越えて国境、迷ってアジア
#100
北関東ゴールデントライアングル
文と写真・室橋裕和
日本に「3県境」なる場所は48か所あるのだという。そのほとんどは河川や、山の稜線、山頂に位置しているそうな。前回、僕が訪れた「東京・千葉・埼玉」3つの都県が接する3県境ポイントも、確かに江戸川の中ほどにあった。このあたりは国境と同じなのだ。自然の境界でそのまま自治体を区分すれば、管理しやすいのだろうと思う。
ところが日本でただひとつ「平地の3県境」なる地点がある。埼玉、栃木、群馬が接するポイントだ。ここは山登りをしなくても、川をボートで漕いでいかずとも、徒歩でカンタンに行くことができるという。ほう……。
越境マニアとしては大いにそそられた。速攻で北関東を目指して電車に乗ってしまったのである。
まずは群馬→埼玉に越境スタート
東武日光線、板倉東洋大前駅。ここは群馬県である。南東のすみっこだ。すぐ南には埼玉、東に栃木が迫る、まさしく国境の街。これがアジアであれば商人が行きかい市場が立ち、タクシーや怪しげな連中もたむろして賑わうところだが、日本の県境はきわめて静かなのであった。駅に降り立ったのは僕ひとりで、周辺にはちらほらとアパートが立ち並んでいるが、人の気配があまり感じられない。商店も何もない。が、停まっている車のナンバーが、宇都宮・群馬・大宮と各県入り乱れているのが良い。国境感を煽ってくれる。
さみしい住宅街を、とぼとぼと歩いていく。すぐに田畑が広がる。トマトを栽培しているビニールハウスや、ネギ畑、水田を眺めて東に進むと、やがて堤が見えてきた。登ってみれば、視界いっぱいに緑。その奥のほうに、湖が広がる。渡良瀬遊水地だ。日本最大だというこの遊水地のまわりで、3県の県境が入り組んでいるのである。
さっそく見えてきた。まずは埼玉県のようだ。遊歩道上には白いペンキで、でかでかと群馬/埼玉の県境が示されている。イミグレーションでも設置してくれれば面白いのだがそういった施設はなく、代わりに「この場所にある水門は群馬県の管轄である」「ここから先の道路使用については埼玉県が窓口となる」などと案内する看板が立つ。こうして自治体がそれぞれナワバリを主張しあうのが、日本の境界線のひとつの姿であろう。
そんなオブジェをばしばし撮影していると、上空をパラグライダーが飛んでいった。群馬から埼玉へ、空で越境していく。なかなか気持ちよさそうだ。渡良瀬遊水地はほかにも、熱気球やスカイダイビングなど空のスポーツも盛んなのだそうだ。
埼玉県と群馬県の県境ポイントを飛ぶパラグライダー。右手が渡良瀬遊水地
町おこしのネタになっていた「3県境」
埼玉エリアはほんの数百メートルだった。遊歩道の奥にはもう、再び「この先群馬」の看板が立つ。さらにそのまた先を見れば、今度は栃木県となっている。まさに県境モザイク地帯ではないか。テンションが上がる。
その境界線が入り組んでいるエリアだが、群馬・栃木は渡良瀬遊水地沿いの遊歩道か住宅地だけだというのに、埼玉は違うのだ。ここぞとばかりに大きな道の駅を設置し、自国領を高らかにアピールしているのであった。こうして建造物を構築し、実効支配を重ねていき、領土を確かなものとしていくのは国際社会と同様であろう。
我が故郷・埼玉県のしたたかな戦略に感心しつつ「道の駅かぞわたらせ」に入ってみると、
〝埼玉・群馬・栃木3県のイイトコロがた~くさん詰まったお店です〟
そんな看板が出迎えてくれる。その名も「3県境ショップさい ぐん と」。県境を接する3県それぞれの特産品が揃っているのであった。そこそこ賑わっているではないか。
ドリンクコーナーでは栃木のキャベツサイダーに、埼玉の狭山茶コーラとかいうそれぞれナゾの飲み物が並び、麺は群馬のひもかわうどんに栃木は佐野ラーメン。地酒は3県どこも豊富だ。イナカの土産でありがちな漬け物やメシのアテなんかも3県の物産が揃う。こういうのに弱い僕は、埼玉・深谷ねぎを使ったねぎラー油をついつい買ってしまった。
アジアの国境では、各地の産品とマネーと人が行きかう市場は欠かせないものだが、ここでは道の駅がその役割を果たしているのだ。
「道の駅かぞわたらせ」では3県の特産品が売っていて楽しい。地元農家が育てた野菜の市場もある
酒好きならば3県の地酒コーナーは外せないだろう
「道の駅かぞわたらせ」では埼玉・加須の名産であるそばとうどんがおすすめ
小さな観光名所になっていた3県境
そして「さいぐんとショップ」の傍らには、大きなタテ看板がそびえているのであった。
「さんぽで3県!! 3県境」
各地のゆるキャラが出張り「日本唯一、散歩で行ける3県境ポイント」をめいっぱいPRしているわけだが、そんなマニアックなもん一般の日本人は興味あるわけなかろう。なんだか自らの性癖が暴露されているようで恥ずかしくなってくるが、意外にも家族連れがタテカンの前で写真を撮ったりしているのだ。
問題の3県境ポイントは道の駅から10分ほどの場所なのだが、そこでもやはり観光客が何人かいるではないか。近づいてみれば、まわりの田畑に水を送るささやかな水路が県境となっていた。水路が三差路になっている場所で、3県の県境が交わっている。
その中央に立ち、写真を撮っている男の子と父親。3県を一歩ずつまたいで歩き「散歩で3県」「三歩で3県」を実践している女子のグループ。サイクリストのおじさんたちは、ここを舞台にしたテレビドラマを見てやってきたのだと話している。その名もズバリ、
「はぐれ署長の殺人急行~三県境殺人事件」
3県が交わるこのポイントで死体が発見されたら、どの県の警察が担当するのか……というテーマだったようだ。3県境はささやかながら、リッパに町おこしの役に立っているのだ。
とはいえ大々的に観光開発するほどではなく、まわりには小さな駐車場が整備されただけで、あとは田畑と民家が続く。北関東ののどかな風景だ。
もともと、このポイントは渡良瀬川の中州にあったそうだ。やはり川を利用した県境だったのだ。しかし1910年(明治43年)にはじまった渡良瀬川の改修工事によって川筋が変わった。渡良瀬遊水地もこのときにできている。
そして3県境ポイントは干上がって陸地となり、その後に農地として整備された。やがて物珍しさから観光客がちらほら訪れるようになったため、3県の自治体が協力して名所として売り出すようになり、いまに至っているというわけだ。
越境マニアとしてはやや恥ずかしい看板だが、同じ趣味の人が増えてくれればうれしい
「道の駅かぞわたらせ」からは、親切な看板があちこちにあって3県境まで導いてくれる
民家の軒先にも、こんな案内が。地元の人にも愛されるスポットなのだろうか
そして到着、3県境。ここが北関東ゴールデントライアングルの中心点だ。昔はこの小さな水路が、渡良瀬川だったという
3県境のまわりは田んぼと畑が続く。少ないながらも観光客がちょこちょこやってくる
どうして渡良瀬川が改修され、遊水地ができたのか
渡良瀬遊水地はなかなかに雄大だ。水路と湿地帯が広がり、中心となっている人造湖・谷中湖ではウインドサーフィンの群れがまるで水鳥のようだ。ハイキング客やジョガーもたくさんいる。
なんとも平和な光景なのだが、この遊水地ができたきっかけは、かの足尾銅山鉱毒事件である。
渡良瀬川の上流にある足尾銅山は明治時代の日本の近代化を支えたが、同時に公害も生み出した。周囲の山を伐採し掘削することで、土地の保水力が失われ、下流域では洪水が多発。そしてその洪水には、銅山から流れ出た銅イオンや重金属、カドミウム、ヒ素などの「鉱毒」が含まれていたのだ。
そのため下流一帯で健康被害や、不作、不漁が広がり、栃木の政治家・田中正造を中心とする抗議運動が巻き起こったことはあまりにも有名だ。
対策として、渡良瀬川の下流域に遊水地をつくり、そこへ鉱毒を流し、沈殿させる計画が進められた。こうして渡良瀬川の流れが変わって3県境があらわになり、渡良瀬遊水地が生まれたというわけだ。
いまでは水と緑が、豊かな生態系を育む。ラムサール条約(水鳥の生息地として国際的に重要な湿地に関する条約)に登録されるまでになったそうだ。
今度は群馬と栃木の県境。3県がごちゃごちゃ入り乱れてる。右手は渡良瀬遊水地で、奥の白い建物が埼玉県の「道の駅かぞわたらせ」
渡良瀬遊水地は自然と触れ合える家族連れに人気のスポット
渡良瀬川を渡り、4県目へと突入!
渡良瀬遊水地から、さらに東へ。彼方に見える山影は、筑波山だろう。そう、この地域は茨城県も間近なのだ。渡良瀬川にかかる、その名も「三国橋」を渡っていく。その中ほどに、埼玉と茨城の県境がある。3県境に加えて茨城までもが入り混じる、北関東カオス地帯なのであった。
橋を渡ると、そこは茨城県の古河市だ。日光奥州街道の宿場町として栄えた歴史があり、歴史的な建造物を利用した美術館なども並ぶ。フナの甘露煮が名産のようだが、近頃はカレー麺を売り出しているそうだ。唐辛子の取扱高が日本一だという企業、黒岩食品が市内にあることに想を得たようで、カレーうどんにカレーそば、ラーメンにパスタなど各店舗が独自のメニューを出している。
どの自治体もあれこれと町おこしを考えるもんだ……と感心しつつ、古河駅から帰路へと着いた。半日で4県を巡る小旅行だった。
最後に埼玉県から茨城へと越境する。県境越えを堪能できる半日コース
*国境の場所は、こちらの地図をご参照ください。→「越えて国境、迷ってアジア」
*本連載は月2回(第2週&第4週水曜日)配信予定です。次回もお楽しみに!
*好評発売中!
発行:双葉社 定価:本体1600円+税
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室橋裕和(むろはし ひろかず) 1974年生まれ。週刊誌記者を経てタイに移住。現地発日本語情報誌『Gダイアリー』『アジアの雑誌』デスクを務め、10年に渡りタイ及び周辺国を取材する。帰国後はアジア専門のライター、編集者として活動。「アジアに生きる日本人」「日本に生きるアジア人」をテーマとしている。おもな著書は『日本の異国』(晶文社)、『海外暮らし最強ナビ・アジア編』(辰巳出版)、『おとなの青春旅行』(講談社現代新書)。
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