー)』、共著に『日本ラグビー凱歌の先へ(編著・日本ラグビー狂会)』他。執筆活動のかたわら、高校ラグビーの指導に携わる。

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編著・日本ラグビー狂会

     

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